2009年1月 3日 (土)

『オリンピックの身代金』

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『オリンピックの身代金』奥田英朗著/角川書店

一気に読んでしまった2段組み500ページ。

もちろん、内容が面白いからに他ならない・・・いや、面白いと言って良いのだろうか。

作者は意図的に今だからこそ、このテーマを取り上げたに違いないが、みすみすそこに嵌り込んでしまった。

舞台は1964年の日本、あるいは東京だ。

「もはや戦後ではない」と言われた1956年からさらに年月は経ち、東京は”オリンピックの成功こそその復興証”とばかりに首都高を架け、新幹線を走らせる。

主人公は秋田の極貧の村出身の東大院生。

中卒の出稼ぎ労働者を人柱にして、復興を享受する首都東京。周辺は誰にも夢が与えられ、豊かになっていく一方に見える。

しかし、地方の学のない、貧しい人達の暮らしは戦後も何も変わっていない。勉強ができるだけで自分には夢が与えられたが、他の誰一人として村には”夢”を持てる人間はなく、あるのは最初から”諦め”だけだ。

”おかしいじゃないか””東京オリンピックを妨害する”

最初から明らかにされている「島崎」という東大院生の犯人。

誰が犯人か、を謎といて行く通常のサスペンスのパターンとは違うが、時代背景の中にある歴然とした格差が今とリンクする。

この本を1985年に読んだら、おそらく「昔はまだ地方は貧しかったんだ」という一言で片づけてしまったであろうに・・・2009年、全くもって重々しくのしかかるし、”国民が一丸となってオリンピックを成功させる”という盛り上がりが、20年前の戦争の高揚となんら変わっていないという文章・・・・・・・・・・・・・・・・小説とはいえ、妙に引っかかるのである。

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2008年12月20日 (土)

『ドナウの叫び』ワグナー・ナンドール物語

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『ドナウの叫び』ワグナー・ナンドール物語 下村徹著/幻冬舎

水曜日のことだっただろうか、朝刊の1面の下にある新刊案内が目に飛び込んできた。

”ワグナー・ナンドール!””ハンガリー人の彫刻家!”

まさか・・・いや、あのワグナーさん以外にいるはずがない。

こともあろうに、私はこの彫刻家にデッサンを習っていたことがあったのだ。

父に車で連れられた先には「和久奈南都留」という表札がかかっていた。不思議な入口のアトリエで、一般の住宅とは違っており、ワグナーさんは2階と思われるところから降りてきたものだった。

千代さんという、自分の母親に近い年齢の、しかし、派手ではないが稟とした美しさと知性漂う雰囲気を持つ奥さんがいて、2人は英語で会話し、それを奥さんが我々に伝えてくれるのであった。

確か中学3年だった私のために、当時、美術を志したらどうか、とアドバイスをくれた父親が、当然美術大学受験のない田舎の益子で、どこからか探し出してきてくれた”先生”だった。

生徒は3人、19歳という、でもどう見ても16歳位にしか見えない女の子(人?)と、1つだか2つ上の窯を持つ家の息子という高校生の男の子、そして私だった。

「中3の冬休みにここに来るとは余裕だな。」とその高校生に言われた事を覚えている。

19歳の女の人が「今日のモチーフは何ですか?」と言うのを聞いて「モチーフ?それって何?」と密かに思ったこともあった。

元旦をはさんで所謂冬期講習と同じ期間、朝から6時間程度ひたすらデッサンをしていた(たぶん、でも昼ごはんはどうしたのだろう。家に戻ったのか??)。

”モチーフ”は美術学校のような石膏ではなかった。

画板を立てるイーゼルと、それにつながっているまたいで座る椅子に座りもくもくと描き続けた。この本から想像するに、その画板+椅子はワグナーさんが作ったものだったのかもしれない。

その後、受験のため美術学校に3年通ったが、ついぞそんな代物は見たことがなかった。

1日が終わると奥さんの通訳によってワグナーさんの講評が行われた。

この講習が終わるころだったか、「あなたは建築に向いている。そうワグナーは言っているわ。」と奥さんの千代さんに告げられたが、「建築ぅ~?でも数学苦手だし・・・。」

その時は、気にも留めなかった。しかし、”建築”が20年後、俄然自分の中で興味を増し、この時のワグナーさんの言葉をはっきりと思い出したが、もはや、方向転換するエネルギーは持ち得なかった。

講習の最後に”宿題”が出され、たしか皿とリンゴを描いたデッサンを持って、1週間後、ワグナー家を訪れた。

その日は生徒一人の私に昼食がふるまわれた。陶芸をやっているという住み込み?の女性がおり、ワグナー夫妻と4人で囲んだ食卓には、片栗粉をまぶして揚げた「から揚げ」が美しく載っていた。ごはんとみそ汁とから揚げ、品数は少ないが、調度が美しく、内心「何か違う洗練」を感じていた。

しかし、それ以上に驚いたのは「食事の前の祈り」があったことで、そんな習慣のない自分は戸惑うばかり、わずか数分がやけに長く感じられたことを覚えている。

高校生になると、宇都宮まで週末毎に「受験用の美術学院」に通う事になり、その後ワグナーさんに会う事はなかった。

ワグナーさん自身は、奥さんより少し年上の世代に感じられたし、外国人という事で、15歳程度の私には何とも言いようがなかった。ただ、温かみのある人柄であることは容易に理解出来たし、怖いとか嫌だという感覚はなかった。

この本を読んで、ワグナー・ナンドールという彫刻家がいかに優れた人であったのか初めて知ることが出来た。

益子に「ワグナー・ナンドールアートギャラリー」があるのに、愚かにも今まで行って見ようと考えもしなかった。

そうか、約30年前のあの当時、ワグナー夫妻は益子の地に住んでまだ10年にもなっていなかったのか・・・

そう言えば、父が奥さんの千代さんの出自について何やら話していたのを思い出した。

義理がたい父は、その後私に代わって時折ワグナー家を訪れては、「あの時、お世話になった娘」の報告をしていたようであった。もちろん、結果、美術の道は諦めたことも。

そして、おおよそ10年前、ワグナーさんが亡くなった事を、これもまた父から聞かされたのであった。

他人にはどうでも良いような話を長々と書いてしまった。

でも、”どこかに書いておきたい”、「私にとって」特別にそう思わせる1冊であった。

そうだ、年末に父に聞いてみよう。

「何故、あの時、どういう経緯でワグナーさんを知り、どんな話をつけて娘に絵を教えてもらう事になったのか。」を。

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2008年12月17日 (水)

『若者のための政治マニュアル』

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『若者のための政治マニュアル』山口二郎著/講談社現代新書

さて、このところの新聞は少し前とずいぶん論調が変わってきている。

この山口二郎も頻繁に書いているし、大佛次郎論壇賞を受賞した(これは少し前では本当に考えられない!)湯浅誠など、連日顔写真を見ている。

小泉純一郎の構造改革ばかりか自民党が堂々と批判されている。経団連もしかり。

2005年に誰がこのような事を想像しただろうか。

もちろん、個人的にはこれらの批判は当然と思っているが、同時にマスメディアの安易なる変調ぶりに、大いなる「怖さ」を感じてもいる。

次は、どっちへ転ぶのか・・・英雄は誰か。

こうして右往左往し続けるのが嫌なら、我々は何をしなければいけないのか。

「若者のための・・・」とはあるけれど、原点に立ち返るために中年にも、いや、中年にこそ良い本である。

過去四半世紀を振り返って、もういちど、社会にかかわり直すためのヒントが詰まっている。

誰もが論文を世に出したり、政治家になって直接社会を動かすことができるわけではないが、日本は、特に政治の舞台へ一般人が近づく過程をわざと曖昧にわかりにくくしている。

最初の一歩をどう踏み出せば良いか、この本ではそんなことがイメージ出来る。

もちろん、それほど難解ではない。

(そして、ここ数年(具体的には2000年以降最近まで)、自分の考えでは到底”あり得ない””おかしい”と考えていたようないくつかの判決、事件が”おかしい”と評されていることも、溜飲が下がる思いだ。)

湯浅誠を”流行”にしてはいけない。あまりにも度々マスコミの取り上げられる彼を見て、ついこの本を手に取ってしまったのである。

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2008年10月31日 (金)

『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ

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『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ著・小川高義訳/新潮文庫

私はこの作家を知らなかった。たまたま夫が職場の同僚から借りてきた本だ。

パラパラとめくると、すぐに「面白そう」であることがわかり、夫からひったくると2冊あっという間に読み終えた。

著者はロンドン生まれ、アメリカ育ちのベンガル人。女性だ。

『停電の夜に』でPEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞などを受賞しており、2000年には新人作家には異例のピューリツァー賞まで受賞している。

小説の主人公はインド人。そう言っては何だが、貧しいとか人種差別を受けているとか、そういった類ではない。

アメリカに住む”インド系二世”のアイデンティティを追求するような話でもない。

ふと出てくる、インド人であることを語る文章がなければ、欧米のどこか豊かな国の、知的で見た目も美しい男女の話であるようにも思える。

ただ、一貫して続くのが、男女の分かり合えない哀しさ、のようなもの。

真摯にそれを求め続ける主人公に決して幸せな結論はない。

美しく哀しい・・・

月並みだがそういう感想もあてはまるかもしれない。

この8月に『見知らぬ場所』という作品が出ているようだ。

是非読んでみたい。

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2008年9月15日 (月)

『綾とりで天の川』

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『綾とりで天の川』丸谷才一著/文春文庫

でも、この写真は本の写真じゃなくて、近頃作って美味しかった冷製パスタ。もう暑い季節も終わるけど・・・

オクラに塩をまぶしてごろごろ。さっと茹でて色味良く冷ます。

完熟トマトはダイスに切って種を取る。

薄く切ったオクラとトマトにオリーブオイル、にんにくの超みじん切り少しと、お醤油たらり。

カッペリーニを氷水に取って、冷たくしたものと和える。

まあ、来年の夏にお試しください。

ところで、本の話だけど・・・。

ここ数年丸谷才一に目覚めた私、いやー出るわ出るわ、まさしく知識の泉(もちろん、良い意味でね。しかし、陳腐な表現だ。)。

知識と言うべきか教養と言うべきか、そこはわからないけど、何事も良く知っている、という事はやはり人生を楽しくするものだ、と毎回唸らせられる。

さらに驚くのはこのエネルギー、丸谷才一は既に御歳80歳を超えているのだから。

半分強!の年齢の私たちでさえ、疲れていると好奇心も薄れるし、知的体力(あるとしたらだけど)がとても続かない。

80歳を過ぎて、このレベルを保つとは一体何者?

しみじみと思いつつ、「あとがき」へと読み進むと、高島俊男(中国文学者・エッセイスト)がなんと”丸谷才一はバケモノ”と書いている。

プロでさえそう思うか、とホッとしつつ、”知力は体力なり”と団子をパクついてしまった。

今回も面白かった。是非、長生きして書き続けて欲しい。

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2008年6月14日 (土)

『東京駅の建築家 辰野金吾伝』

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『東京駅の建築家 辰野金吾伝』東秀紀著/講談社

駅の話だけど、これは電車オタクとは別。

タイトルの通り、東京駅を作った建築家辰野金吾の伝記。

幕末から明治にかけての時代背景。そして辰野金吾の生い立ち。建築家への道。そして当時の東京駅への評価。

そうか、1854年から1919年に生きた人であったのか。江戸時代に生まれた建築家、しかも東京駅を作るとは意外な気がする。

もちろん勝手な思い込みだし何の根拠もないが、少なくとも明治生まれなのかと・・・。

さらには、貧しい家の出であったということもだ。

特に時代が昔であればあるほど、日本の建築史に名を残すような建築家は、やはり、文化的、芸術的背景無くしては成り立つ事が難しいと考えていたから。

庶民が長屋住まいが当たり前の頃、ビルディングを建てることが出来るのは、特権階級に違いない、そう思っていた。

辰野は猛烈な努力によって建築の理論、技術はもちろんのこと、所謂”芸術としての建築”をも身につけた人だったのである。

身分の差も明らかで、情報も機会も平等に与えられなかった当時、これは本当に異例の事。辰野の努力はどれほど人並み外れたものだったか。

歴史に残る建築家としてはあまりにもスマートさに欠ける。泥臭い努力家、単純な人柄。

丸の内周辺が、これほど近代的なビル群なってしまった現在、赤煉瓦の東京駅の存在はますます顕著である。ところが、これが建設された当時、この建物を評価する建築家はいなかったという。「西洋の建築を模倣する時代はもう終わった」として。

まさしく辰野金吾が生きた時代、辰野の師は、かのジョサイア・コンドルであり、日本の建築は西洋の建築を模倣することが先決であった。そして、辰野が東京駅を建設した時、皮肉にもその時代は終わろうとしていたようであった。

漠然とイメージしていた辰野金吾像というものが、覆される興味深い内容であった。

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2008年6月 1日 (日)

『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』

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『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』レイ・コールマン著 安藤由紀子・小林理子訳/ベネッセ

別の本を借りようと思って図書館へ行った。

借りていた本を返し、気になっていた本にパラパラと目を通し、目的のコーナーに向かって曲がろうとした角の本棚の、ちょうど眼の位置にあったのがこの本。

「カーペンターズかぁ」などと手に取って、最初の数ページを読むと、このまま返すのが惜しくなってしまったのだ。

音楽には全く明るくない私でも、ティーンエイジの頃はそれなりに、当時の”全米ヒット○○”などという音楽を聴いたものだった。カーペンターズもしかり。

わからないながらも、”カーペンターズが好き”というのは何となく気恥しいような気がしていたが、やはり、ヒット前の彼らの音楽が一部でそのように評価されていたことを知る。

健全過ぎる、野暮ったい、セクシーじゃない・・・

読み進んで、何だか無性にカーペンターズが聴きたくなり、唯一家にあった『ベスト22』なるものを引っ張り出す。

”大好き”かどうかは別にしても、カレン・カーペンターの歌声は素晴らしい。伸びやかさが心地よい。

32歳で摂食障害によって亡くなった事は良く知られており、こういった症状が、必ずしも”痩せて綺麗になりたい”という理由だけでなく生い立ち、家庭環境など複雑な要素が絡んでいる事は、今となっては多くの人の知るところとなっている。

まだ読み進んでいる途中だが、才能、お金、名声と揃っても尚、人間は心のバランスを取ることが出来ないんだな、と聞こえてくる歌声を耳にしながらあれこれと考えてしまうのであった。

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2008年4月 6日 (日)

『同潤会アパート原景』

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『同潤会アパート原景』マルク・ブルディエ著/住まいの図書館出版局

(ええ、その他、山本夏彦の『「室内」40年』や『雑誌デザインの潮流を変えた10人』とかも先週は読みました。)

でも、『同潤会アパート原景』、これを興味深く読みました。

この本は、フランス人の研究者が、日本の同潤会アパートに興味を示し、そこではどのような考えを元に、誰らによって、どのような技術が試されていたのかを調査し、その歴史的意味を考察したものです。

それぞれの当時の外観、設計図なども載っており、詳細を知ることができます。

同潤会アパートというのは、関東大震災後、1926年から1934年の間に、同潤会によって、東京、横浜地区に作られた鉄筋コンクリートの集合住宅のことです。

青山の同潤会アパートは、つい先頃、安藤忠雄氏の設計によって「表参道ヒルズ」に生まれ変わりました。

実際に行って確認しているわけではありませんが、現存している同潤会アパートは、上野下と三ノ輪と聞いています。

存続の問題もあってか、もちろん、ずいぶん前から「同潤会アパート」の事は聞いていました。

私が突然興味を持ったのは、1934年、つまり最後に作られた「同潤会江戸川アパート」が2000年に引っ越してきた今の自分の住んでいるところから、5分とかからないところにあったのを知ってからです。

「あった」・・・そう、時々通る道の一角に異様なほど、木が生い茂り、その奥に何やら建物があることに気がついていました。

「ここはなんだろう」と常々思っていましたが、その一角が何であるのか示す標識も見当たりません。

そのうち、そこはさら地になりました。

前後して『消えゆく同潤会アパートメント 同潤会が描いた都市の住まい・江戸川アパートメント』という本を偶然見つけ、”そこ”が江戸川アパートであったことを知りましたが、時すでに遅し・・・

2000年を過ぎ、70年を経たアパートは、既成のマンションの概念からすると、確かに奇異な外観を呈していました。

けれども、同潤会アパートの事が書かれた本で振り返ると、当時、最新の技術で、東京帝国大学の頭脳・技術集団により、さまざまな工夫を凝らした住宅であったことがうかがい知れます。

「三越デパートと同じようだ」と言われたというエピソードもあるくらいですから、どれほど当時にしてみれば、近代的だったことでしょう。

何より、間取りや意匠だけでなく、そこに住む人たちがコミュニケーションを取る場が作られる、あるいは中庭など、「生活の質」のことまで、考えられていたことが驚きでした。

1934年に江戸川アパートが作られたことを最後に、日本は戦争態勢に入っていくわけです。

幸い、同潤会アパートは戦争後も存続しましたが、この時の住宅建築への考え方が、戦争で中断されること無しに、存続していったら・・・今、集合住宅の在り方は少し変わっていたのかもしれません。

今、江戸川アパートの跡地には、「アトラス江戸川アパートメント」が建っています。「同潤会江戸川アパート」の名残り?は、一部のガラスブロックに見られるでしょうか。

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2008年3月24日 (月)

『メランコリー・ララバイ』

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『メランコリー・ララバイ』安西水丸著/NHK出版

イラストレーターとしての方が有名?な安西氏の本。

もちろん、直接本人のことは知らないけれど、時々雑誌でお見受けする氏の写真、イラストの雰囲気から、”ちょっと好き”と勝手に思っている。

この本の内容は、安西氏が若かりし頃、実際に勤務した電通での出来事をモデルに(と思われる)、”全通広告”に新入社員として就職した「ぼく」の入社から数年が書かれている。

育ちが良くて、人を押しのけることを好まない「ぼく」。でも、心にはイラストへの熱い想いを持ち続ける。

おとなしいけれど、ごまかしのない筋の通った人柄、誠実な仕事振りを周囲の”出来る男”達が認めていく。

キャラクターの際立った人たちの集まりであるその会社の雰囲気も手に取るようにわかる。

にもかかわらず、「この会社にずっといるつもりはない。」何度か繰り返されるセリフから、「ぼく」が違和感を持ち続けている事がわかる。

大手の会社にありがちな、鳴り物入りの人事、突然の解雇、実績評価・・・

でも、「ぼく」は決して、興奮したりせずに、訥々と日々の出来事や気持を語り続ける。

読んでいて、「ぼく」の味方について、その個性豊かな先輩社員を一歩引いて冷静に見ていくと、実は「ぼく」の”本物感”?が際立って、ちょっと小気味良く読める作品。

オチは何となくわかっていながらも、久しぶりに、楽しく夢中で読めた。

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「パンもっと。」と息子。

久しぶりにパンの夕食。

ええ、時間がありますから、丁寧に焼いてみました(笑)。

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2008年3月23日 (日)

『ぼくの複線人生』

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『ぼくの複線人生』福原義春著/岩波書店

あの資生堂の社長であり、会長であった・・・と言ったら、知っている人も結構いるのかも。

特別な資生堂ファンでもないし、私自身、この福原氏に興味を持ったのはほんの数年前。

並木通りの資生堂本社ビル1階、2階に”ハウス オブ シセイドウ”という素敵な展示スペースがある。

そこの2階の一角に「アートライブラリー」があって、そこで、この福原氏が、蘭の栽培や写真家としても一流であることを知ったから。

一流のビジネスマンとして、経営学などのビジネス本を書いている人はたくさんいるけれど、芸術家としても一流である、というのは、特に日本ではあまり聞いた事がないような気がした。

世界の資生堂・・・社長のこの文化的な奥の深さこそ、その”世界の資生堂”たる所以か、そう感じたし、この本を読んで、それはそれほど間違っていなかったな、とも思った。

”勉強だけでなく、趣味も興味を持って深めてみよう”、そう言うのは簡単だが、育った環境、出会う人、時代・・・なかなか上手くいかないのもまた事実。

昭和ヒトケタとはいえ、資生堂創業者の孫に生まれ、慶応に学び・・・文化的背景は桁違い。

卑屈に読むか、なるほどねぇ、と感嘆しながら読むかは自由だが、世界のブランドとして出ていく企業のトップはやはりこれ位の器が必要なのだろうなぁ、というのを改めて認識した次第。

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2008年3月19日 (水)

『青春漂流』 

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『青春漂流』立花隆著/講談社文庫

思わず、面白可笑しくもない”中年漂流”という言葉が頭に浮かんだ。

だって、まさしく自分は漂流中・・・

週末に、久しぶりに友人夫婦の家へ。

3年ぶりか?の、彼らの一人息子も中3。

何か尋ねる度に「はい、そうです。」などとかしこまって言うものだから、かつて、うるさすぎてお仕置きを食らった程だった頃の事を思い出し、多いに笑った。

その彼から借りた本だ。

何でも、私立の大学付属中(所謂難関だなぁ)に通う彼の、宿題が、この本を読むことなんだそうだ。

先生何者かなぁ。何歳だろうなぁ。

「面白そう、へえ、貸してくれる?」と聞くと、

「ああ、いいですよ。」  また、笑う。

もちろん、長期貸し出しは厳禁だから、1日で読んだ。

所謂、今、何かで一流人となっている人達が、青年期にどのようにそれに取り組んだのかが立花隆の取材によって書かれている。

私が読んでいなかっただけで、有名な本だ。

”ソムリエ 田崎真也 25歳”ともある。

これだけで、どれだけ時間を経てしまっているかはっきりしているが、”鷹匠””ナイフ作り”・・・・何だか、すさまじい。

一流人への道は、今も同じなようでいて、実際どうなんだろうか。

友人の子は何を感じるだろうか。

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2008年2月18日 (月)

『ミラノ 朝のバールで』

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『ミラノ 朝のバールで』宮本映子著/文藝春秋

「人生はブリオッシュ。甘くて美味しくて、すぐに食べ終わってしまう」

この本は、今朝、仕事前にいつも立ち寄る書店で偶然手にしたものです。

パリやミラノのエッセイだから、という理由で手を伸ばすことはありません。まして、書き手を私は知らない。

でも、オビにある「人生は・・・・・終わってしまう」を見て、中をパラパラとめくると、そこに漂う人生へのどこか哀しい視点から目を離す事が出来なくなってしまいました。

偶然にも書き手は私と同じ年齢。

10歳で手にしたイタリアの写真がきっかけで、今、イタリアに暮らしています。

ファッションの話もグルメの話もほとんどありません。それでも、国境を越えて自分の人生観にイタリア人のそれを重ね合わせることが出来るほど、本質に迫っている気がします。

普通のイタリア人も、もちろん、普通の日本人も、それぞれに物語のある大切な人生を生きているんだと思い出させてくれました。

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2008年1月31日 (木)

『戦争とプロパガンダ』

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『戦争とプロパガンダ』-パレスチナは、いま- E.W.サイード著・中野真紀子訳/みすず書房

”なぜ、サイードか”などど高尚なものではありません。

何とはなく手にとって読んでいる本の中で、とりわけ、大江健三郎、四方田犬彦などの本の中で度々語られているのが、このサイードです。

直前に読んだ、四方田犬彦の『先生とわたし』の中でも、”先生”である由良君美がサイードを早い時期から評価していたと書いてあり、ますます気になっていた、というのが本当のところ。

とは言っても、所謂知識人である大江健三郎らと自分は違うわけですから、今まで”積極的に手を伸ばす”に至らなかったわけです。

なんだか前置きが長くなりましたが、偶然ボスのところでこの本を見つけたのです。

「是非、貸して欲しい」と申し出ると、「それは、もらったんだよな、俺、まだ読んでない。」

ナーンダ、やっぱり。(「さすが!」と内心思ったのは取消し)

この本が出版されたのは2002年。

今やアメリカとイスラエルの関係はかなり表沙汰にされていますが、この著書でもアメリカの情報公開のあり方、イスラエルのシャロンの政治を徹底批判しています。

パレスチナの現状はどうなのか。オスロ合意の意味は。

何事も”知る”ということが第一歩、という事が良く言われますが、”正しく知る”ことが、すでに難しくなってきている気がしてなりません。

イラクへの攻撃の理由は何だったのか・・・そのことともかぶります。

そんなタイミングで、今朝の新聞に、ガザ地区の惨状を訴える記事がありました。

いや、偶然の一致、などどいうことではなく、シャロンが表舞台から消えたとはいえ、2002年以降も、パレスチナには平和など訪れようがなく、事態は悪化し続けているのです。

これを知って自分は何をすれば良いのか、思考停止に陥りそうです。

サイードは2003年に亡くなりましたが、私でも読めるようです。もう少し読み進めてみることにします。

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2007年12月24日 (月)

『下山事件 最後の証言』

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『下山事件 最後の証言』柴田哲孝著/祥伝社

これは2005年度版。父が「これは本当に面白いぞな。」と薦めてくれた。

帯に”「読みだしたら止まらなくなるので要注意」米原真理さん”とあるほどだ。

戦後間もない頃、1949年におこり、尚、大きな謎に包まれている下山事件。

”国鉄総裁であった下山定則が轢死体で発見された”私のこの事件に対する知識はそれ以上でも以下でもなかった。

この著者の祖父が「どうも下山事件と関係があるのでは」、大叔母の漏らした一言から話は始まる。

結果論で言えば、これもあくまでも推理に過ぎない。

ただ、祖父を中心とする身内の数人が、亜細亜産業という組織に勤め、その本人たちから直接聞き出した話、その亜細亜産業には多くの政治家、GHQ絡み、殺し屋・・・・そのビルの上階にはサロンがあって、驚くべき顔ぶれが出入りしていた・・・その信憑性、解き明かされる事実は、本書が、この事件を扱った他を圧倒するという(残念ながら他の本については、私は詳しくない)評価にも納得がいく。

暗闇、話し声、緊迫感、、そういったものが実際聞こえてきそうなほどはまり込み、夢中で読んだ。

1949年を知らないが、それさえも感じられるほどの作品だ。

もし、読んでいない方がいたら、冬休みにお薦めの1冊。

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2007年11月 1日 (木)

『反骨のコツ』『裁判員制度の正体』

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『反骨のコツ』團藤重光著・伊東乾編/朝日新書

『裁判員制度の正体』西野喜一著/講談社現代新書

裁判員制度に関する、特に反対意見を時々目にする。

今まで、その制度に注意深く目を向けてきたわけではないが、頭の片隅に「裁判員制度を何故導入するのか」「そもそも国民からそんな声があったのか」・・・そういった疑問はチラチラしていた。

少なくとも平成21年度から実施されるこの制度について、誰が何の目的で作り、メリット、デメリットは何で、我々にどんな影響を及ぼすものか、そろそろ知っておかなければならないと感じてこれらを手に取った。

この制度を理解していて、両手を挙げて賛成の人にはお薦めしないが、「あれっ、これって何?自分も関係あるの?本当に上手く行くの?」と思う人には是非一読をお薦めする。

先に『反骨のコツ』を読むと、『裁判員制度の正体』の理解はより深まる。

著者は共に法律のプロ、團藤氏に至っては1913年生まれ、93歳!ということもあり、戦前の東大法学部を首席で卒業、刑事訴訟法の立案にも関わっているという。

この『反骨のコツ』が非常に分かりやすいものになっているのは、東大准教授である伊東氏が、“非常に知的な”という但し書き付きだが、一般の国民の立場から、裁判員制度についての疑問を投げかけ、團藤氏がそれに答えていく形式を取っているからである。

国民の多くが参加したいと思ってはいない現状、この制度を押し通すことで、刑事事件の裁判そのものがどれほど混乱するか、税金がどれほど無駄に使われるか、裁判員に選ばれた時の国民の負担がいかに大きなものか(このために職を失うことも!)、これがもっと国に奉仕せよとの布石なのか・・・

『裁判員制度の正体』には、職を失うかもしれない裁判員に関わらないためのノウハウまで事細かに書かれている。それほど事態は深刻とも言える。

とにかく、「知らないということは恐ろしいこと」、この2冊で裁判員制度の概要を十分知ることが出来る。

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2007年10月24日 (水)

『走ることについて語るときに僕の語ること』

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『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹著/文藝春秋

そんなに思い入れがあって、という訳ではなく久しぶりに村上春樹を読んだ。

”走っている”のは今まで、何度かそのことについて書かれたものを読んだので知っていた。

村上氏の書いたものをずっと読んでいると「こんなことじゃないか」と想像したが、やはりそれほど外してはいなかった。

ただ、作家とは言っても誰もが枯渇せず、溢れ出る才能を持っているわけではなく、多くの作家は、集中力と持続力を鍛える努力をする中で、自らの中に隠されていたさらなる才能を掘り出すことが出来たりするものだ。

どのような方法で、その集中力と持続力を鍛えていくか、ということは作家それぞれによるものだけれど、少なくとも、自分は”走る”ことがそのためのトレーニングになっていたはずだ。

というような事が書かれており、作家といえど体力勝負、”特別なものではない”ことを繰り返している。それを読んで、この作家がハルキ文学をぶれずに維持できている理由もまた少しわかるような気がした。

さて、夫がこの本を見るなり、

「あっ、俺はどうしてもこの村上春樹はダメなんだ。buckyが『羊をめぐる冒険』が面白かったというから読んでみたけど、面白さがわからなかった。」

という。

そういえば、何週間か前に、母が電話で、

「『ノルウェイの森』を読んでみたわよ。この間『海辺のカフカ』を読んだんだけど、どうしても面白さがわからなくて・・・でも、若い人たちがそんなに面白いと言っている話を聞くと悔しいから、もう一つだけ、と思って読んだの、面白かったわね『ノルウェイの森』。パパは『海辺のカフカ』を途中まで読んで”俺はこれは読めないな。」と言って止めたわ。」

と、些か誇らしそう(?)に言っていた。

「これは便所で(!)読む本だ!」とかつての上司は暴言を吐いていたっけ。

さらに夫が、

「でも、外国の人は、ムラカミハルキと大絶賛するな。何でだろう。」

という。

先日読んだ四方田犬彦の書評にこんな事が書かれていた。

”なるほど村上は日本語で執筆する日本の作家ではあるが、彼が依拠している文化的感受性や、言及している音楽や映画、あるいは都市生活のあり方は、今日のグローバリゼーションのなかにあって世界的に流通し浮遊しているものであって、特定の土地や民族に帰着し得ない性格を持っている。”

その話をすると「ナルホド、確かに。」

新しい作品が出版される度に読むことはなくなったが、変わらず、自分の気持ちを代弁してくれているようで、安心するために時々手に取っているのかもしれない。

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2007年10月10日 (水)

『ハイスクール1968』

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『ハイスクール1968』四方田犬彦著/新潮社

先に読んだ、『人間を守る読書』の原点はここにあったか。

それにしても、読後感は複雑だ。

はっきり言ってうらやましい。

頭の出来?もちろん、それもあるが、自分は一体何をやっていたのだろう、我がハイスクール時代の凡庸さを嘆くばかりだ。

この本を読んで多くの人はどんな感想を持つのだろう。

”そうだそうだ、あの頃、大学に呼応して学内が盛り上がったんだ。”

”ビートルズの東京公演、そうだ俺だってビートルズに夢中だった。”

”けっ、東大に100人以上行くような学校のやつらはこんなこと考えていたのか。”(笑)

しかし・・・大人になって取り返しがつかない、と言うわけではないが、やはり、子供時代の、特に10代に何を読み、どんな大人に出会い、どう遊び、何を勉強するかは、その後の人生に計り知れない大きな影響を及ぼすであろう事を改めて認識した。

背伸びした知識を求め、大人に反発し、敢えて反対される行動を取り・・・

結局はとことん、何かをやるしかない、感じるしかない。

ほどほどが良い、という向きもある。だが、そう慰められても、ほどほどに過してしまった時間は戻らない・・・・

うらやましさは深い後悔に変わる。

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2007年10月 4日 (木)

『人間を守る読書』

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『人間を守る読書』四方田犬彦著/文春新書

「前書きにかえて」という冒頭に以下のように書かれています。

”いまの日本は他人に対して非常に不寛容な社会になってきているように思います。・・・略・・・人のことはどうでもいいという感じになってきた。そういうふうな、人々がお互いに不寛容になってきている状況だからこそ、あえて書物を読まなければいけないと思うのです。書物というのは他人が考えていることです。凡庸にして古臭いように聞こえますが、他人の声に耳を傾けるという行為こそが、いま必要とされているのではないでしょうか。”

155冊の本、もちろん四方田氏が読んだものが紹介されているわけです。

本筋とは離れますが、一つ驚いた事がありました。

私もまあ、どちらかというとジャンルを問わず多読な方です。月に10冊以下という事はないので、年間に100冊はやはり読んでいる計算になります。

驚いた事というのは、今まで、いくつかの書評をジャンルとする本を読んで、この本ほど、私が読んだことのない本ばかり、というものも初めてだった事です。

村上春樹、村上龍、岡崎京子、柳宗悦、吉田健一以外、名前も知らないか、知っていても読んだことのない本ばかり。

最後にある「読むことのアニマのための100冊」リストに至っては、見事に読んだことのある本が1冊もありませんでした。

詩、映画、漫画、驢馬?、と言ってしまっては浅すぎる、哲学、宗教、思想、心理・・・これらに絡むものばかり。

もちろん、書評を、自分の読んだ本の感想に重ね合わせて読むという作業は楽しいのですが、まさに”読書をする”とはこういうことなのだな、という思いを新たにした次第です。

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2007年9月20日 (木)

『佐藤可士和の超整理術』

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『佐藤可士和の超整理術』佐藤可士和著/日本経済新聞出版社

今をときめくアートディレクターの整理術とあっては、手に取らないわけにはいかない。

「可士和?かしわ?変わった名前ね。」印象的な名前と年令不詳の風貌・・・と思っていたら・・・

キリン「極生」、国立新美術館の「新」のロゴのデザイン・・・調べ上げれば、最近ヒットしたり、話題となったあれもこれもがこの人の手にかかっている。

”この本で僕が述べる整理術とは、整理のための整理ではなく、快適に生きるための本質的な方法論です。ですから、デスク周りなどの空間から仕事上の問題、人間関係に至るまで、あらゆる場面に応用できるのです。”

とのまえがき。

こう言っては非常に偉そうだし、この佐藤氏のレベルまでもちろん研ぎ澄まされていないし、そういうことを仕事にしてもいないが、空間の整理に限って言えば、私もかなりこの人に近い事を考えている。

所謂、整理好きと言われるが、これはただ単に「汚いのが嫌いだから」とかではない。

もちろん、物に恵まれた時代故に、という事も断っておくが、モノ探しや、整理のつかないモノから来るストレスに振り回されるのはごめんこうむりたいからだ。

だからせっせと定期的にモノを見直し、書類をファイリングし直す。

自分の時間をどう使い、どんな生活を送りたいのか、整理に迷った時にはそこへ戻ることにしている。そう、整理のための整理ではない。

そこへ戻ってみると、本当にとっておきたいものなんてそんなにない。

「そもそも何だったのか」という事を考えると、何か忘れていたことに気がつくこともある。

読後感は、目からウロコ、というより、共感というか、さらにいくつものヒントを得た感じであった。

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2007年9月15日 (土)

『受けてみたフィンランドの教育』

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『受けてみたフィンランドの教育』実川真由・実川元子著/文藝春秋

少し前に、フィンランドの教育について読んだ本の感想をいくつか記事に書いた。

「OECDの学習到達度調査世界一レベルの裏側には何があるのか」

誰もが知りたいこの疑問にフィンランドは

”落ちこぼれを作らないこと”

”教育は現場に任せること、中央はその手助けしかしない”

”相手に言いたいことが伝わる文章を書けるようにすること”

”本をたくさん読むこと”

等々・・・思わぬ回答しか用意してくれなかった(と、多くの日本の教育関係者は思っている??)。

さて、この本はそのフィンランドに高校生の時に1年間留学した女の子の体験記である。

ここから読み取れるものは、どこまでもシンプルに思える教育の在り方だが、実際、教育受ける側にとって、日本のそれとどれほど違い、何が世界一の成果を導き出すのか、そこへの過程である。

そして、タイトルとは直接関係ないが、10代の子供の留学というものが上手くいった場合、何がもたらされるかという事も、併せて知ることが出来る。

以下は、フィンランドの教育について、著者が気づいたことのいくつか。

・フィンランドに塾、偏差値はない

・テストのために「覚える」のではなく「読む」。なぜなら、”空きを埋めよ”という問題はなく、”あることについて述べよ”というものが全ての教科における(数学さえも)テストだから、全貌を知らずしては何も書けない

・”述べる”場合、起承転結というか、言いたいことがきちんと書かれていない文章には厳しいコメントがつき、それが出来るようになるまで繰り返し指導される

・授業中眠る生徒はいない

・先生は教えることに徹する。他に何でもやるという日本の先生とは違う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

簡単に言えば、日本の教育と比べて、”物事を深く知り、自分はどう感じ、理解したかアウトプットすることを繰り返し要求される”、それが個々の底力をつけることになるということだろうか。

今、大学2年生になる著者の率直でわかり易い体験記、文章も上手い。その合間に母親の”娘が変わっていく様に対する驚き、状況の補足説明”が組み込まれている。

最後に、母親が、娘2人(著者には姉がおり、チリに1年留学した)が留学によって、いかに自立したか、そのために親が必要なことは子供を信頼することだ、と書いており、今、まさしくそのような選択を迫られている親御さんには恰好の1冊であるかもしれない。

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2007年9月12日 (水)

『戦後少女マンガ史』

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『戦後少女マンガ史』米沢嘉博著/ちくま文庫

とにかくマンガをたくさん読んだ時期があった。

少女マンガはもちろん、少年マンガにまで手を出していたのは中学生の頃か。

この本は文庫化されたばかりだが、実際に書かれたのは1980年、著者は昨年急逝している。

そう、1980年はまさしく、私にとってマンガを読んでいた時代の終りでもある。その後、「読み過ぎによる弊害」か、突如興味を失ったのだが。

さて、”マンガ史”であるから、ここに書かれているのは、まさしく戦後、少女マンガがどういうテーマを取り扱ってきたか、そしてもちろん、人気の画風の変遷といったものである。

戦後、テーマは、母と子、家族の別れと再会、裕福な暮らしへの憧れ、外国への憧れへと移っていく。

その後当たり前となった、男女の恋、というものはしばらくは取り上げられることも無かった、という不思議。

そもそも、少女マンガを読む対象は12歳、あるいはそれ以下であったという事にも驚く。

学園もの、歴史物、少女の内面を深く描いたものが出てくるのは戦後20年経って、ようやっと昭和40年頃からなのだ。それと共に読者年齢が上がり、徐々にハイティーン向けのマンガ雑誌が創刊されていく。

「そうか、私が読んでいた時はこの時期に・・・」そう思いながら見ていくと、次から次へと出てくる漫画家の名前も絵柄もほとんど思い出すことが出来る。

「いやー、ホントに読んでいたのだ。」と自分に呆れることしばし。

いずれにしても、この本を楽しむにはやはり、マンガを読んでいた事が大事な事である。

いくら「マンガ」史とはいえ、知らないマンガ名をいくら並べられても苦痛でしかないから。

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2007年9月 6日 (木)

『ル・コルビュジェを見る』

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『ル・コルビュジェを見る』越後島研一著・中公新書

この本の中で、”コルビュジェは建築界のスーパースターであるから”と称した箇所があり、「ナルホド、確かに。」と1人頷く。

ちょうど先月、森美術館で「コルビュジェ展」(9/24迄開催中)を見たばかり。その時の混雑ぶりを思い出したからだ。

実際に国立西洋美術館以外の作品は見たことがないけれど、これだけコルビュジェに関する情報があると”何となくわかった気がして”しまうものだ。

そうは言っても、「じゃ、どう評するの?」と聞かれれば、おそらく、サヴォア邸とかロンシャン教会堂など、いくつか有名な作品を上げて、幾分かの説明が加えられるに程度に過ぎないのだが・・・。

芸術は、見て感じれば良い、と割り切れれば良いが、やはり、興味を持つ→情報を得る→展覧会等を見る→まとまった解説を読む→それを頭に入れてもう一度見る・・・そんな繰り返しの中で、少しだけ自分の意見がまとまる、自分としてはそういうものだと思っている。

前置きが長くなったが、「まとまった解説を読む」という、しかも初歩的な段階でこの本は良いテキストであった。

作品の変遷の全体像、そこにおける問題点、そして、いくつかが特に”名作”と言われる理由。

意地悪にも、”名作には何も問題点はないのか”が知りたい身としても、雨漏りの話も、光が入り過ぎる話も隠さず書かれており、「瑕疵」として訴えられたりしなかったのだろうか、と余計な事を心配しつつ読み進んだ。

そして、このコルビュジェに心酔した、後には名建築家と言われる日本の若き建築家が、その系譜をどのように引継いでいったかまで書かれており、それがコルビュジェの話を離れて、尚面白い。

コルビュジェに興味はあるけど、専門書はシンドイ・・・そんな方にお薦め。

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2007年8月20日 (月)

『若き数学者のアメリカ』

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『若き数学者のアメリカ』藤原正彦著/新潮文庫

そう『国家の品格』の藤原氏である。

1970年代、若き氏がアメリカに招かれ、コロンビア大学で教える機会を得・・・そういったアメリカ生活を自ら綴った書である。

きっかけは、藤原氏の研究発表を聞いた著名なアメリカの数学者が彼に声をかけ、と書くといかにも順風満帆に聞こえるが。

やはり、文句なしに面白い。昨日はラスベガスでスッカラカン、今日は数学クラスの美女に舞い上がり、明日は・・・・ もちろん、業績が評価され、ゆえにコロンビア大学で教える機会も得ているのだが、所謂、堅物研究者のイメージからはほど遠い。

母親である藤原てい氏が、息子の正彦氏を「おっちょこちょいなお前」と称した箇所があるが、まさしくその通り。

この書全体を通じて、藤原氏は自身の”おっちょこちょい”ぶりをふんだんに披露しまくっている。

若い、アメリカ、ほろ苦さ、夏・・・なんかそんな言葉が似合いそうな話であった。

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2007年7月29日 (日)

『憲法の力』

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『憲法の力』伊藤真著/集英社新書

司法試験塾の『伊藤塾』塾長、憲法の伝道師、あるいは護憲派、憲法を語る人として非常に有名な人です。

名前は知っていましたが、著書を読んだのは初めてでした。

まず、個人的には、この本は我が家の憲法バイブルになりそうです。非常にわかりやすく、その解釈にも異論はありません。

何冊か憲法関係の本を読んで、今の政治のあり方、特に安倍内閣の憲法改正論議に疑問を持っていた、いくつかの点も解消されました。

「今年は憲法が施行されて60年であります。憲法を、是非私の内閣として改正を目指していきたいということは、当然参議院選挙においても訴えてまいりたいと考えています」

これは、安倍首相の今年年頭の記者会見での話です。実際、参議院選挙においての争点は、憲法改正とはいかなかったわけですが・・・

「えっ、内閣が憲法改正したい」って憲法でそもそも許されているのか、って思ったのです。でも、そこの所はあまり騒がれないし・・・自分の憲法に対する理解がおかしいのか・・・って。

でも、ここに書かれていました。“憲法九条に明記されている「憲法尊重擁護義務」の違反に当たるって。総理大臣、国務大臣は憲法尊重擁護義務を負い続け、内閣として憲法改正を目指したり、新憲法制定など許されるはずがないのです。”

国会議員の憲法の根本的な解釈の間違い。それを裏付けるようなエピソード、暴言も書かれています。

憲法と法律の違い。

法律は、国家が国民の自由や権利を制限して、「社会の秩序」を守るために制定するもの。

憲法は、国家権力を制限して国民の人権を保障するものであり、国民が守るべき法律ではない。

相変わらず、この理解が浸透していなくて、上記のような憲法改正論議がまかりとおると思うのです。

憲法の話をしてこなかった弊害。伊藤氏はそのように言います。

憲法を知って、国家がその解釈がおかしければ、「おかしいんじゃないか」という世論を形成できる、そんな国こそ望ましいと相変わらず考えています。

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2007年7月21日 (土)

『学生による教育再生会議』

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『学生による教育再生会議』東京学生教育フォーラム著/平凡社新書

“拝啓 安倍総理 あなたの「教育再生」は間違っています。”とサブタイトルがついていますから、挑戦状みたいですが・・・

教育について、その安倍内閣になってからとかくいろいろと取り沙汰されています。

教育基本法の改正やら、教員の免許更新のことやら、授業時間を増やすやら、あっという間に多くの事が決まってしまいました。

でも、正直言って、首を傾げざるを得ない・・・本当にいいの?

この本は、東大、早稲田、慶応、明治、筑波、首都大学東京の「ゆとり教育世代」の現役の大学生が、

“安倍首相率いる「教育再生会議」はいったい教育をどこに向かわせようとしているのだろうか。彼らの根本の問題点は、現場の教師や学生たちの声を反映させる回路がまったくないことにある。現在の教育が抱える問題に対して、彼らの施策は果たして有効なのだろうか”

そういった問題意識を元に、調査、話し合い、勉強を重ね、彼らなりの答えを出したものです。

“はじめに”の中で、“本書の目的は、教育政策の世間での語られ方を変える事にあります。真の改革を成し遂げるためには、学校の実態を客観的に把握し、現場の「声」に耳を傾ける世論の形成が必要です。”

と執筆者の一人が書いています。

以下が目次です。

第一章 ゆとり教育世代が考える「学力問題」

第二章 教師は本当にダメになったのか

第三章 学校選択性はバラ色なのか

第四章 教育委員会はどうあるべきか

終 章  何のための教育改革か

例えば、「第二章 教師は本当にダメになったのか」に対しては、ダメ教師の排除の視点ではなく、教師をサポートするシステムが無いからだ。と言っています。教師を助けようとする視点が抜けている、という事です。

学校選択性のことについても、“選ばれない”側の学校に行くことになる子供たちの気持ち、そこで何が起こるか・・・考えてみれば容易に想像できることを、今、教育改革で進もうとしている路線が置き忘れていることを改めて認識させます。

この学生達の出した結論は、全く奇をてらったものではありません。むしろ古典的な、とも言える位のシンプルなものです。

けれども、考えてみれば、教育とは元々そういうものであって、教師と子供達の人間本来を無視したものでは成り立って行かないものという事なのです。

教師や子供達不在の教育改革に、まさしく一石を投じた良い本であると思いました。

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2007年7月17日 (火)

大江健三郎

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『遅れてきた青年』新潮文庫/『新しい人よ眼ざめよ』講談社文芸文庫

「あれっ、”遅れてきた青年”だ大江のだろ?俺読んだよ、この辺りみんな。」と夫が珍しい事を言う。

「今、buckyは大江健三郎にはまってるんだよ。」と息子。

どちらの反応も”わかっちゃいない”のだが、まあいいか。

そう、少し前に『大江健三郎 作者自身を語る』 を読んで、改めて読んでみたくなって、『新しい人よ眼ざめよ』から読んだのだ。

知的障害のある長男光氏の誕生から成人に至るまで、光氏を取り巻く家族、大江氏自身の心の動きが著されている。

大江氏がその当時傾倒していたウィリアムブレイクの詩の引用まで、十分に味わう技量が読み手に不足していたとはいえ、今の大江氏の作品やエッセイを知る者としては、違和感なくすんなりと入っていくことの出来るものだった。

ところが、である。

『遅れてきた青年』に至っては、「大江健三郎ってこういうものを書いていたのか」という驚きと共に、夫のような”あまり多くの本は読まない”タイプの青年(当時)が読んでいた理由にも合点がいった。

1962年1月発行とある。時代・・・

大江健三郎でなくとも、この時代性が溢れんばかりの作品はいくつか読んだことがある。それらをいくつか思い出した。

60年安保、いやそこへ導かれた原因は戦争か。

作家の想いという以前に、若者の心に影響を与える時代の力の大きさに、今はどうなのだろうか、と複雑な気分になった。

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2007年7月 4日 (水)

『中流の復興』

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『中流の復興』小田実著/NHK出版

「小田実?ベ平連か。」という反応を何度か聞き、先入観というものは恐ろしいもので、「・・・か。」的ものだと勝手に解釈し、私はずっと小田実を読まずにきた。

 

ある時、新聞で小田実の記事を読んだ。「生きているかぎり、お元気で。」とあるではないか。

そこで、小田氏が今75歳であること、末期の胃ガンで余命数ヶ月を告げられていることなどを初めて知った。ところが、書いてある内容は、そんな個人的な収束感やまとめを匂わすものではなく、相変わらず自らの平和活動における考えを力強く述べるものであり、さらには、自分は生きているかぎり元気にこの活動を続けていくつもりです、と上記の言葉で締めくくられていた。

記事の事が頭に残る数日後、この本を見つけた。

正義の戦争はない。

自分は、世界全体を非暴力の世界に変える努力を、憲法に基づいてやっていくべきだと主張すると「非現実的だ」「理想論だ」と言われる。

しかし、テポドンが落ちてくるかもしれないという話は、日本に軍隊も何もなければ落ちてこないと思うし、そもそも、日本は自衛出来る国なのか考えないといけない。

資源も無ければ、食糧の自給率も低い。そんな国は戦争なんてできない。そういう議論無しに「自衛のため」に軍隊を強化する、そちらこそ非現実的で夢物語だ。

戦後の日本は、軍事産業ではなく炊飯器やテレビといった平和産業で復興してきた。これはもう誇っていい。

目次は、

序 章 被害者にも加害者にもならない未来へ

第一章       「戦争に正義はない」からの出発

第二章       「サラダ社会」実現への積極的提案を

第三章       市民自らが政策を持とう-

市民の「政策提言」教育

第四章       中流の復興-日本の「中流」が世界を変える

第五章       古代ギリシャから考える民主主義と文学

第六章       「刀を差さない心」をもつ日本人として生きる

第七章       「日本の価値」とは何か

「あとがき」にかえて-友人への手紙から

 

憲法のこと、教育のこと、今の政治の流れからすれば、「理想論だ」と相手にされないかもしれない。でも、私自身は小田論に私の理想を見た。実現に向けての市民運動が出来るかどうかは別だけれど。

その後、朝日の夕刊に連載インタビューが載った。今更だが、著書をもう少し読んでみようと考えた。

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2007年6月29日 (金)

『中国の不思議な資本主義』

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『中国の不思議な資本主義』東一眞著/中公新書ラクレ

近頃、いろいろな意味でメディアを賑わせている中国。

驚くべき経済成長を見せている一方で、毒物混入製品、子供がさらわれ強制労働させられていた事件、環境汚染等、あまり良くない話題も多い。

1年間に回収した偽札 約174億円

音楽ソフトの海賊版の割合 85

模倣品の市場総額 23兆円

ほかにも作者が発表する前に『ハリーポッター』の新作が出版されていたり、「新薬」と称して発売された製品がただパッケージを変えただけのものだったり。

所謂、「モラルがない、民度が低い」と言われる事件が日常的に起きている。

何故、こういう現象が起きて、それは何が原因なのか。そうして、この行き着く先は何か。

この本には、著者の北京在住の経験からその辺りの考察が書かれている。

日本社会とは比べものにならないほど「親族や友人の相互扶助ネットワーク」が高度に発達している。しかし、社会全般を貫く社会規範、職業倫理が極端に貧弱である。

つまり、行列に横入りしない、ゴミを道に捨てない、借りた物は返す、おつりを誤魔化さない、というルールが守られず、賃金さえもらえれば仕事の内容などどうでもいい、という実態がありながら、契約書など一枚も無くとも、親族や親しい友人の為には労を惜しまず、約束を破ることもない社会。

この結果、人的ネットワークを利用した不正な利益追求が横行し、正にそれが当たり前になっている社会。

古きは春秋戦国の時代から内戦に明け暮れ、人のことなど構っていられないという行動パターンが生まれたと推測されるが、最近では、文化大革命という史上まれに見る壮絶な社会秩序の崩壊が社会全体への不振、他人への不振として広がったと考えられている。

どんな思想も行動も、いつ何時「敵」とされるかわからない極めて不安定な状況。それが人々に「保身」のみを残したという。

鉄鋼生産に代表されるように、「儲かる」となれば多くの人たちがそれで一儲けをしようとする「殺到する経済」→デフレの繰り返し、官僚の恐るべき腐敗・・・

一体この中国で今後どのような経済が発展して行くのか。

旧日本、ドイツのようなライン型か、アメリカのような市場原理主義か、日本との関係は・・・

共産党は・・・

正直言って、日本の何倍もの規模の国を、ある一部から見た考察に過ぎないのでは?といった感じがなくもない。

けれども、火のない所に煙はたたない、というように、結構大きな火種はあちこちに燻っているように感じられる。それが、日々メディアを賑わすニュースなのであろう。

今、多くの「中国を論じる本」が書店に山積みになっている。これらをどう読むか、とても難しい事である。

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2007年6月25日 (月)

『ぼくには数字が風景に見える』

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『ぼくには数字が風景に見える』ダニエルタメット著・古屋美登里訳/講談社

円周率22500桁を暗唱、10カ国語を話す天才の「頭と心の中」。サヴァン症候群でアスペルガー症候群の青年が語る手記である。

サヴァン症候群について、ウィキを見ると、”知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。サヴァン症候群の共通点として、知的障害と共に異常といえるほどの驚異的な記憶力・表現力を持つことが挙げられる。彼らには「忘れる能力」が無いとされ、かなり昔から知られてはいたがその原因は未だ論議されており、正確には掴めていない。”とある。

私には”少し前の作品”で、若い人たちにはおそらく”ずいぶん前の作品”である、『レインマン』 でダスティホフマンの演じるレイモンドはサヴァン症候群をモデルにしたと言われている。

1週間で一つの外国語をマスターしてしまうとか、本当におおよそ常人には想像がつかない能力があることが書かれているが、同時にアスペルガー症候群でもある著者は、対人関係がなかなか上手くいかず、人の気持ちを察知することが難しくて、幼少期は本当に苦労している。

1979年生まれの彼は、今、自らの語学学習の経験を生かした公式サイトOptimnemで、オリジナルの外国語学習プログラムを制作・運営をするに至っている。

自分を暖かく見守る家族、理解者との出会い、症状を客観的に見て、経験を積み重ねることでそれを克服しようと努力を積み重ねる自分自身。

とてつもない天才であると同時に、とてつもない純粋な努力家の青年の物語である。

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2007年6月22日 (金)

『大江健三郎 作家自身を語る』

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『大江健三郎 作家自身を語る』大江健三郎 聞き手・構成尾崎真理子/新潮社

母が「大江健三郎の書いたものは一度ではわからないから、もう一度読み直すのよね。」と言う。
新聞に時々載るコラムについて言っているのである。
「そうそう、ホント。」
じっくり心を傾けて読まないと入ってこない・・そんな言い方が適当だろうか。
だから、私は大江健三郎の本をあまり読んだことがなかった。

元々圧倒的にルポルタージュのようなものが好き。
日頃は、次々とそういうジャンルのものを読み潰していく、少しの感想だけを残して・・・という、あまり褒められた本の読み方をしていない。

ただ、時として、そいうものを読みあさることに虚しさを感じる事があり、ふと、ある作家の小説やらを手にとって、入り込む。今回がそれだった。

大江健三郎について、この本を読んでしまったことが良かったのか、当然、作品から順当に読み進んで来るべきだったのか。
順序としては邪道かもしれないが、私はこの本を読んで、「大江健三郎を読んでみよう」という気になった。(佐高信の「城山三郎」と同じパターンだ)

大江光という障害を持った息子が生まれた。「真摯に息子に向き合ってきた」などと言う、表現はあまり相応しくない程に、表面的な戸惑い、おびえ、笑い、幸せ・・・そういうものを積み重ねながら、彼をテーマに物を書いてきた。もちろん、テーマはこれだけではないが、この息子の存在が自分に大きな影響を及ぼしていると大江は言う。

語りの中に、”・・・知的な障害を持った子供が生まれて、もう43年になりますが、ずっと4歳か5歳のままであるような子供を家内が庇護して暮らす。その庇護の行為の助手のようにして私は横についている。そのようにしてやってきたのです。その際に私は、子供の庇護する側にいるより、障害を持った子供と共に家内を頼りにして一緒に暮らしている(笑)。”という部分があり、何故か、あっ想像していた大江健三郎だと思ったのである。

もちろん、こういったことだけではなく、人生の所々に誰もが大なり小なりの苦悩を抱えており、それにどう向かい合って暮らしてゆくか、という点で、急に大江健三郎がストンと自分の中に落ちてしまった。

やはり、こういう意味で、小説は必要不可欠な物なのであろう。

最後に、この聞き手の引き出し方もまた秀逸である。どんな生まれで、なぜ、こういったものを書くようになるのか、若き日の苦しみ、ノーベル賞前後・・・”語り”には、とても満足感があった。

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2007年6月18日 (月)

『小学生日記』

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『小学生日記』hanae(今は華恵だそうです)著/角川文庫

息子が面白がりそうな本を探していて、偶然見つけました。

パラパラとめくるとリコーダーのテストの事が書かれており、そう言えば奴も「リコーダーがヘタ。」と言っていたな・・・と。

移動教室は八ヶ岳?あれ、おんなじ。

女の子が書いた本らしいけど、読むかもしれない。それにしても、すーっと引き込まれる文章です。

感性が細やかなんだけど、素直で・・・・

著者紹介を見てびっくり!1991年4月生まれ?しかも、この本は小学生の時に出された本のようです。まさしく「舌を巻く」という表現がぴったり。

2000年、2001年と全国小・中学校作文コンクール東京都審査・読売新聞社賞を連続受賞。2002年、全国小・中学校作文コンクール文部科学大臣賞受賞。

文部科学大臣賞受賞作品はこの本に収められています。

アメリカ生まれ、6歳で日本に来て、両親は離婚をしており、モデル、女優もしているようです。

いささか複雑な経歴なのかもしれませんが、これがこの細やかな感性を育んでいるのかもしれません。

「この子、きっと文京区だよ。」やっぱり興味を示して読んでいます。

今は高校生のようです。

このサイトでエッセイが読めます。

http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/hanae/index.html

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2007年6月13日 (水)

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』

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『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』武田邦彦著/洋泉社

アマゾンでの感想や増刷具合から見ると、かなり読まれている本のようです。

何気なく手に取り、ページをめくると「資源7倍、ゴミが7倍になるというリサイクル」という目次がいきなり飛び込んできました。

「何、何?」と興味半分で購入。

感想は、「なんかトンデモナイものを読んでしまったなぁ。」というところでしょうか。

環境問題が人をだます時

第1章       資源7倍、ゴミ7倍になるリサイクル

第2章       ダイオキシンはいかにして猛毒に仕立て上げられたか

第3章       地球温暖化で頻発する故意の誤報

第4章       ちり紙交換屋は街からなぜいなくなったのか

第5章       環境問題を弄ぶ人たち

おわりに

確かにペットボトルの再生は進んでいない、という話は聞いたことがありますが。

まさかペットボトルのリサイクルをすることが、資源を7倍使い、ゴミを7倍増やすなんて・・・。

ダイオキシンの件も、東京大学医学部の教授だった和田攻氏が、論文で「ダイオキシンが人に対して毒性を持つということははっきりしていないし、おそらくそれほど強い発ガン性を持っているとも思われないし、また急性毒性という点では非常に弱い物ではないか」と述べているというのです。ダイオキシンはマスコミの作られた報道だと。

現に、日本人はダイオキシンを含んだ農薬まいた米を何年も食べてきたが病気になった人はいないとか。煙にダイオキシンが含まれているなら焼鳥屋のおやじはどうなのか、とか。

地球温暖化に関しても、アルキメデスの原理から、北極の氷がとけても水位が上がることは絶対ない、とか。

しかし、これがすべて本当なら、現在の環境運動の多くは無駄、ということになってしまいます。

今回、ハイリゲンダムでのG8サミットでのメインテーマは温暖化対策でしたが、「そんなの無意味」と言わんばかりの勢いです。

この本を読んだ方の感想をいくつか読みましたが、「半信半疑。でも、本当はそうなのかもしれない。」という感想が多くありました。私自身、環境問題に利権が絡んでいる、という話は間違いないだろうと思いましたが、ダイオキシンの件、温暖化の件などは裏付けがイマイチ、まだ納得いきません。

先日も息子の参考書で、名古屋市のゴミ問題への取組みの評価を読んだばかりでしたが、ここでは評価していません。

個人的な結論は保留です。もう少し勉強してみるしかありません。

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2007年6月11日 (月)

『官僚たちの夏』

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『官僚たちの夏』城山三郎著/新潮文庫

時代は60年代はじめ、通産省のキャリア、風越信吾を主人公として描かれている。

まさしく日本が高度成長に入り、年平均16%のGNPの伸びを示していた時代である。

「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」、「無定量・無際限に働く」という登場人物の言葉が、官僚がもっとも働いたであろうこの10年を象徴している。

この中にも、次の時代のあり方を予測させる官僚が、主人公風越に<ソツのないやつ>と表現されて登場しているが、今やそこからもさらに官僚は変化してきているに違いない。

「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」というセリフが、もはや大いなる皮肉に聞こえる時代が来てしまったことを、風越信吾が聞いたらどう思うだろうか。

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2007年6月 5日 (火)

『官僚とメディア』

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『官僚とメディア』魚住昭著/角川oneテーマ21

最近マスコミの報道が変だ。

もちろん、当事者に罪はないが、あざらしのゴマちゃんやハンカチ王子、ハニカミ王子がそんなに国民にとって重要なものなのか。

この紙面の裏側にもっと報道するべき何かが隠されているのではないか・・・そう思うと居ても立ってもいられない。

この本の目次は以下のとおり。

・「組織」を優先するメディアの腐敗
(のっけから、安倍政権発足時に起きた、共同通信社社内における、安倍首相の地元スキャンダルもみ消し事件である。)

・官僚の情報操作に踊るお粗末報道
・官僚を恐れ批判しないメディアの弱味
・真実を求めて危険な橋を渡った記者の行方
・最高裁・電通・メディアが世論誘導を共謀

姉歯秀次一級建築士の耐震偽造問題
村上ファンドとホリエモン
鈴木宗男逮捕を巡る問題
NHK「女性国際戦犯法廷」番組の改編圧力と朝日新聞誤報疑惑

それらの真相は何だったのか、この国は本当に大丈夫なのか。

オビで本書を絶賛している佐藤優氏の著書に書かれていた「国策」という言葉、『耐震偽造』でイーホームズの藤田東吾氏が主張していたこと、それらがますます繋がって見える。

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2007年5月30日 (水)

『発明マニア』

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『発明マニア』米原万里著/毎日新聞社

2003年からサンデー毎日に連載されていたものらしい。2006年5月、米原氏が亡くなった月のものが最後である。

ペット・ファッション考

不用になった仏壇の処理の仕方

国家機密の隠し方

自殺天国立国のすすめ

政治家やメディアが放つレトリックの法則

アメリカ大統領に確実に再選される方法

パソコンモニターから視力を守るためのアイデア

・・・・・・・・

ここに書かれている100以上の発明のほんの一部であるが、ご覧の通り、現状に対する皮肉とユーモアをたっぷりと交え、読んでいて思わずニヤリとすること請け合いだ。

こと、日本政府とアメリカには辛辣である。

しみじみと、良い意味で、既成の枠組みから大きくはずれたアイデアの持ち主だったと恐れ入った。

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2007年5月23日 (水)

『母親に向かない人の子育て術』

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『母親に向かない人の子育て術』川口マーン惠美/文春新書

この本を書店で見て、1ページほどめくり、迷いも無く買ってしまった。

どうにかしなくちゃ、と思うから、「中学受験の・・・」とかも買ったりもするが、やはり心のどこかで、こんなタイトルに引っかかる気分があるのである。

確かに、それほど悪い母親だとは思わないし、それほど手抜きだとも思っていない。

しかし、どこかでイメージする「良い母親」、つまり、きちんと躾をし、勉強を見てやり、教育熱心で、健康を考えた食事を作り・・・いつも優しい愛情で包んでやり、安定した気持ちで・・・にはどうにも及ばない。

■躾・・・息子が粗暴でないのを良い事に放置。「こんにちは」と言えず、親の後ろに隠れるような子である(今も?)

理由・・・自分もそうだった。でも、今は違う。どちらかというと人見知りしない。だから大丈夫だろう、きっと。

■教育・・・絵本などほとんど読んでやっていない。息子は今も趣味の本、興味のある新聞記事以外あまり読まない。受験勉強を見てやるのも大人気ない。一緒に競争したりする。自分が勝手にはまる。

理由・・・自分も読んでもらった覚えはあまりないし、母も読んでやった覚えが無いという。しかし、共に活字中毒者である。息子は夫の血が濃い、としか言いようが無い。親は勉強を見てくれたりした覚えがない。

■生活・・・料理はまめにする、掃除もしかり。しかし、ただ、自分がこれらの行為が好きなだけで、子供の好きなものを積極的に作ったりしない。可愛いお弁当、などにチャレンジしたこともない。

理由・・・自分の嫌いなものは食べたくない。見掛け倒しは嫌いだから。

■感情・・・思うままである。笑う、怒る、泣く、感情のまま。

理由・・・それがコントロールできるほど大人ではないから・・・だと思う。

まっ、いずれにしても、この本を読むと「私の子育ては常識の範囲」と大いに安心する。反面、これぐらい大胆にはずさないと子供も大物にならないか、とまた中途半端に不安になったりもする。

「良い親」になろうとして行き詰まった時、お薦めの1冊である。

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2007年5月18日 (金)

『先生で選ぶ中高一貫校』

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『先生で選ぶ中高一貫校』高橋秀樹著/日本経済新聞社

高橋秀樹氏をご存じですか?

長男との受験記『中学受験で子供と遊ぼう』、次男との受験記『父と子の中学受験ゲーム』、を書いた方ですと言えば、多くの方が「ああ、そうか」と思われるのではないかと思います。

ちなみにご長男は武蔵高校から東大に入られ、下の息子さんももう高校1年だとか。

息子の受験に関わっていて思うことは、とにかく親の手助け無しには無理だ、という事。

まあ、11歳ですから仕方が無いんですが、こちらも深みにはまると小さいことが気になったり、一喜一憂したり大変です。

言ってしまえば、彼らには、小さいことの積み重ねや穴埋め作業が、向こう何年かの人生を左右するわけですし、こちらも出来れば心穏やかに日々を送りたいですから、当然と言えば当然ですが。

でも、世の中これが最優先課題か、と問われると、どうも絶対にそうではなく、あまり、小さくまとまっちゃいけない、などと豪語しつつ、世直しの?本を読んでみたり・・・

でも、時々(いや、しょっちゅう?)、日々の不安を打ち消すため、高橋氏の書くような体験記を手にとってみたり・・・

結局、気分的には私自身が一番不安定?だったりするわけで、息子はいい迷惑なのかもしれません。

さて、この本は、入るまでは、門構えに後光さえ差して見える(??大げさな)有名中学の数々。中で子供たちを待ち受ける先生方はいかに、という話です。

高橋氏がいくつかの質問事項を作り、出版先を通して、各私立中学に依頼したもの。「どんな先生に答えて欲しいか」は出来るだけ20代の先生に、理由は、子供たちに一番身近な存在であり、影響を及ぼす可能性が多いから、とか。

全ての学校が回答に応じたわけではありませんが、名前の知られた多くの学校の若い先生方が真摯に答えていらっしゃいます。

「印象に残った本」「なぜ勉強するのか」「大学とはどんなところ」「自分の子供を今自分がいる学校に入れたいか」「携帯電を学校に持ってくることについて」等で、質問も意地悪ではありませんが、答えも簡単なようでいてなかなか難しい。

実名がイニシャルなだけで、学校名も担当教科も年齢もそのままです。

率直な感想は、「20代にして既にこの答えか」というレベルの高いもの。

自分の勤務する学校の方針を良く理解し、普通であれば40代位でやっとこの回答が出来るのでは、というものばかりです。

「読むこと」はとても簡単。

でも感じたことは沢山ありました。

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2007年5月17日 (木)

『辛酸』

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『辛酸-田中正造と足尾鉱毒事件』城山三郎著/角川文庫

日本史には、足尾鉱毒事件と田中正造という名前が必ず出てきます。ただ、あまりにも聞き慣れてしまったため、それで済ませてしまうのが常でした。

改めて少し調べてみると、その事件経過の長いこと。実は江戸時代から銅が産出され、その後民間に払い下げられ、1973年銅山として閉山するまで、その歴史は100年以上も続いたことになります。明治時代には銅が輸出されていた、ということからは、その規模も伺い知れます。

精錬排煙や精製時に発生する鉱毒ガスと鉱毒により、付近の環境は大きな被害を受けることとなったであろうということは、今、考えれば予想の可能な事ですが、江戸、明治にそういった環境リスクの対策の概念があったとは思えません。、住民の権利などがどのように扱われたかはもちろんのこと・・・。

何度も反対運動や裁判が行われ、いまだにそれに関わるいろいろな動きがあることも驚きです。

田中正造が運動した20世紀初頭は、長い足尾銅山鉱毒事件のある一部であったことを知りました。

前置きが長くなりましたが、この本は、晩年、鉱毒を沈殿させる遊水池を作る場所に選ばれた谷中村の住民と共に、国を相手取って、闘う田中正造の姿を中心に、村に残った人たち、弁護を請け負う弁護士、権力側のあり方を、共に闘う1人の青年の心情の動きで書いています。

国という名のもとに、堂々と破壊が行われ、反対するものがおかしい、とするような、権力に対する怒り、反対運動が日の目を見ないあせり、不安、自分の人生への不安、そして、1人1人と力尽きてしまう反対派の住民・・・。

長編ではありませんが、城山三郎の主張が痛いほどわかる作品です。

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2007年5月15日 (火)

『旧制中学入試問題集』

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『旧制中学入試問題集』武藤康史著/ちくま文庫

面白い本を見つけた。

近頃は「旧制中学のリベラルアーツ教育を見直すべきでは?」などと、所謂、教養の大切さが言われているようであり、実際にそれを体現すべく、あちこちの大学で対策がされていると聞く。

旧制中学は今話題の中学受験生にあたる年頃の子供たちが受ける。

したがって、この本に取り上げられている問題は、例えば、我が家なら丁度息子が受けるということになる。

例を挙げてみる。

【国語】

二、左ニ示セル文語ノヨミカタトワケヲカケ

  智勇兼備、優勝劣敗、交通頻繁、百貨輻湊、協力同心。(明治35年 鹿児島県立川内中学校))

二、次の文をだれにもわかるよーにとけ。

  守備少数にて暴徒の勢の敵すべくもあらざりければ、さらに本国より兵を送りて公使以下の居留民をすくはんとせり。(明治40年 兵庫県立姫路中学校)

一、左ノ語句及ビ歌ヲ下段ニ口語ヲ用ヒテ解釈セヨ

  海行かば水づくかばね、山行かば草蒸すかばね、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ。(大正4年 陸軍地方幼年学校)

四、我が日本の国歌(君が代)の意味をお書きなさい。(昭和8年 桜蔭高等女学校)

【算数】

(9)東宮殿下ハ大正十年三月三日東京御出発ニテ御渡欧アラセラレ、同年九月三日東京御還啓遊バサレタリ、御出発ヨリ何週間目御還啓遊バサレシカ。(大正11年 徳島県立徳島第一中学校)

(4)世界大戦争は大正3年ニ始リ同8年ニ終ツタ。神武天皇即位紀元何年カラ何年マデ続イタカ。(昭和10年 東京府立第四中学校)

カタカナだったり、「ように」が「よーに」だったり、質問がするりと入らないものもある。それにしても・・・と私が感じた事は以下の通りである。

1.時代と言えばそれまでだが、質素倹約を説く、戦争を鼓舞する、国民として体が丈夫でなければ国の役に立たない、何があっても天皇陛下などこれでもか、という感じの出題である。

2.例文が無いので、正解がいくつも出そうな書き取りなど、例えば、「セイカイ」正解、政界もそうだが、そのような”詰めの甘い”出題が多い。

3.○○を説明しなさいというものが多い。内容はともかく、語彙力、文章力がないととても書けそうもない。

当時の時代背景を考えれば、かなり「難しい」。驚いたことに、大正時代にはすでに受験勉強の弊害が言われていたとのこと。

尋常小学校卒レベルと、これら上記のような試験に受かって帝大に行くような為政者レベルの学力格差は、今以上であったに違いない。

しかし・・・これに満点を取れるような教育も、想像するにまた痛々しい。

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2007年5月 8日 (火)

『城山三郎の昭和』

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『城山三郎の昭和』佐高信著/角川文庫

この3月22日、城山三郎氏は79歳でその生涯を閉じた。

小柄ながらその毅然とした姿の写真を何度となく目にする事はあったが、あまりにも有名が故に?今まで読むことが無かった。

城山氏本人の作品ではないところから入ってしまったところは、皮肉な話だが、佐高氏の著書は即座に私を書店に向かわせるほど十分に魅力的な内容だった。

志願した海軍で見た欺瞞に満ちた世界。食うや食わずの国民に忠君愛国を唱えさせながら、上層部では堂々とご馳走を食べる、底知れぬイジメ・・・。その世界がいかにまやかしであったかを思い知った城山は、戦争を二度と繰り返してはならぬ。自由に物が言えない時代の恐ろしさを身にしみて知った、言論の自由を奪うことは、まさに諸悪の根源、と、生涯、そのあり方を憤り続けた。

堂々と戦争を美化する風潮を批判し、最後まで、その戦争で得た大事なものを守ろうと奔走したのである。

佐高氏のこの本で、城山が本当に大事にしてきたものが手にとるようにわかる。そして、それはいつの時代かへの感傷でも何でもなく、それらのものを、私達に引き継いで守っていって欲しい、と手渡されてしまったかのような緊張感が後に残る。

「昭和の良心」と言われた城山三郎を偲ぶのであれば、その良心を受け継ぐ意外無い、と改めて思わせられたのであった。

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2007年5月 2日 (水)

『買物71番勝負』

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『買物71番勝負』平松洋子著/中公文庫

ひとつひとつの買物は一期一会の真剣勝負。こりゃもう、切った張ったの恋愛沙汰である。-フードジャーナリストの著者が、出会ってしまった品々を愛を込めて綴るエッセイ。

裏表紙に、こんな風に書かれている。

実は、こんなエッセイが好きである。何故って、私にも「お弁当箱一つ譲れない」といった同じ性癖があるから。

お弁当箱なんてどこにでも売っているし、タッパウェアでも何ででも代用出来る。

それでも、中身の美味しそうに見えないプラスチックの人工的な色には我慢がならない。電子レンジでチン!出来なくてもいい、おにぎりは竹かごに、お弁当は塗りや曲げわっぱに入れたい。

「出会い」があるまで、 悶々と探し続ける。

こうして出会ったのが、このお弁当箱。

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4800円もしたが、ごはんやおかずの過剰な水分を自然に飛ばし、その予想外の美味しさに、見かけだけではない実力を実感した。

ゴミ箱しかり、物干ししかり。

雨の日とはいえ、いくつもピンチのついた物干しハンガーが室内にぶら下がるうっとうしさに耐えられず、代替物を探しに探した。

細いアルミのフレームの、優雅な折りたたみ式の物干しを見つけた時は思わずニンマリしたものだ。

たかがモノ、と言えばそれまでだが、せっかくなら使い捨てにはしたくない。

時として、「なんでこんなことにエネルギーを注ぐのか」と虚しくもなるが、どうにも収まる様子がないのである。

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2007年4月29日 (日)

『偶然の祝福』

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『偶然の祝福』小川洋子著/角川文庫

目次は、

失踪者たちの王国

盗作

キリコさんの失敗

エーデルワイス

涙腺水晶結石症

時計工場

蘇生

連作小説です。『ミーナの行進』や『貴婦人Aの蘇生』やらと続いているような気分で読みました。

いつも思うのですが、よく考えてみるととても悲惨とも言えるテーマなのに、小川氏の手にかかると、不思議な透明感が感じられる。

シュールな童話?、でも実は重い・・・。

読み終わった時、ふっとため息が出ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりに、ゆっくり朝寝が出来るな、なんて思って・・・緩むとダメですね。

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2007年4月26日 (木)

『50年前の憲法大論争』

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『50年前の憲法大論争』保阪正康監修・解説/講談社現代新書

この本は、昭和31(1956)年3月16日に開かれた第24回国会 衆議院内閣委員会公聴会の記録。
案件は「憲法調査会法案について」。
神川彦松、中村哲、戒能通孝という3人の碩学に対し、与野党の8人の議員たちが切り込み、議論が展開されています。

昭和26(1951)年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約が、昭和27(1952)年に発効、日本は独立を回復しました。
それから4年、第二次鳩山内閣。自由民主党幹事長の岸信介ほか60名の議員は憲法改正を目標に、内閣のなかに憲法調査会を設置する法案を提出するに至っています。

それにしても、何故、この公聴会の記録がほんにされているのか。
「それはこの公聴会に登場する人びとが、いまから見ると議員、公述人ともまさしくオールキャストであり、しかも展開される議論がわかりやすく、かつスリリングであるからです。また、この記録を読むことで得られる知見は深いものであり、現代を生きる私たちに資するところ大であると信じるからです。」(現代新書出版部 抜粋)

長い占領と吉田茂の時代が終わり、鳩山、岸、石橋など追放を解除された者たちが新たな政治の動きをしはじめます。この鳩山内閣の二枚看板が「日ソ国交回復」「憲法改正」。
鳩山内閣はこの年の12月23日まで続き、石橋内閣に替わりますが、石橋首相は病で倒れ、翌昭和32年2月25日には岸内閣が成立する、そんな時代です。

さて、質問に立つ側ですが、
自由民主党:山崎巌、眞崎勝次、辻政信、大坪保雄
日本社会党:石橋政嗣、片島港、飛鳥田一雄、茜ケ久保重光
自民党側は戦前の内務官僚と軍人、社会党側は後の委員長2人、労働運動の闘士。
白熱は避けられない、というか、戦前には、この顔合わせは考えられなかったかもしれません。

この憲法はマッカーサー憲法だから、どうしても変えなければいけない、と力説する神川、そもそも憲法の改正は内閣で提案するべきではない、憲法を批判して、検討して、変えるような提案をする権限は内閣には無い、とする戒能等、学者の意見も三様です。

全員が戦前、戦中の日本を知っていることが今と大きく違うのですが、その分上辺だけの議論ではありません。

戦後10年の日本の憲法論議、非常に考えさせられます。

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2007年4月24日 (火)

『それでも私は腐敗と闘う』

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『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール著・永田千奈訳/草思社

VIVAさんの紹介を読んでアマゾンに即、注文してしまいました。

でも、ありがとう面白かった、とは言えないほど衝撃的な内容です。

詳細はVIVAさんの記事を読んでいただければ(スンマセン)わかるのですが、祖国コロンビアの汚職に満ちた政情を「何としても変えたい。安心して国民が生涯を終えていけるような国にしたい。」という決意は想像を絶するものです。

いくら、欧米の上流層にノブレスオブリッジの考え方が日本より当たり前にある、と言っても、何不足ない生活を投げ出して、誰が命がけで、しかも子供と離れてまで、国民の為に狂気とも言える相手と闘うでしょうか。

たいていは、敵のあまりの大きさに自分の無力さを思い知るだけ、ということになるでしょう。

私と同じ年齢・・・日本の裏側の国ではこんな事が起きていた・・・。

少し前に読んだ『イタリア・マフィア』で読んだシチリアともイメージが重なりました。

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2007年4月18日 (水)

『国家は僕らをまもらない』

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『国家は僕らをまもらない』田村理著/朝日新書

憲法とは国家=権力に余計なことをさせないための法律である。憲法の条文に従う義務を負っているのは国民ではなく、国家=権力である。したがって、憲法が定める人権とは、国家=権力に余計なことをさせないでまもられる個人の利益である。国家=権力を制限して、人権を保障するために憲法を定める。こういう考え方を立憲主義という。・・・

このような憲法学のエッセンスをどれほど熱心にといても、学生さんや市民の方々の心には届かない。彼らにとって、国は僕たち国民をまもってくれる「頼れる味方」である。憲法は僕たちの国のあり方を定めた法だから、僕たち国民の1人ひとりがそれを遵守する義務をもちろん負う。

何よりも必要なことは、僕たちが国家=権力を「頼もしい正義の味方」だと一面的に信じ込む、国家=権力観を改めることだ。(以上、抜粋)

この本には、こういったことが身近なヒーローに絡めて、とてもカジュアルに書かれている。

よくぞ言ってくれました。私は田村氏の言うとおりだと思っている。

改憲を推進する人達からは「・・・家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくものなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない。・・・私は徴兵制というところまでは申し上げませんが、少なくとも国防の義務とか奉仕活動の義務とかいうものは若い人たちに義務づけられるような国にしていかなければいけないのではないか・・・三つしか義務がないような日本国憲法では困る。」(同抜粋)
こんな声も多く聞かれるようである。

でも、いつも思うのは、こういう事を言っている人達の、「自分は関係ないけど」という空気。
美しい国を唱える人も同じで、「国を守るって、まさか、自分が最前線に立って体張って頑張るんでしょうね。敵に討たれるとしたら一番先だよね。」と、聞いてみたくなる。
「国を守るのにいろいろな形があって、必ずしも前線に出なくてもそれはそれで・・・」なんて言いそうだけど。

社長が偉くて、黙ってその命令だけきかせている会社にろくな話が無いように、国もまた同じ。

耳障りの良い話の裏に、なにか怪しいカラクリが隠れていないか、必ず疑ってみたい。

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2007年4月15日 (日)

『流星ワゴン』

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『流星ワゴン』重松清著/講談社文庫

友人にずいぶん前にもらったのに、放置していたことに気が付いた。

読後感は・・・うーん、主人公の思いの一つ一つがもう現実に実感出来るもの、あるいは想像に難くないものとして、迫ってくる。

そして、あまりにも、知らないうちに同じような間違いを犯しそうで、いや、実際、どうなんだろうか・・・

38歳の自分と父親、自分と中学受験をする小学六年生の息子。そして妻。

「普通の幸せな生活」は誰にも手が届きそうで、実は簡単にはいかないもの。家族とは、マイホーム、家族形態、収入、学歴そんなものを重視するだけではやはり成り立たない、人間一人一人の思いが複雑に絡んだもの、と改めて考えざるを得ない。そんな話であった。

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2007年4月13日 (金)

『貴婦人Aの蘇生』

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『貴婦人Aの蘇生』小川洋子著/朝日文庫

『物語の役割』を読んで、その後に小川氏の作品を読むと、少し読みが深まる気がする。

小川氏が『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞した際に、それを読んだときは、正直あまり印象に残らなかったが、最近とても氏の作品が気に入っている。

何だろう、年齢のせいか・・・

変人と言われた伯父さんが残した剥製に溢れる館。そこに住む残された80歳のユーリ伯母さん。

たまたま義弟である父親が亡くなったために、伯母さんと住む羽目になった大学生の”私”とボーイフレンドであり強迫性障害を持つニコ。

剥製マニアのオハラという謎の男。

このユーリ伯母さんがロマノフ王朝の生き残りアナスタシア=Aではないか、という話の展開。

とても普通ではない舞台設定、気味の悪い剥製に溢れる館、80歳のロシア人の老女、障害を持つ青年、謎の男・・・

しかし、紡ぎ出される話はとても透明感と信頼感に満ちた内容だ。

私とニコ、私と伯母さんはもちろん、伯母さんとニコの信頼関係。

虚栄に満ちた人間の俗物性こそが、いかに醜いか思い知らされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんと、まだ『博士の愛した数式』を私は読んでいない。やっぱり読んでみよう!と思わせる一冊であった。

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2007年4月10日 (火)

『社員をサーフィンに行かせよう』

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『社員をサーフィンに行かせよう-パタゴニア創業者の経営論』イヴォン・シュイナード著・森摂訳/東洋経済

企業は前年を上回る予算を作成し、それをクリアすることで成長拡大していく。
限りない消費があるのか、あるわけがない、と思う。
既にあらゆる製品で飽和状態になった欧米、あるいは日本に市場を見いだせなければ、今、驚異的な成長を遂げるインドや中国にその矛先は向けられる。
でも、それが無くなったら・・・?
その時、地球は今の環境を維持できるのだろうか?既に、あちこちで、人間が好き放題に垂れ流し、破壊してきたしっぺ返しが、温暖化や大気汚染となって人間を蝕んでいる。

1人1人がどんなにゴミを出さないとか、ハイブリッドカーとかに乗るとかの小さな努力を積み重ねても、どこかで起こった戦争による破壊は、その努力を一瞬にして踏みにじる。

人間同士の共生どころか、地球そのものとの共生をも、もはや考えないわけにはいかない。

買い物を娯楽とする価値観、美食を追及する、常に新しいモノを追及する価値観を早急に転換すること、それが問われているのかもしれない。

「パタゴニア」の理念は言う。

”地球が健康でなかったら、株主も雇用主も社員も存在できない”
地球環境は既に危機的状況にある。製品を作る以上完全に環境に影響を与えないとはいかないが、自分たちは出来る限り、そうならない努力をする。

自分たちは、売るためにみせかけの広告は出さない。本当に欲しがっている顧客のために、環境破壊や人体に悪影響を及ぼすことに荷担しない製品を、必要なだけ提供する。成長は自然なペースで良い。大企業より良い企業でありたい。

理念が明確だから、多少困難があってもオーガニックのコットンに全部切り変える。その色を出すために環境に良くない染料が使われているとわかったら、即、その製品は製造中止にする。

その理念が、社員1人1人を大事にし、生活の楽しみを大事にし、仕事の質を大事にし、口先ばかりではなく地球環境維持のための「実際の行動」に駆り立てる。

このパタゴニアのことは、当初、「本当にそんな企業があるのか」と話を聞いた多くが疑いの目を向けたというほどだ。

私自身はスポーツで一番泳ぎが苦手、もちろんサーフィンもパタゴニアの製品を買うこともない。

しかし、これもまた売るための一つの切り口にすぎないような”LOHAS”という言葉の1人歩きに比べたら、十分本物の匂いがした。

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2007年4月 1日 (日)

『超「東大脳」の育て方』

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『超「東大脳」の育て方』伊東乾著/PHP研究所

「あっまた、イトウカワクだ。」と息子。「ケンだよ。」「知ってるよ。」

「また」と言われてしまったが、私は伊東氏の著書は、今のところ、中味を確認することもなく購入する。

誤解の無いように付け加えておくと、息子を「東大に」と考えているわけでもない。(そりゃ、何年か後に息子が一念発起して実現してくれればうれしいが、今はちょっと考えられないし。)

そして、タイトルがちょっとねぇ、と思い(ごめんなさい)、それでも、やっぱり期待通り、という読後感を持つ。

伊東氏の著書は、昨年、『東大式絶対情報学』を読んだのが最初だった。

肩書きには東京大学助教授、作曲家=指揮者、とある。

毎朝習慣のように職場近くの本屋により、何かめぼしいものを手に取る。

その流れの中で偶然読み、なんと2度繰り返し読んでしまったのだ。

東大の情報学環助教授としての伊東氏が、学生達に、学問を深く探求し、アウトプットし、さらに客観的な視点を取り入れ、発展させるためのノウハウを惜しみなく教授する。

非常に早い段階で、“気づき”を習得した学生達の学問的、人間的成長振りには、さすが「東大」と思わざるを得ない。

具体的には、キーボードをブラインドタッチで、という事にはじまり、メールの書き方、HP上のコミュニケーションの取り方、どういう相手とするか、プレゼンテーションの仕方等、言葉にすると、えっ、と思われるほど、基本的な事だが、何をどのように指導するべきか明確である点、そこに手を抜かないことなど、厳しく学問を究めることを期待する、人間的成長を期待する学生への愛情以外の何ものでもないように感じた。

ずいぶんと前置きが長くなったが、この『超「東大脳」の育て方』では、東大に入学することが最終目的ではない、東大に入ってからもますますその能力を伸ばすことの出来る子に育てるためには、ということだ。

しつこく言うようだが、この伊東氏の著書はには、本屋で並べられている他の本と似たようなタイトルでいて、切り口がかなり違う。

教育されるべきなのは、まず「大人」であり「親」であり「教師」でしょう。そこで問われるべきことは小難しい理屈ではありません。「人間らしく心に潤いのある生活をあなた自身が送っていますか?」子供より先に、まず大人たちが、こう問いかけあい、答えあうことからスタートするべきではないでしょうか。それなしに、子供にだけキンキン言っても、何の効果もないばかりか、かえって悪影響が出てしまいかねません。「超東大脳」を育てるために、普通の親御さんができることは、「隗より始めよ」で、まずご自分自身が、子供とともに本当に幸せになろうという意識をもって値引きなしに行動することだと、私は考えます。(抜粋)

「超東大脳」の育成に必要なのは愛の実践、であると。

どんな親だって子供を愛しているだろう。

しかし、難しいのは、愛の質であり、それは親自身の生き方を最後まで問われるものだから。

「私は無理だったから、あなたには頑張って欲しい。だから勉強して。私はもういいのよ。」という話では通用しない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊東氏の著書を読む度に、「学ぶとはこういうものである」と思い、「子育てとはこういうものであろう」とも思う。

特に『東大式絶対情報学』では、その学びのあり方がうらやましくて、2度読むことになった。

今となっては、もう、子供の背中を押す側にしか回る事は出来ないが、まずは自分自身である、という事を忘れないようにしたいものだ。

最後に、『超「東大脳」の育て方』に、東大脳を超えた学生の事例があるが、あまりにも痛ましく感動的である。

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2007年3月27日 (火)

『ヒトのオスは飼わないの?』

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『ヒトのオスは飼わないの?』米原万里著/文春文庫

米原氏がこんなに愛猫・愛犬家であったとは・・・kumeさんなら気持ちがわかるんだろうな。

捨てられている野良猫を拾わずにはいられない。そうして増えた米原家の犬、猫達にを取り巻く、周囲の同様に彼らを愛する人達。

その動物を介した親密なコミュニケーションぶりには目を見張るばかり。別の世界を知った気がした。

米原家に連れ帰った犬、拾ってきた猫、はたまたロシアからアエロフロートで連れ帰った猫。

彼らと過ごした日々が、溢れんばかりの愛情と共に生き生きと書かれている。

個人的には犬や猫を飼ったことのない私でも、通勤電車(幸い7分だけだけど)に乗るわずかな時間で十分に引き込まれ、「えっ、そしてその猫ちゃんはどうなったの?」と入り込んでしまうほどだ。

しょっちゅう看板を書き換え、病院の名前を変える獣医のとのやり取りも最高に面白い。

動物が好きな人達って・・・と思わざるを得ない。

ところで、皮肉な事に、私の父は獣医なのだ。

かつて母に言われた事があった。「あんたたち(妹も)はあんまり動物に興味がないわね。」

そう、身近な存在でありすぎたせいか、それによって行動の自由を制限されているとでも潜在的に思っていたのか、母の認識は正しかった。

今、我が家にはオカメインコがいる。もちろん、愛鳥家を自認する夫に不思議なほどなついている。彼の心持ちも米原氏の猫を愛する気持ちと変わらないのか・・・

そりゃ、私はオカメインコにとってはどうでも良い存在なはずだ。妙に納得した。

いずれにしても、ヒトも動物も正面からきちんと愛情を注ぐべきことには変わりないな~、と思いを新たにしたのであった。

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2007年3月19日 (月)

『バール、コーヒー、イタリア人』他

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『バール、コーヒー、イタリア人 グローバル化なんのその』島村奈津著/光文社新書

『イタリア・マフィア』シルヴィオ・ピエルサンティ著・ 朝田 今日子訳/ちくま新書

これらは、先週読んだ本。イタリアの表と裏のような話だった。

■『バール、コーヒー、イタリア人 グローバル化なんのその』

著者の島村氏は著書「スローフードな人生!」で”スローフード”という言葉をメジャーにした。

そのスローフードを大事にしてきたイタリアの、サッカーと並んで有名な「バール」の話。

”BAR”と書くが日本の所謂”バー”ではない。もっと、イタリア人にとって日常の生活に組み込まれたコミュニケーションの場、とでも言おうか。

この「バール」がいかにイタリア人にとって大切なのかを裏付ける話が、イタリアには「スターバックスが1軒もない」とという話だ。

イタリア人は、イタリア料理が今でも、一つに決められないように、土地によって違う事をとても大事にし、人とを違うことを大切にする。

だから、同じ味のコーヒーが同じような空間で同じように提供される事を拒む。

口から先に生まれてきたような人が多いイタリア人だが、バールで働く人に(ここでの言葉を借りるなら一流のバールマンか)必要な能力は「話を聴く力」だという。

一流のバールマンのいるバールには多くの客が集まり、そこがコミュニケーションの場になる。多くが惹きつけられるイタリアの魅力は、そういった「違い」であることを、イタリア人は知っている。

他方で、相変わらず搾取されるコーヒー豆の産出国の人々の現状なども詳しく書かれており、「バール楽しや」では終らない読み物となっている。

■『イタリア・マフィア』  

「カンターレ、アモーレ、マンジャーレ」(歌って、恋して、美味しいものを食べて、とでも訳すか)と、美食とファッションと芸術と・・・と、いかにも豊穣でおしゃれなイメージばかりが先行するイタリア。

反面、マフィアといえばイタリア、とも結びつく。

この本で書かれているマフィアの話は「血も凍るような」というのがふさわしいような内容だ。

メイン舞台であるシチリアの現状、そこには為す術も知らず、おびえる人達がいる。

マフィアの力、ルール、それを侵した者を決して許さない残虐さ。

何故、その地にマフィアが蔓延ったのか。それは、かつてそこを統治したスペインをはじめとする統治国の秩序の無さに起因するとある。

マフィア撲滅のために立ち上がる人達。でも、彼らはわかっている。「次は自分の番」という事を。

イタリア全体を見回した時、このマフィアの問題がどれほどに、国民生活に影響しているのか。

何かで、イタリア人は、「何事でもいざという時は、そういう運命だ」と思うんだ、という話を読んだことがあったが、日常のあらゆるものへのエネルギーの注ぎ方一つしても、日本人には無い緊張感を感じたのである。  

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2007年3月16日 (金)

『小学五年生』

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『小学五年生』重松清著/文藝春秋

今朝、新聞でこの本の広告を見たとき、すぐ、買おうと思った。

まあ、五年生の男の子のこと知りたいのは当然じゃないか、という感じだ。

職場の近くの本屋でこれを買い、昼休みと夕食後で読み終えた。

「五年生の男の子って子供~。」

ジンと来る話もいくつかあったが、良くも悪くもそれが率直な感想だ。

同時に、感じやすく繊細で、思わず「ぎゅっ」としたくなる。

男の兄弟もいないし・・・と思っていたが、「男の子」ってなかなかなのだ。

早く大人になって欲しいと思う反面、この時期特有の素直な無邪気さが「宝物」のようにも思える。

同時に、これを内包しつつ大人になるとしたら、男性をあんまりいじめちゃ??いけないな、と考えたりもした。

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2007年3月12日 (月)

『IKEA 超巨大小売業、成功の秘訣』

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『IKEA 超巨大小売業、成功の秘訣』リュディガ-・ユングブルート著・瀬野文教訳/日本経済新聞出版社

つい何ヶ月か前に、ニュース雑誌の類で小さな記事を目にした。

そこには「イケアの創業者イングヴァル・カンプラード。彼がいかに大金持ちで、いかにケチで風変わりな経営者か」、という事が書かれていた。

もちろん、「イケアのカタログ発行部数が1億6000部である」という驚くべき事実もだ。

日本には最近になって本格的に上陸したイケアが、既にそれほどの巨大企業だったことを知らなかったこともあるが、経営者の偏屈ぶりというのは妙に興味を惹いた。

最近になって、この本を見たとき迷わず購入したのはそんな理由である。

この本に書かれているのは、単に「成功の秘訣」だけでない。

1926年生まれのイングヴァル・カンプラードが生まれた当時のスウェーデンという国がどういう状態だったか、彼がどんな青年期を過ごし、どういう風にして事業を起こすに至り、IKEAをこれほどの企業にしたのか、それらが、カンプラードという人物を興味深く際立たせながら、スウェーデンの歴史ばかりか、ヨーロッパの歴史をも語りながら話が進む、とても面白く読める本でもある。

世界屈指の富豪でありながら、背広も着用せず、何年も前の着古したシャツを着て、割引切符を使い、ご馳走にも興味がない。

さらに驚くべき事には、「彼にセンスなどというものはない」とまである。どういうことだ!

現場に口を出さずにはいられない、偏屈な経営者と世界をまたにかける巨大企業の摩訶不思議。

偶然が導き出したものか、はたまた必然か。

過酷な労働条件、公害製品など、もちろん、数々の大きな失敗をしつつもしつつも、共通して読み取れるのは、間違いに気が付いたときの対応の速さ、正直さだ。

北欧家具の合理性、スマートさ、センス、というもののかけらもない創業者に唖然とさせられながらも、つい、愛情を抱いてしまいそうになるのは私だけか。

今後、IKEAで商品を見る機会があれば、思わずこれらの数々のエピソードを思い出さずにはいられないだろう。

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2007年3月 8日 (木)

『物語の役割』

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『物語の役割』小川洋子著/ちくまプリマー新書

筑摩書房のサイトを見ると、”「ちくまプリマー新書」は、特に若い人たちに、最初に手にとってもらいたい新書”とある。ジュニア向け?と思っていたが少し違ったらしい。

そんなことで、1時間も読めば、内容は大方読めてしまう。

ところが、この本はとても良い内容だった。

自分がどのように本と接してきたか、小説家になるためにどのような勉強をしたか。

小説のイメージをどのように作り上げていくか。

人物より先にそのシーンを想像してみる、とある。例えば、どのような部屋の、どのようなカーテンで・・・そこに老人がいて、その人はどのような人生をたどっていて・・・

「自分は、作り上げられていく話の後をついていくような感じで小説を書く。自分が先頭に立って話を引っ張っていくようでは出来はたかが知れている、自分の想像も及ばないようなところに小説が広がっていくと良いものが書けたりする」というような話には、”後を追うのか”と驚きを感じた。

好奇心と、深い観察力、すみずみ漂う謙虚さ。

是非お薦めの一冊だ。

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2007年3月 7日 (水)

『教育と国家』

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『教育と国家』高橋哲哉著/講談社現代新書

多くの方が、昨年夏に、同じ高橋氏の著書『靖国問題』が書店に積まれていたのに気づかれたのでは?

氏の考え方には賛否両論がもちろんあると思う。でも、私は賛同している派だ。

この本は2004年10月に書かれたもので、書き出しは「戦後教育悪玉論-教育基本法をめぐって」とある。

マスコミに大きく取り上げられるいくつかの少年犯罪をきっかけに、当時官房長官だった安倍氏の「この国 この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ」を、はじめとする教育基本法改正論者の勢いが増すところからはじまる。

何故、少年犯罪が教育基本法の改正に直結するのか。果たして、問題は教育基本法にあるのか。

教育基本法改正の目指すものは?愛国心とは?伝統文化の尊重とは?日の丸・君が代の強制の是非・・・この本ではそれらを一つ一つ検証する。

改正推進派の目指すものは次の発言に表れているとある。

「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。」(西村慎吾民主党議員2004年2月26日新聞記事)

私にはどうもこの感覚が理解できない。まず、何故「国」にそれほどこだわるのか。「命を捨てて国を守る」という発想は、そもそも敵があることを前提としている。

いつか攻められるからか、それとも攻めるつもりだからか。

愛を説くなら、愛国心ではなく、国を超えた人類愛を説くべきではないのか。

そもそも、国家とは何か。国家とは誰か。

大きく膨れ上がって、「国」が大いなる権力も持って今や国民を脅かしているかのごとくである。

ここにも書かれているが、他でも何度か目にした、ゆとり教育推進派の1%エリート99%の非エリート選別論、遺伝子切り捨て論。このこともその思いをなおさら助長する。

国会議員は国民の投票によって選ばれる。内閣もその多くは国会議員から構成されるのだ。

主権在民。が、しかし、国民が選んだ政府機能がある種の権力を集中させることは避けられない。

このまま黙って国を愛して、家庭教育だけに目を向けていて良いのか。実際、教育基本法は動き出してしまったではないか。

高橋氏の言葉にも、「社会科の時間は、そういう政治的教養を身につけ、公共性に対する関心を十分喚起するべき場でしょう。」とあるが、まさしくその通りである。

常に、国のあり方に緊張感を持つ事、批判的な目を持つ事。

そういう成熟した関係が持てたとき、初めて愛国心を感じるはずだ。違うだろうか。

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2007年2月28日 (水)

『無銭優雅』

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『無銭優雅』山田詠美著/幻冬舎

久しぶりの山田氏の本。

sadaさんの記事で面白そうだったから。

そして、山田詠美って「う~ん、すごい」って認識を新たにした。

42歳の男女の恋か・・・そう、人間年をとったからって簡単に大人になるわけではなく、60歳の自分が今とあまり変わりないであろうことは、容易に想像がつく。

この主人公の想いの片鱗を、皆どこかに隠し持っていると思うけど、私はかなり持っている。そして大いに共感する。

なんと言っても舞台までが、(クサイ言い方だけど)私の青春時代と重なる。吉祥寺?五日市街道?ああ、あの肉屋さんも知っている。私も栄と同じ大学の出身だ。

sadaさんには「一応東京に住んでますから、土地感は・・・」などど言っていたが、トンデモナイ!まさしく「その地」の話であった。

同じ年齢ということだけで(厳密には少しだけ誤差があったけど)、少なくとも同じ時代を生きてきた共感がある、というストレートな感想もあるけど、時間や人への想い、この本を読みながら「ああ、そう、そうよ。」と何度つぶやいたことか。

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2007年2月22日 (木)

『ロスチャイルドの密謀』

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『ロスチャイルドの密謀』ジョン・コールマン博士、太田龍/成甲書房

物事は、見ようと思わなければちっとも見えないが、一度何かについて知ろうと思うと、その件に関して膨大な情報があることに気づく場合が多い。

この本の中には、脈々と続くロスチャイルド家が、どのようにその莫大な資本を増やし、何を牛耳って世界制覇(まさしく他に言いようがない)を成し遂げて来たかが詳細に書かれている。

彼らは単なる富豪の一族ではなく、18世紀から各国の支配階層を金で繰り、今なお、世界的な大企業、軍事、石油、金融など、もちろんマスコミをも全てを支配しているという。

以前、全く別の本で、アメリカは日本を都合の良いように繰っている、しかし、その最高峰は決して大統領を頂点とするエリートではなく、「奥の院」とも言うべき権力者である。という話を読んで驚いた事があるが、そこで言う「奥の院」とはまさしくロスチャイルド?

ナポレオンもビスマルクも、所謂歴史の権力者はロスチャイルドに動かされていた、という。当たり前のように言われている世界史にもう一枚裏側があると?

戦争も仕掛けられた対立で、そこから生まれ出た莫大な金がまたロスチャイルドネットワークに吸い込まれていく、という。かつての日露戦争も、ロシアにダメージを与えたかった彼らが日本のに戦争支援申出をしたという・・・

これは、何?書いている人達が奇想天外、被害妄想なだけ?

偶然とはいえ、読んだ本の数冊で同じような事が書かれていると、「まさかね」では済まされないような・・・

ちょっとインターネットで調べてみた。「知っている人は知っている」ということか。

3度目の国家破綻が来るのかもしれない、ちょっと背筋が寒くなった。

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2007年2月15日 (木)

『狼少年のパラドクス ウチダ式教育再生論』

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『狼少年のパラドクス ウチダ式教育再生論』内田樹著/朝日新聞社

神戸女学院大学の教授であり、『下流指向 学ばない子供たち働かない若者たち』をはじめとする著書も多いが、私自身は初めて読んだ。

「教育再生論」とはあるが、内容はいたってカジュアルな書き方でブログで書き綴ったものが主体となっている。

意外にもその多くは大学教授という立場から見た、日本の大学経営を憂える視点である。

日本の借金が膨らむのを知っていながら、「自分が」責任を取る人間がいないから、ますます膨らみ続ける図式が指摘されるが、大学も同じだと言う。

少子化による志願者の減少から、大学の規模拡大は破綻への道だと知りながら、誰も止めることが出来ない。

新しい学部開設に頼るも、物珍しさで学生が集まるのは2,3年。その開設費が、その後に重くのしかかる。

小学生からの囲い込みに必死な現状。

これは、大学の縮小を図っていくしかないことは明かではないか。でも、誰もそれを実行出来ない。

5年間に1本も論文を書かない教授。歴史も計算もわからない学生。

もはや、極貧でも、研究が楽しくて楽しくて、という輩でもなければ大学の職員には向かない・・・etc

あまりにも夢がないと言えばそれまで。さらに、

話が飛躍しすぎの感も無くはないのですが、日本は幕末の松下村塾のような私塾が、政治を動かす大物を輩出してきた。

教育に国が介入しすぎるとろくな事はない。小粒の人間ばかり作ってどうする。小粒なら「言うことを聞く」という事だったのだろうが、最近では小粒すぎてハシにも棒にもかからない、このままでは日本が危ない!と。

産学協同というか、実践に結びつく教育が重視され、特に日本人はそれを好む傾向にあるが、もっとリベラルアーツを重視せよ!

それにしても・・・

この本をどう読むか、解釈はいろいろと思うが・・・

ゆとり教育の反省、高校の未履修の問題、そしてコレか。一体日本の教育はどこへ行くのだろうか。

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2007年2月 9日 (金)

『買えない味』

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『買えない味』平松洋子著/筑摩書房

第16回「Bunkamura ドゥ マゴ文学賞」受賞とのこと。フードジャーナリストと肩書きにあるが、この平松氏のセンスは好き。(同じ男らしい?匂いを勝手に感じ取っているからか。)

一絞りのレモンの効能、思いがけない冷やご飯の味、箸置きのこと、飯櫃のこと、オビにある山田詠美の評のように匂いや色までも感じさせるエッセイである。

私の「買えない味」は?きっと読んだ誰しもが思うことだろう。

・・・生姜を入れて塩と日本酒を少し、豚肉と干し椎茸と煮込んでとろけるようになった白菜。

オイルと塩を入れて温度を上げたお湯でゆでたキャベツの甘み。新鮮な大根に塩をして、レモンとオリーブオイル、胡椒をひいたマリネ・・・それらを台所でつまみ食いする時。

焼きたてのパンやクッキーを熱々のまま、密かに味見(少し冷めてからが美味しいのはわかっているが)。

日常のヒトコマだけど、買えない味ではある。

そういえば、このエッセイを読んで飯櫃のことにひっかかった。どんなに賞賛されていても、杉や檜の香りのついたご飯はいただけないと・・・

なるほど。

代りに陶器の蓋ものが良い、とある。わっぱのお弁当箱は私もお気に入り。飯櫃が少し気がかりだったが・・・確かに、陶器の蓋ものは、我が家のライフスタイルにより合うかも知れない。もちろん、益子焼きはお手の物だ。

田舎に帰った折に探しに行こう!そんな楽しみを残してくれた。

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2007年2月 6日 (火)

『月に響く笛 耐震偽装』 

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『月に響く笛 耐震偽装』 藤田東吾著/imairu

「21世紀はこの国は変わらなければいけない。」「自分がやったことは間違っていたのか」・・・

藤田氏の想いが最後の最後まで(「あとがき」もない)詰まっている。

読みやすくもないし、書きたいことを漏らさず・・・青い文章かもしれない。でも、今の日本に必要なのは藤田氏のような熱い正義感だと私も思う。

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2007年2月 4日 (日)

『笹まくら』

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『笹まくら』丸谷才一著/新潮文庫

米原万里氏の書評を裏切らず、本当にすごい作品だと思った。

書かれたのは昭和41年ということで、戦後20年が経ち、ある意味で一段落ついた時代だったのであろうが、その後40年を経て、今読むと、「過去の話」には思えないところが、皮肉なものである。

主人公は戦争忌避者である。戦争中、名前を偽って逃亡生活を続ける。いつ見つかるともしれない、戦争に行くのとは違った不安な生活。

それが無事戦後を迎えるが、結局は、「自分は戦争忌避者である」という負い目が、その後の大学職員としての普通の生活を様々な面から脅かす。

明治時代からの徴兵制度がいかに、普通の日本人を脅かしてきたのか、改めて考えてみるべきと思われる。

若き主人公達が、「国家」を論じる場面がある。

「戦争が最大の浪費だからじゃないか。資本家は利潤のために浪費を願うし、その浪費が大きければ大きいほどいい。そして、国家というのは資本家のものだから。」

「(国家というものは)元来、無目的なものだから、維持してゆくことが非常にむずかしい。内的な緊張・・・・党派の争いとか、階級の争いとかが起こりやすい。それを処理するためには、外的な緊張という手段しかない・・・」

彼らの持論をそのまま今に置き換えても何の違和感もない。

もちろん、丸谷氏の評価は高い。それにしても、どうして、この「知」がきちんと引き継がれないのか・・・

問題はそこなのだ、と思った。

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2007年1月26日 (金)

『輝く日の宮』

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『輝く日の宮』丸谷才一著/講談社文庫

暮れに読んだ米原万里氏の『打ちのめされるようなすごい本』で、丸谷才一氏の著書が絶賛されていた。

かつて両親が結構読んでいたのは知っていたが、どうにも田舎に帰るまで待てそうにない。

いつもの書店で探してみると1冊だけあった(きっと大きなところなら”ずらり”とあるだろうけど)。

選択の余地もなく、上記の本を手に取ったわけだが・・・

いやー、驚いた。何がって、その深さにである。

1時間や2時間で読めて、しかも、この1文を読めば元は取れたかな、まあ、いいや。というレベルとは全く違う。

ストーリーは、若い女子大の国文学の講師(途中で助教授になる)杉安佐子の論文と、その色恋をめぐっての話だ。

大きくは3つに別れていて、そのうちの2つは安佐子の論文について意見が交わされる部分であり、テーマは「芭蕉は何故東北へ行ったか」というものと、タイトルにもある源氏物語の1巻に、実は「輝く日の宮」という巻があったのではないか、というものである。

杉安佐子についてのストーリーを読みつつも、この論文が面白く、さらに芭蕉のこと、源氏物語のことに読者は思いをめぐらす。

もっと言えば、”読む側の教養”もまた問われ、つい、源氏物語をもっと知っていたなら尚面白いであろう、と思わせるのである。

ちょっと、こういう読書をしてこなかったな、と反省させられたのであった。

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2007年1月18日 (木)

『「小泉規制改革」を利権にした男 宮内義彦』

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『「小泉規制改革」を利権にした男 宮内義彦』有森隆+グループK著/講談社

ずいぶんとあからさまなタイトルです。これだけで内容がわかってしまうような気がします。

最近まで宮内義彦氏は実業家であり、オリックス球団のオーナーであるくらいしか知りませんでした。

ところが、前回ご紹介した『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』をはじめとした数々の本に次々と出てくる、宮内氏の名前。

やっぱり、今、どのように言われているのかきちんと知らないと恥ずかしいな、と思い読んでみることにしました。

有森氏の論調は決して興奮気味ではありません。そのせいか、シンプルで読みやすい。

小泉元首相の柱となった郵政民営化をはじめとする規制改革。

その旗振りを仰せつかった宮内氏は、小泉元首相にとってはなくてはならない存在であり、宮内氏にとっても、規制緩和=即自社の事業拡大、を推し進めるに当り、元首相の後ろ盾は必要不可欠であったとあります。

数々の規制緩和を、宮内氏がどのように自分の事業に展開していったかももちろん描かれています。

単純明快に、自国の儲けのために、「年次改革要望書」を毎年押し付けてくる米国が以前から欲していたものは郵政民営化による郵便貯金と保険。

小泉元首相の唱える郵政民営化が上手くこれに呼応し、これに賛成した財界人達もまた単純明快に、「自分が儲かる」からでありなどと・・・と読むと、まあ、聞いてはいたけど、ホントに、ナンカ、もう・・・という気分になります。

但し、有言不実行な最近の発言をはじめ、小泉元首相の退陣と共に、宮内氏の周辺の動きには陰りが出てきていると明言されており、70代を迎えた氏の動きの今後は、いささか興味深い気もします。

いずれにしても、問題なのは、こういう人物が登場する土壌のある日本のしくみそのものであり、怒りはよりこちらに向きます。

ちなみに、アメリカが「年次改革要望書」にあげている次なる課題の中に「教育」もあるとか。

またまた、先日の教育基本法改正の動きとの関係を疑わざるを得ないのです。

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2007年1月17日 (水)

『「アンアン」1970』

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『「アンアン」1970』赤木洋一著/平凡社新書

言い訳がましいけど、「懐かしくて」買ってしまったのです。

いや、1970年にアンアンを読むほどの年齢だったわけではありませんが、「かなり売れていた」であろう80年代にはずいぶん読みました。

多いに感化されて、ファッションの世界も通過しちゃったし・・・

今や女性誌はあふれんばかりで、どんなタイプや年齢の女性の興味も網羅している感がありますが、私が10代だった頃、「アンアン」、「ノンノ」、「モア」、少し背伸びして「クロワッサン」、ファッションの情報はそんなものから得ていました。

今となっては、購入することも考えられませんが、憧れの対象であり、小金を貯めてはせいぜい「似たテイストのもの」を買っていたのでした。

この本は、まさにアンアン創刊時の編集者、それを取り巻くモデル、カメラマン、アートディレクターの動きを追ったものですが、「1970年というのは、1980年代と比べるとずいぶんと”昔”だったんだなー。」と思わせるほど、古くささが新鮮?です。

オーダーメイドから既製服に移行しようとした時期、海外に行くことが特別だった時期、スタイリストなんて言葉はなかった時期なのです。

アンアンを読み始めてしばらくした頃、アートディレクターの堀内誠一氏が亡くなったと、追悼のメッセージが載っていた事を覚えています。

当時は「ああ、あのイラストをいつも描いている人」と思った程度でしたが、それがこの雑誌にとってどれほどの人だったかも、良くわかりました。

ファッション、というよりモード。今よりも、おしゃれに希少価値があって、大事にされていた時代ような気がしました。

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2007年1月15日 (月)

『奇跡と呼ばれた学校』

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『奇跡と呼ばれた学校』国公立大合格者30倍のひみつ 京都市立堀川高校長 荒瀬克己著/朝日新書

この話、実は全然知りませんでした。土曜の午後、近所でお茶を飲もう、本でも買って。と書店に入って見つけたのです。

質の低下がさかんに言われている公立高校。そんな中で2001年度6人の国公立合格者から、わずか数年、2005年には180人の合格者を出した公立堀川高校。その数年の歩みがここに書かれていました。

当然、一体誰が何をしてそのような結果を導いたのか、そういう疑問は沸いてくるわけですが、結局この本を読んで感じたのは、

「特別なようでいて特別ではない。」

「本来、教育とはこのようになされるべきものではなかったのか。」

という感覚でした。

同校は京都の教育改革のパイロット校に指定されました。新校舎に改築するに当り、教師達は志を新たにしたとはいえ、メンバーを入れ替えたわけではありませんでした。

普通の先生達が、リーダーのもと、チームを組んで「どうするべきなのか」それをとことん考えて作ってきた学校の成果がここにあるということだと思います。

「大学進学が目的ではなく、その先の人生をどう生きるか」その力をつけていけるようにしよう。

「生徒それぞれの特性をみて指導をすべきか」1人1人の生徒をとことん見るようにしよう。

「学校で勉強するのは当たり前か」1年生が受験の時より勉強している、と言うほどだそうです。

・・・・・

一つ一つ「当たり前か当たり前でないか」に照らし合わせながら学校作りをしてきた、本当にシンプル、かつ大切な目標です。

教師が最善の準備をすることで、生徒に次のステップへの「ヒント」を出す。そのことで、自然と「将来こうしたい、だから努力して大学に挑戦する。」という流れが自然に出てきた、とあります。

もちろん、いじめも問題もないわけではない、でも、出来る限りの最善と思われることを尽くすことで、着実に学校も生徒も先生も階段を上がってきている、そんな空気が感じ取れます。

この話を「特別だから」で終らせてしまうのはもったいない。

教師が改革への意識を高め、実現可能とさせた土壌はどんなものか、その背景を知ることにはじまり、モチベーションを維持させたものは何か、それを生徒はどう受け止め成長していくのか、学べればいい、そう思います。

同時に、現場がのびのびと最大の力を出す、それを信頼して任せる中央、そういった在り方こそ、大切なのではないか、そのことも感じた次第です。

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2007年1月11日 (木)

『たまには、時事ネタ』

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『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子著/中央公論新社

2001年~2006年にかけて婦人公論に連載されていたコラムです。

斎藤氏の陰湿でない、小気味良く、かつ痛烈な書評のファンです。

今回は時事ネタです。

近年、日本ではますます「ものの言いにくい」状況になっているような気がします。

それでも、「おー、よくぞ言ってくれた!」のオンパレードなので、その勇気と度胸に本当に敬服。

・1941年と2001年の気になる符合

・戦争と聞くと血が騒ぐおっちょこちょい

・小泉語録を選んだ流行語大賞の大衆迎合

・タマちゃん報道からクリーンな川を考えた

・『ハリポタ』の一人勝ちで知る本の現実

・牛丼の売り切れをBSEより心配した人々

・負け犬論争の大いなる誤解

・敗戦60周年で考えた近代の「三周目」

・教育基本法の焦点は「愛国心」だけ?

いくつかのタイトルをあげてみました。これだけでも内容は想像できるかも。

2001年、2002年ごろ「まさか、○○になるのではないだろうか。」などと書かれているものが、出版された時点で既に“その通り”になっていることもいくつかあり、内容が内容だけに実はタダゴトじゃなかったりするわけです。

と、いうことは、ここ1、2年の「兆し」のある出来事も、早晩実現されてしまう恐れが・・・

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2007年1月 8日 (月)

『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』

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『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』内橋克人著/文藝春秋

私は内橋氏は初めてですが、著書は何冊もありますからご存知の方も多いと思います。

市場原理主義(ネオリベラリズム)の考え方が、いつごろ、日本には具体的にどのような政策の名のもとに入り込んできたのか。結局、それがどのような結果をもたらしたのか。そのことから話は始まります。

今、さかんに言われている「格差」がまさしくこの結果であるわけですが、「規制緩和」「累進課税をやめたこと」「貿易の自由化」、これらがキーワードであったことをはっきりと指摘しています。しかも、最初から答えはわかっていたと。

問題は、なぜ、そこに黙って導かれてしまったのかですが、経緯が「なぜ、私たちはルール変更を受け入れたのか」という章に書かれており、小選挙区制の導入など、「今思えば・・・」と、思わざるを得ない話ばかりです。

市場が人間を支配する思想に変質した市場原理主義(ネオリベラリズム)が、人心を荒廃させる「悪夢のサイクル」を生み出した。では、これしか道はないのか?

それに対して、内橋氏は、

「国家でもない、市場でもない、第三の道がある。国家が市場を計画し、すべてをきめるのではなく、市場が人間を支配するのでもない、第三の道。それは、人間が市場をつかいこなすという道です。(抜粋)」

と、言います。

これは、すでに北欧諸国に根付いており、社会的格差を許さないコンセンサスがあります。

メイクマネーだけが夢なのだろうか・・・この考えを代表するフィンランドという国が、ノキアを生み、学力世界一を生み、リナックスの考えを生む(また、出てきましたフィンランド。でも広報は請け負っておりませんよ。)。

まさしく「共生」の思想という事でしょう。

いままで、下流社会化現象、格差現象、と何冊か読みましたが、「進むべき社会は共生」と明言しているところに、たいへん共感しました。

今の日本では「そんなお人良しな」、などど言われそうですが、私も根本は「共生」だと思っているのです。

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2007年1月 6日 (土)

『鴨川ホルモー』

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『鴨川ホルモー』万城目学(息子が「“まんじょうめがく”って誰?」とほざいた)著/産業編集センター

自分の冬休みも最後の4日の日、友人とランチをしに駅近くのレストランに。

「今日までお休みなんだけど、ちょっと会社に。」という友人と別れ、駅と反対側の小さな本屋に入った。

気分は「夕方、息子が塾から帰るまでの間に(夫も不在だし)、気楽に楽しく読める本ないかな~たまにはファッション誌でもいいかな!」、というところだ。

うろうろしたらこれが目についた。「『鴨川ホルモー』?1位?何の?」正直初めて見た本で、何の1位かわからなかった。

オビを良く見ると「北上次郎が選ぶ「本の雑誌」(2007年1月号)2006年度エンターテイメントベスト10“第1位”」とある。裏にも「いやはや、面白い」とか、絶賛するコメントが並んでいる。

めったにこういうジャンルの本は買わないけど、たまにはいいかな。

結果、

いやー、面白い?バカバカしい?有り得ない?そりゃ、有り得ない話だから面白いんだろう?まさか・・・ね。

なんて、気持ちが行ったり来たりしながら、結局読んでしまっていた。

まんまと乗せられた?

京都大学の新入生数人を巡っての話で、この作者も京都大学の出身らしいけど。

どんな顔してこれを書いたんだろ?

これじゃ、この本に何が書いてあるのか、ちっとも伝わらないのはわかっているけど、もし手に取って興味が持てそうだったら読んでみて!そうとしか言いようが無い。

じゃ、これに続編があったら読むかって?

うーん、週明けから仕事だし、現実が迫ってきたからもういいかな。

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2007年1月 4日 (木)

『ビゴーが見た明治ニッポン』

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『ビゴーが見た明治ニッポン』清水勲著/講談社学術文庫

この本を読んでみたいと思ったきっかけは、息子の日本史のテキストを見て、である。

「漁夫の利」「ノルマントン号事件」等、今の教科書には2、3のビゴーのイラストが必ず載っている。

30年前の自分の教科書にもあったのかもしれないが、その時は「ノルマントン号事件とは何か」を覚えるのに精一杯。しかし、改めて歴史を見てみると、学生だったときとは全く違う部分に興味や疑問が湧く。

このビゴーの存在もしかり。

何故フランス人である彼が、遠い東の国日本に来て、17年も滞在する決心をさせたのか。

浮世絵に憧れて、帰国後フランスの画壇で名を成すため、あるいは、男色への興味から、とも書かれているが、おそらくそれら全てが理由であるのだろう。

写真技術の拙い明治の時代に、結果、ビゴーの大量のスケッチは当時の生活を今に伝える、貴重な資料となったとある。

特にビゴーが「いかにも日本的なもの」と見た、「子守」「洗い張り」「墓地」などのものは、他の日本人画家が題材にすることも無かったとか。

4400万人ほどの人口(それでも今の半分弱!)、文明開化に翻弄され、身分が高いほど和洋折衷の滑稽さが浮き彫りにされているが、位の高い男と商売女、政治家と事業家、官僚政治、米の価格が下がらない経済苦による自殺の増加・・・どこか、100年後も変わらない日本が既にスケッチされている。

結局、日清戦争後、条約の改正の動きに伴い、外国人居留地の廃止、領事裁判権を失うことでの不安を抱えた彼は、1999年ついに、日本を後にする。

歴史の教科書は、大きな出来事を捕らえるばかりで、なかなか庶民の生活まで掘り下げることが難しい。

こんな、ビゴーのスケッチのようなものを見ることで、「居留地の外国人の生活」「公娼の歴史」「花魁と芸者」とか、そんなものをより知ってみたい、という興味が湧くのも悪い事ではないな、と思ったのである。

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2006年12月26日 (火)

『子どもの「底力」が育つ塾選び』

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『子どもの「底力」が育つ塾選び』小宮山博仁著/平凡社新書

子どもを塾に行かせているからって、勉強の出来不出来が気になるからって、親が「出来るようになる本」を読んで、あんまり右往左往するのは辞めよう。と、思っていた。

しかし、24日の新聞の朝刊に以下のような記事を見て唸ってしまった。(以下、抜粋asahi.comより)

「塾は禁止」教育再生会議で野依座長が強調

政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し主張していることが、同会議のホームページに掲載された議事要旨でわかった。しかし、再生会議が21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。

 議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。

 JR東海会長の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調、国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。

内容は、上記のようなものだった。

行間から何を読み取るべきか。

誰もが思ったに違いない。「じゃ、どうするの?先が聞きたい。」って。

現状で塾禁止?塾の禁止と同時に公教育でその対策をするの、誰が責任とるの?民の活性化はどうなるの?なぜ、いきなり「塾禁止」?

そもそも、塾がはびこる(聞こえが悪いけど)理由があるからそうなるわけで・・・

学校VS塾、という構図はここまで大きな関係になってきているんだから、どちらかを封じるという極端な発想はどこから?

私だって、塾ってこういうものらしい、ということがわかったのはホンの最近で、手放しで絶賛しているわけではない。

でも、ここ3ヶ月ほど子どもの勉強を見ていて思ったことは、やはり、学校の勉強だけでは「定着」させるまでの量が足りないということ。

そうなると、勉強が苦手な子は塾で定着を目指し、得意な子はさらに知的欲求(あるいは受験)を目指すために塾へ行くことになるのか。

教育基本法の話ではないが、不足分は「家庭の教育で」なんてことが掲げられても「家庭力」がどの家も備わっているかというと、またそれも難しい。

日々の生活費のために大変な親だって沢山いるわけだし、個々の家庭の事情は理想に叶うものばかりではないはず。

もちろん、子どもの日々の小さな楽しみも塾という場が提供しているかもしれない。

もちろん、この見方は片側からのものであることは承知の上だけど、まさか教育再生会議の権威のために敵対?・・・は良くないと思うけど。学校との共生への道を探るのが現実的なんじゃないかな。

と、前置き?がずいぶん長くなった。

この本の著者は、30年以上も塾に関わっている。今の学校教育の中身と塾を熟知した上で、

「やはり、どうしてこういう式が導き出せるのか、ということを時間をかけて教えられるのは学校である。しかし、ゆとり教育になって以降、どうしてもその「わかった」ことを「できる」まで引揚げるための繰り返しが学校だけでは十分でない。

学校で知った知識を塾で定着させることで、むしろ学校の授業が分かりやすくなる。

本来、心の内側から学ぶ意欲のわいてくる学びを内発的動機付けの学び、それを身につけさせられる事が将来「生きる力」にもつながり、そのための塾選びとは・・・」

と具体的に「こんな塾は」と続く。

その辺りはナルホドだったり、直感でわかったり、とかなり参考に。

難関中学受験生向けではないところに、変な偏りが無く共感出来るところも多かった。

いずれにしても、子どもが安心して学力をつけられることが大事なはず、そこが置き去りにされがちだけど。

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2006年12月21日 (木)

『打ちのめされるようなすごい本』

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『打ちのめされるようなすごい本 全書評1995-2006』米原万里著/文藝春秋

お友達のVIVAさんに、「もっと実のある本を読みたい」と宣言した私。

「最初から挫けては・・・」と、大好きだった米原万里、500ページ超の遺作。

今年の5月に56歳で亡くなってしまったけれど、この書評を読んで改めて、この人の強靱で奥行きのある知性と精神に感嘆せざるを得なかった。

1日平均7冊!という読書量が、老眼によって難しくなってきたというくだりがあるが、ロシア語通訳の第一人者という立場を維持しながら、いや、だからこそと言うべきだろうが、本当に驚くばかり。

そして、弱者を見捨てる者、ないがしろにする者を許さない正義の熱いまなざし。

性別を超えた骨太の知識人とでも言ったら良いのか。

500ページくらいで泣き言を言っているようではお話にならない。

もちろん、ソビエト、ロシアを背景とした書物を多く読んではいるが、全体に「どこからそんな本を探してくるの?」と思わせるセレクトもかなり多い。

知性が知性を呼ぶのであろう、米原氏に負けず劣らず本を知り、その感想を述べ合う友人、知人が多い事も垣間見える。

このところ、少し時間が経つと「古くなる」感じが否めないような本ばかりを読んで、少し嫌気がさしていたので、読書の魅力を再認識するきっかけになった。

それにしても、米原氏は丸谷才一を強く推している。

ところが、丸谷才一といえば、親が持っていた『文章読本』?くらいしか知らなかった。

頭の中は急遽「丸谷才一ね」の気分なのである。

この書評には、「癌治療本を我が身を以て検証」という章がある。

癌治療の権威を何人か渡り歩きながら、その治療法への疑問を細かく突っ込んで、

「いちいちこちらの治療にいちゃもんつける患者は初めてだ。こうして刺絡療法と共治療費全額返すから、もう来るな」という展開になったのだった。(2006.5.18)

というやりとりが最後に書かれている

やりきれない思いになった。

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2006年12月 7日 (木)

『昭和史』戦後編

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『昭和史』戦後編 半藤一利著/平凡社

日本国憲法制定、サンフランシスコ講和条約締結、日米安全保障条約・・・学校で習った戦後の日本史は、そういった出来事を年代で追う程度のあっさりしたものでした。

今になって考えてみれば、天皇制のこと、憲法改正のこと、戦後補償の問題、自衛隊の事、確かに教えるのは難しいのでしょう。

年数が経てば徐々に見方が定まってくるのが歴史だが、近頃ますます戦後昭和史は揺れているようにも見えます。

安倍政権の渦中にありながら、岸信介の評価を読むのは複雑な心境です。

一部抜粋します。

・・・・・・・・・・

何べんもふれましたが、鳩山さん以上に強力な憲法改正・再軍備論者です。ですから、吉田さんが敷いた軽武装の通商国家路線など目もくれず、あんなものは愚の骨頂であるとして、「戦前の大日本帝国の栄光を取り戻すこと」を政治目標とし、対米従属関係を一切払拭して「自由独立」体制を確立するという壮大なる政策目標を掲げました。

・・・・・・

まあ、現在憲法改正に向けて、安倍氏がいろいろ言われている理由はこんなところにもあるのでしょうね。

あくまでも半藤氏の見方で見た戦後ではあるが、私自身の育ってきた昭和の背景はこんなものだったのか、と思い、あまりにも無関心であった事を大いに反省せざるを得ません。

最後の項で半藤氏が、今の日本に必要であるのは軍事力ではなく他のことだ、と述べていますがそれは本当にそうだと思いました。

「昭和史」全般に渡るこの膨大な書は、すばらしいものだと思います。

ただ、限界というか、戦中戦後にかけては、ますます疑問の深まるところもあり、父が「まあ、悪くはないが・・・」と言っていた理由もわかる気がします。

たぶん、本当にそんな程度のことだったのか、ということでしょうが。

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『おしゃれのベーシック』

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『おしゃれのベーシック』光野桃著/文藝春秋

どうしていたのだろう、と思っていたら5年間バーレーンに移住して仕事を休止していたとのこと。

著者は私より少し上だが、この人の書くおしゃれに関する話がわたしは結構好き。

写真で拝見する限り、趣味も見かけも全然似ていないが、いつも人生におしゃれを絡めて見ている視点がかなり鋭い。

「着こなす」ことは、真剣に人生をおくる人しか出来ないのだな~と改めて思ったりする。

自分らしい着こなしとは何か、TPOをわきまえた上で、自分らしさを追及したい。その辺りも共感してしまうのだ。

思えば、息子が生まれて仕事に復帰するとき、「ああ、もう、あれもこれも手を出すのは辞めよう。」と思い切り自分らしい、似合うと思われる最低限必要な服だけに絞り込んだ。

ふと気が付くと、そのことでずいぶんとおしゃれが楽に、楽しくなっていた。

誰かが「あら、おしゃれね。」なんて言ってくれるようになったのは、どういうわけか35を過ぎてからなのだ。

人よりおしゃれでいたいとか・・・人と比べる事を辞めたら、自分にとって一番似合うであろうスタイルが見えてきた。

そうは言っても、おしゃれに悩める事は幸せで楽しいこと。いくつになっても失いたくないとは思う。

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2006年12月 2日 (土)

『プーチンのロシア』

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『プーチンのロシア』ロデリック・ライン、ストローブ・タルボット、渡邊幸治著 長縄忠訳/日本経済新聞社

日米欧を代表する外交官、ロシア専門家によるロシア論。思ったより堅いな内容で読むのに少し時間がかかってしまった。

先日のアレクサンドル・リトビネンコ氏の毒殺疑惑、少し前のアンナ・ポリコトフスカヤ 氏など、多くのジャーナリストが暗殺されているという物騒な噂が耐えないこのところのロシア。

この本はどちらかというと、民主化、あるいは経済の発展という視点から見たプーチン以後である。

エリツィン以後、ほとんど知られていなかったプーチンの登場。2000年~2003年にかけては、確かに民主化が進み、国民も目に見えて豊かになった。

G7(先進国首脳会議)にも、ロシアは1998年から正式に参加するようになり、G8(主要国首脳会議)になった。

ところが、あたかも大国に返り咲いたかのようなロシアのその後の経済事情は?

プーチン以後のロシアに投資しようとする多くの外国人投資家は、相変わらず蔓延る汚職と、厄介な書類手続きに絡む行政的障壁に辟易している。

極東はひどい状態。人口は明らかに減っており、平均寿命でさえ短くなっているというのだ。

石油やガス、豊富な資源をもちながら「北のサウジアラビア」に過ぎない資源輸出国であるという認識をロシアのエリート達は共有しているともある。

恐るべき「世界の工場」として台頭する中国、ITを進めるインド、比して、ロシアの市場経済は危機感を免れ得ない。

「ロシアの対外政策の最優先事項はロシアだ。」

そう、ソビエト連邦の崩壊は何より経済の破綻だったのである。

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『バカとは何か』

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『バカとは何か』和田秀樹著/幻冬舎新書

「あっ、また新しい新書が出たんだ。」

そんな気分で手に取った1冊。そう言っては何だが、このタイトルに惹かれたわけではなく、和田氏の本なら、なんかスルッと読めるような気がしたから。

“私がバカとは何かについて書いてみたいと思った理由は、バカというのが、精神障害者や精神遅滞のような人たちを指す差別用語ではなく、ダメな人と感じた際に、たとえば親が子に、親方が弟子に、投げかる叱咤激励の類のことばであるという信念があるからだ。”

そんな出だしだ。わかったような、わからないような・・・それはそうだよねと言うか。

今まで何冊か読んだ氏の考えが随所にちりばめられている。「バカとは、バカにならないために」すぐに使えそうな(心がける事は出来そうな?)ヒントはたくさん。

溜め込んだ知識を使いこなす能力がある、メタ認知(自己チェック)が働くこと、知的謙虚さを持つこと、問題発見能力が高い、試行力がある、自己の能力特性を知って克服する策を練る、等々。

やっぱり当たり前かな。でも、ここまできちんと自覚しているかどうかなのかもしれない。

1つ1つ言われれば「そうでしょ」と思う、でも、これらを自分で意識して努力するかしないか、が和田氏であるか、そうでないかの差?

ケネディは話す事が上手くなかったのできちんと事前に対策を講じたとか、やはりアウトプットは訓練が必要とか、「良かった、大統領や東大に行く人でも、最初から簡単に出来るわけではないのね・・・」

まあ、ここで安心して終わりにしてしまうからいつまでも差が縮まらないわけだ。

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2006年11月25日 (土)

『憲法?』

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『憲法?』金子勝・木村康子著/本の泉社

もくじは

第0章 憲法とわたし

第一章 そもそも憲法ってなんですか?

第二章 憲法改正のギモンのあれこれ

第三章 もしも憲法が変わったら?

第四章 日本国憲法を読む

憲法に関する本は、誰が書いたかでおおよその内容は想像できるかもしれません。もちろん、私は改正反対なので・・・

教育基本法改正の流れがそのまま・・・とは、あんまり考えたくないですが、考えざるを得ない時なのかと少し悲しく思います。

安倍首相は「戦後60年経って」と、いかにも古くなったから時代に合わない、あるいは不本意に押し付けられた憲法であるような事を繰り返していますが、本当にそうなのでしょうか?

この本には、その「日本国憲法」がどのように受け入れられたかももちろん書かれています。

衆議院本会議で賛成421対反対8、しかも反対票の理由は、決して大日本帝国憲法支持的なものではなく、「勤労者の保護規定が不十分」とか「天王星存続規定に反対」といったものでした。

またGHQに押しつけられたと思われている「日本国憲法案」は、実は日本の民間の憲法制定研究団体である憲法研究会が考えた「憲法草案要綱」を最も参考にして制作されたものでもありました。

「誰が、何のために、改憲しようとしているの?」というストレートな内容に対しても、1つはアメリカ、さらに日本政府、そして日本の財界からの要求であるとはっきり明言しています。

以前紹介した『憲法は、政府に対する命令である』という本と、表現は違いますが、かなり考え方は似ていると思います。

戦後の左翼、右翼と言われてきた人たちの思想対立の方が、まだ良かったのか、と思うほどです。

ここには、今は「戦後」でなく、すでに「戦前の入口」だと書かれています。

間違いであることを願うばかりです。

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2006年11月24日 (金)

『欲ばり過ぎるニッポンの教育』

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『欲ばり過ぎるニッポンの教育』苅谷剛彦・増田ユリヤ著/講談社現代新書

教育社会学者の苅谷氏とジャーナリスト増田氏の対談形式で書かれています。

フィンランドは好きだし(どちらかというとデザインの国として)、今まで読んだこの国の教育のあり方についてはかなり賛同しているけれど、反論する人はいないの?という気になっていたことも事実。

オビに「フィンランド教育」という文字が見えたのでつい買ってしまいました。

大きくは、失敗と言われている日本の「ゆとり教育」についてと、フィンランドの教育制度のことが書かれて(話されて?)います。

”何故、ゆとり教育は失敗したのか”。新しく義務つけられた「総合的な学習の時間」がやりきれない、という声を多く聞きましたが、ここではそれを”マクドナルドを売っていた者に、いきなりフレンチのシェフになってアラカルトのオーダーに応じよ。”と言っているようなものだ、と言っています。

そこまでの例えをすると、教師がいかにも無能に響いて、どうか、と思わなくもありませんが、”現場の手に負えない”とはこういうことなのかもしれません。

さらに言われている、小学校からの英語教育の導入についても、「あれもこれもやりたい」リストを、予算の増額も大幅な増員もなくやろうとすれば、”溢れ出る”以外ない、と。

学校や教育は”魔法の杖”ではない。

反して、フィンランドの話ですが、何度か書きましたように、国は細かく介入せず、自治体、学校の裁量に任せている。だから、自ずとその学校の独自性は出てくるということ。もちろん、それは問題にはなりません。

とにかく教師の質を大事にしていて、教師になるためにはかなりの能力が必要となるので、もちろん尊敬される立場になり得るということ。

面白いのは副業!を持つ教師も多いということ。日本なら考えられませんし、仮にお金儲けなどしていようものなら、教育の現場がなおざりになりそう、とつい心配になってしまいます。でも、フィンランドでは「何かに秀でている教師は魅力的で能力も高い」との評価です。そもそも教職をおろそかにするような考えの持ち主は教師になれない、ということでしょう。

日本は教育にお金がかかる。少子化、格差とも連動した話になるのが常ですが、フィンランドは文房具に至るまで無料。しかも、単位が足りなければ、大人になってから不足分を取る、ということも普通に行われているのです。

もう一つ、「大学に行かない選択」が普通にある。それが大きな違いです。

大学に行かないから、と言って特別不利になるような事もない・・・。

ああ、これは大きいな、と思いました。1960年代くらいまでの日本もそれが普通にありました。でも、”行きたい人”にあわせて大学を増やしてしまった今の日本で、”行かない”という選択は難しいのです。

子供が東大に入って喜ばない親はいないでしょう(当然、という親はいるかもしれませんが)。

あれもこれもありすぎ、やり過ぎ。どんどん提供されるから、子供にあれもこれもやらせて、それでも、ますます不安になる、と苅谷氏は言います。

まさしくその通りなのかもしれません。でも、難しい問題です。

今、息子が5年生です。教育問題に関する興味も「喉元過ぎれば」になってしまわないことを願いつつ・・・

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2006年11月17日 (金)

『さよならサイレント・ネイビー』

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『さよならサイレント・ネイビー』伊東乾著/集英社

第4回回開高健ノンフィクション賞を受賞した作品

1995年に起きた地下鉄サリン事件。オウム真理教の幹部であり、その実行犯であった豊田亨、彼はこの東大助教授である伊東乾氏と東大理学部物理学科で同じ実験チームを組む親友であった。

豊田は世間で言われている「冷徹で」「反省の色もない」・・・そんな青年では決してなかった。彼は何を思って、あの犯行に及んだのか。

そこに重なる、戦争に人生を翻弄され、若くして亡くなった伊東氏の父親、あるいは大やけどを負いながら奇跡的に助かった母親の生き様。

その戦争はどのように記録され、「失敗を二度と繰り返されないため」に整理されたのか。

オウム真理教の犯行も、あの戦争もある種のマインドコントロールによって悲劇が拡大した。

マインドコントロール・・・

私はこの本を読んで、いろいろなことを思い出し、考え、収集がつかなくなった。

私の両親も伊東氏の両親と近い世代だ。半藤一利氏の『昭和史』(戦後編)を私に手渡しながら父は言った。「かなり良く書けているがな。でも、まだまだこんなものではなかった。」

「でも、これは昭和史としては名著と言われているみたいじゃない。」

あの時代、「いかにお国のために」と我慢を強いられたか、それが戦争に負けて手のひらを返したような有様。

国民は何がなんだかわからないまま、戦後の復興へ向かっていった。「なぜ、誰があの戦争を起こし、どのようにそれを反省したのか。」

そのことを明確に知らされないまま、60余年が過ぎ、両親はきっと一生それを追い求めるに違いない。

そんな両親の様子が思い起こされ、1995年の恐怖も思い出す。

時間の経過と共に事件は風化し、いや、それどころか、大小の新しい恐怖が次々と報道され、あっという間に風化する。

そう、私は、この近年のマスメディアのあり方に恐怖を抱いている。

「テロは許せない」「テロに屈しない」「テロ対策のためにご協力を」・・・どこの誰がいつどのような理由でテロを起こすのだ。その確率がどれ位増えているというのだ。しかし、見えない敵に向けて、監視カメラは恐るべき勢いで増えている。

「自己責任論」しかり。「自己責任だ」の大合唱。国家とは何か。

「ニートだ」「下流だ」「格差だ」

「教育だ」「愛国心だ」

空虚な言葉は踊る、皆でそれを唱えて、気が付くと「流行おくれ」の言葉になっている。主流に反する動きの多くは報道さえされない。

伊東氏の言うように1945年のあの時とちっとも変わっていないのかもしれない。

現に、後戻りしていくような現象があちこちに見られる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

氏の著書は『東大式絶対情報学』がはじめての本だった。タイトルに「勝ち組の情報・・・」とあったが内容は全く違うもので、「伊東乾の学生への熱意」のようなものに満ち溢れたものだった。

氏の言うように、というのも僭越だが、「何か思うところを良く考えて実行にうつす」それが本当に必要な時が来ているように思う。そうしなければ何も変わらない。伊東氏のその使命感が上の『東大式絶対情報学』にも現れていた。そういう事だった。

尚、この本についてはfracocoさんの記事にも詳しいのでご覧ください。

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2006年11月12日 (日)

BOOK-OFFに売る

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「背を追い越しそうだよ。」と、息子。

確かに部屋の片隅に積み上げられた本は増える一方。(もちろん、既に本棚は一杯)

ある日BOOK-OFFの折込ちらしが入ってきて、「捨てるよりは・・・」と、思い取っておいた。見ると30冊以上なら出張引取りに伺います、とのこと。

「ようし、やるか!」と、ダンボールを持ち出して、売っても良さそうな本を選び出す。ついでに息子に「もう読まない絵本を出しなさい。」、夫にも声をかける。

息子は、電車の本を残して30冊近い絵本を運んでくる。「これが売れたらその分のお金もらっていい?」(私が買ったんだけど、その絵本、でも、まっ、いいか。)夫は「本はほとんどbuckyのだもんな。」と聴かないCDと、見飽きたDVDを少し手にしていた。

あれもこれも、と選び出し、背が低くなったのが上の写真。

100冊は出た。

今日の午後BOOK-OFFの人に来てもらった。しばらく玄関先で黙々と仕分け作業をしていたが、しめて6400円になるとのこと。

3冊程度の本が売るには失格で、「新しいし、他と何が?」と聞くと、カバーの背表紙に少しでも破れがあるとダメなんです。という答え。見ると確かに少しだけ破れていた。

特AとかAとかBとかのランクがあるらしく、「とても綺麗な本を沢山お売りいただきましたありがとうございました。特Aがたくさんありました。30冊以上になりましたら、また伺いますので是非今後ともよろしくお願い致します。」と、妙に丁寧に挨拶をされた。

6400円が良い取引なのかどうかわからないが、自分にとって価値のある本と、残念ながらBOOK-OFFのそれとは違うようだ。息子には1000円の取り分を、夫には端数の400円を渡す。

おかげでずいぶんすっきりしたが、頭の中も一緒にすっきりしてしまったような、少し涼しい?感じがした。

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2006年11月10日 (金)

『千住家にストラディヴァリウスが来た日』

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『千住家にストラディヴァリウスが来た日』千住文子著/新潮社

息子さんの千住博氏の著書を記事にしたとき、VIVAさん(また登場しちゃった!)に「千住文子さんのお子さん?教育論に感銘を受けました」というコメントを頂いたのが気になっていて、この本を偶然目にしたので読んでみました。

読んでみると、この千住家に対して、ずいぶんと勝手な思いこみをしていたことに気がつきました。

内容は、ストラディヴァリウスを手に入れるまでの文子氏とヴァイオリニスト真理子氏を中心とした家族の話が中心なのですが、そこに父親である故千住鎮雄氏の人生への考え方、子供たちへの接し方、それを信頼して子供たちを支え続ける著者、そしてそれを実現していく子供たち(と、言っても我々と同じ世代ですが)のあり方が、私にとっては、まさに「驚きの連続」として書かれています。

「驚きの連続」とはどういうことか。

これほど、素直な子供が育つのだろうか?

これほど真っ直ぐな兄弟愛が育つのだろうか?

どうしてこれほど信念を持った親であり続けられたのだろうか?

どうしてこれほど子供たちは努力が出来て、「一流」に到達出来るのだろうか?

子供の教育とは何なのか?という原点に引き戻された気がしました。

先日、マクロビの教室があった日に聞いた「あなたが、ほどほどでいい。と感じたらあなたにはほどほどの出会いしかありませんよ。でも、あなたが”精一杯”やったら、きっと素敵な出会いがあるはず。」という話までも思い起こされてきました。

まさに、千住家には「素敵な出会い」が溢れているようにも感じられたのです。

子供にこつこつと勉強させることも大切、でも、親が確固とした生き方の軸と愛情を持つことの大切さを改めて考えさせられた一冊でした。

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2006年11月 7日 (火)

『美しい都市・醜い都市』

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『美しい都市・醜い都市』五十嵐太郎著/中公新書ラクレ

『過防備都市』という新書があって、手に取りはしなかったが、何となくタイトルが目の端に入って気になっていた。

この五十嵐氏の著書だったことを、この本を読んで知った。

「たまには建築・・・」と軽い気分で手に取ったら、なかなか過激な物言いで、楽しく(!?)読んだ。

何を美しい景観と思うか。

話は首都高を取り除いて日本橋の空を取り戻す、小泉の鶴の一声からはじまった5000億円プロジェクト。「日本橋を復活させることに意味があるのか」「首都高と日本橋のどちらが美しいか」

そんな内容からはじまる。

ククク・・・今回は好き勝手言わせてもらおうっと。

私自身は5000億円もかけて、こんな日本橋を取り戻すなんて、ナンセンスだと思っていたから、「あっ、この感性好き!」

日本橋を知っている人ならわかると思うけど、有名な割には規模が小さいし、首都高を除いて何が残るって思っていた。仮に今の橋をかけ直して、江戸の町など再現しようとでも考えているなら、アミューズメントパーク以外のなにものでもない。5000億円のお金は是非困っている人達のために使って欲しい。

本当に、国の対策としての「美しい景観(国?)」を作ろうなんて考えて、偏ったセンスの権威者が数人集まって、ますます変な景観の日本を増幅させて行くのは、これまたいいかげんにして欲しい。

人がいるから、必要な建物が出来て、集落になって、街になって、「何かここがいいな」、となればみんながそこを大事にして、好きになる。

美しい景観って、そこに集まった人達が日々の暮らしを大事に手をかけて、家に手を入れて・・・それの集合体が基本だと思う。

そこから考えると傲慢じゃない?

それから、かつて私自身が記事にした「イタリア文化会館」の話も書かれていた。

この建物の「赤」が「派手でふさわしくないか否か」という論議があって、私自身は「美しいと思う」と書いたけど、五十嵐氏も同じ考え。賛同者を得て良かった。

様々な怒り?が込められていて、でも、私にとっては一々もっともで・・・

そして、『過防備都市』との関連は。

「テロ防止にご協力ください」に代表されるように、2001年以降、日本も見えない犯罪に過剰に反応するようになり、監視カメラの設置台数も急激に増加したし、凶悪犯罪も明らかに増えているような報道がなされている。

本当にそうか?

実は凶悪犯罪は決して増えていない。増えているのは自死である。報道の切り口によって、統計の取り方によって「あたかも」増えているようではあるが・・・

過剰に監視され、規制された都市生活の行き着く先は何か。

なんか背中が寒くなった。

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2006年11月 4日 (土)

『お母さんが教える国語』

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『お母さんが教える国語』早川尚子著/ダイヤモンド社

息子の勉強を見ながら(塾を変えてはじめて見るようになった、という情けない話だけど)、「何事も丁寧に積み重ねることだな」と改めて認識。

教科の勉強方法を一つ一つ息子と確認しながら、何となく後手に回っているのが国語だった。

0点と言うことはない、という教科であること、予習復習をしなくてもナントカなる・・・。でも、そのままでは上手くいかないこともわかってはいた。

そろそろ手をつけないと、と思っていた矢先に書店で見つけた本だ。

24年間、中学受験に向けた国語の指導を専門にしてきた著者の話は、自分が薄々気づいていた方法に確信をもたらしてくれた、と同時にさらに具体的方法を伝授してくれた。

「とにかく丁寧に読むこと。」それを無くしては決して国語は良くならない。やっぱり。

読書をしないから、読書好きだからということと「良く読める」は別のことだ、ということ。

先日の『読書と考えること』の自分の記事ではないが、偶然とはいえ、またまた話は繋がってしまった。

HPも開設しているようだ、

http://home.p07.itscom.net/gakusyu/

国語の成績に悩んでいる親御さんにはお薦めの本だ。

・・・・・・・・・・・・・

本日はマクロビの日。美味しい、でも疲れた。

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2006年11月 1日 (水)

『家をめぐる冒険』

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『家をめぐる冒険』堀井和子著/幻冬舎

村上春樹氏がフランツ・カフカ賞を受賞しましたが、『羊をめぐる冒険』と、この本は残念ながら関係ありません。(気の利いた事でも書ければ良かったんですが・・・)

元祖「おしゃれな(あるいは良い意味でモノ・スタイルにこだわった)生活をする人」の1人?とも言える堀井氏。粉料理研究家との肩書きもあります。

実は、昔からこのセンスが好きで、エッセイが出ると密かに買ったりしていたので、ずっと読んでいます。昨日書店で見かけて、自然と手が出てしまいました。「ああ、私、本当はこういうのが好きなのよね。」って。

窓から見える「木」の景色が気に入って即決した賃貸マンション、そこに住みながらも、「自分の家を」、と繰り返し土地を探し、マンションを見て回り、図面を引いて・・・それでも、なかなか気に入った家が見つからない。そのうち、今のマンションから見える、その「木」の景色を彼らは思っていた以上に気に入っている事に気づく。結局14年間住み続けてしまった。

30代から50代を迎えて、生活のサイクルも変わり、悩む都度に「その家でどんな暮らしをしたいのか」と、問い直す事に戻っていったともありました。

そんな話が、実家の修繕や増築のあり方と比べながら語られていきます。

「実は、どんな家が良いのか、若いときはわかっていなかったのではないか。」と。

私自身も「新築マンション」に魅力を感じた時代もありましたが、今は全く。新しい事=心地よいではない、と言うことにしばらくして気がつきました(清潔なことは必要ですが)。

新しい家に住んだら、自分たちが素敵な生活を送れる、というのは幻想です。

どんな価値観で、何を食べ、何を着て、どんな物を持って、誰とどのように暮らしたいのか。自分で家を建てられれば理想的ですが、なかなかそうもいかないし。だから、マンションなどは、構造がしっかりしていていさえすれば、あとは、○○風等という「色」を出来るだけつけない最低の内装にして欲しいな、と思います。

モデルルームに住むわけではありません。それぞれの生活の持ち物に対して包容力のある床・壁・天井が欲しいだけです。生活は5年、10年で変わります。そのときに手を入れられるようなら、尚、理想的です。

いずれにしても、スクラップ&ビルドを繰り返してきた戦後の日本の建築には「見るに耐える」建築が少ないし、実際、「良い建築の家」に暮らしてこないと、それはわかりにくいかもしれません。

若い建築家の人達の動きが活発なようです。日本に、見かけばかりではない「良い家」が増えていくと良いな、と思います。

著者に責任はありませんが、今回少し内容に違和感を覚えました。

「私たちの理想の家をめぐって」というテーマがちょっとこじんまりしている?ような、気がした。・・・それだけのことですが。

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2006年10月30日 (月)

読書と考えること

読み返してみると、読書と中学受験と食べ物のことにずいぶんと偏っているこのブログ。

気になっているのは、この自分の読書のあり方なんですが・・・

先週読んだ、池田晶子氏の『知ることより考えること』ではありませんが、どうも、「本を読んでいるだけになっていないか。」と。

”特に「知る」ことは外的情報を出来るだけたくさん取得することだとしか思われていない。取得するばかりで、誰も自ら考えていない。”というくだりを読んだときには、「ぎくり」。

もちろん、本を沢山読む事は良いことだと思います。これによって多くの雑学を仕入れもしたし、いろいろな考え方も知りました。行き詰まっているときにも何度か本に助けられました。

但し、自分に限って言えば、「身になっているのか」が、ずっと気になっていたのです。

まさしく「情報を入れるばかりで・・・」ではないかと。

趣味で読んでいるわけですから、深いこと気にしないで気楽に読めばいいじゃん、との声も聞こえてきそうですが、「本を読む」→「自分はそれに対してどう思うのか考える」、そこの「考える」部分がもう少しないと、単なる「読み飛ばし」になってしまっているのでは?等々。

きっかけは、夫の本の読み方です。彼は私の半分も読みませんが、本を読むと実に良く反芻?しているのです。

彼が、その本について語るのを聞くと「あれ?そうだっけ。」みたいな事も時々あり、密かに「読めばいいってモンでもないな。」と感じていました。

自分の”本好き”を否定する気はありませんが、せっかくならもう少しアウトプット(まあ、口からでも)に繋がる読み方をしたいものだ、最近ちょっとそう思うのです。

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2006年10月27日 (金)

『知ることより考えること』

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『知ることより考えること』池田晶子著/新潮社

この著者の『14歳からの哲学』は良く入試に出されるらしいのです。『41歳からの哲学』もあります。

一度読んでみようと思っていて、初めて手に取りました。

内容ごとに章立てしてあって、“特に「知る」ことは外的情報を出来るだけたくさん取得することだとしか思われていない。取得するばかりで、誰も自ら考えていない。”

このくだりは、まさしくその通りでは、と思いました。

そして、“国”に対する考え方も。私はいつも、たまたま日本人として生まれてきた。そして、もちろん、これが良かったことも、あんまり良くなかったこともあるけれど、いきなり“国を愛せ”という感覚が不可解なのです。

国とは何か、どうしてそれにとらわれるのか、未だに腑に落ちないでいます。子どもっぽい?

ただ、これは個人的な好みだと思いますが、語り口調も含め、全体的にはうーん、そうなのかと思うところもいくつかあり、どうも大絶賛とはいきません。

「考える」ことが足りないのかもしれませんが・・・

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2006年10月25日 (水)

『ルノワールは無邪気に微笑む』

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『ルノワールは無邪気に微笑む』-芸術的発想のすすめ 千住博著/朝日新書

95年にベネチアビエンナーレで東洋人として初めて絵画部門で優秀賞を受賞した日本画家です。

作曲家の千住明のお兄さん、バイオリニストの千住真理子のお兄さん、工学者の千住鎮雄の息子さん・・・かなりハイソな(あまり好きな表現ではありませんが)匂いがします・・・か?

読者からの質問の一つ一つに誠実に答えながら、千住氏の芸術への考え方、ここまで取り組んできた姿勢、日々自分に課していることなどをあらわにして行きます。

特別な環境で育って、既に秀でるに優位にあった人物であろうかと思われましたし、やはり、多少そういうことがない、とは言い切れない気もしますが(偏見?)、かなり堅実な日々の努力を積み重ねてきていることがわかります。

成功したときにこそ謙虚になる、とことん表現したいものを表現しつづける、健全な肉体に健全な精神は宿る、と思っているから、所謂「芸術家」としてイメージされるような、退廃的は生活とは全く逆とも言える生活を送っている等々、好感を持てるところもたくさん。

作家の村上春樹氏(氏も健康的な生活を送っていることで有名ですが)の生活スタイルに憧れている、という意外な面も書かれていました。

決して保守的でなく、説教がましくなく、芸術への姿勢も柔軟です。あんまり特別な興味を抱いていたわけではありませんでしたが、千住氏についてもっと知ってみたい気になりました。

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2006年10月23日 (月)

『オレ様化する子どもたち』

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『オレ様化する子どもたち』諏訪哲二著/中公新書ラクレ

VIVAさんの記事に内容は詳しいのです。触発されて読みました。

タイトルと内容が少し合ってないのかな?(オビも)誤解招くな・・・と。

ちょっと新鮮な分析でナルホドと思ったところも多くありました。

特に、“普通教育では「個性化」の前に「社会化」(基礎的な知識や社会規範を身に付けること)が必要である。俗に「個性」を大事にしないと「個性」が潰されてしまうと危惧する人が日本人には多いが、市民形成(社会化)のプロセスで潰されてしまうような「個性」は潰されるべきである。”というくだりには考えさせられるものがありました。

エリート教育推進論、底上げ推進論・・・この間読んできたものにはいろいろありました。

やはり、何が問題点で、日本がどういう教育を目指し、優先順位はどこなのか、そういったものがきちんと明確にされて、長期的な視点で取り組み、検証するしくみが必要なんだろうな、と考えました。

子どもの教育は全てにおいて根気の要る事、試行錯誤の連続です。でも、簡単にいかないかわりに、心を向けただけの成果が得られることも事実だと思いますから。

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2006年10月20日 (金)

『戦場でメシを食う』

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『戦場でメシを食う』佐藤和孝著/新潮新書

戦争の悲惨さは祖父母や両親から語り聞かされるものであった。ベトナム戦争のことを聞き、「こんな時代にまだ戦争をしている所があるんだ。どうして?誰がいけないの?」と、驚き父に次々と質問した日の事も覚えている。

それから、30余年の間に、世界のあちこちで戦争が起きている。

第二次世界大戦の終わったとき、世界中の多くの国が、「もう二度とこんな思いはしたくない。これを風化させてはだめだ。」と心に刻んだはずなのに。

ジャーナリストの著者が文字通り命がけで見てきた戦争の現場。アフガニスタン、イラク、チェチェン、アチェ・・・

街が廃墟と化し、数メートル先に銃弾が打ち込まれても、人々は「生きていくために何かを食べる」。

1杯のお茶、堅いナン、羊の料理。この瞬間、死と直面しながらも、「食べる」不思議とたくましさを感じながら、ごく一握りの権力による戦争によって犠牲になるのは、やはり普通の人々である事実に著者はやるせなさを感じるのだ。

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あの時、冬季オリンピックが開催されたサラエボ、ソビエト社会主義共和国連邦だったチェチェン、自分にはそれほど遠くない昔を知っているだけに、紛争や戦争のむなしさを感じないわけにはいかない。

一方である環境保護、平和を訴える人間の理性が、このところ軽んじられている気がしてならないのだ。

祖父がかつて言っていた事を思い出した。

「自然より人間が優位に立って、それをコントロール出来るなどど思ってはいけない。それは人間の思い上がりだ。」

戦争による地球破壊ほどリスクの大きいものはない。すでに地球温暖化という形で現れているが、見て見ぬふりをしている大国もある。

こんなことを繰り返していたらいずれしっぺ返しが来るに違いない、そんな気がしてならない。

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2006年10月18日 (水)

『日中2000年の不理解』

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『日中2000年の不理解』-異なる文化「基層」を探る 王敏著/朝日新書

著者は法政大学の教授でもあり、中国と日本の掛橋となるべく、理解を深めるための新聞への投稿も、時折見かけていました。

同じ漢字を使い、外見もとても似ている日本人と中国人。しかし、本当に似ているのだろうか・・・実は全く似て非なるものである、ということをいくつかの現象を追いながら解き明かしていきます。

実は中国には儒教の教えが深く浸透しており、善いことと悪いこと、正義と不義は厳格に分けられていると言います。例外を許さない厳格な政治秩序、社会秩序が営まれ、それは人間関係、家庭生活においても貫徹されるべきものとなっているのです。

正統といわれる価値に忠実に生きることが、良く生きた証になるということ。従って、正義を最後まで貫く生き方をした人は評価され、その評価は時代や人によって変化したりしない絶対的なものであるらしいこと。

例えば、日本人は楊貴妃についていろいろ知りたがるが、中国人にとっては楊貴妃は「悪女」として評価の固まっており、それに今更ながら興味を示す日本人が理解できないというわけです。

日本に儒教は伝わったが、その絶対的価値は定着しなかった。日本人は感性と和を重んじる、悪く言えば思想がなくどんなものでも受け入れると見られています。これは、王氏に限らず、従来の日本の思想家の中でも言われてきたことです。

明治に西洋の思想を取り入れ、戦後、また新しい民主主義を急激に発展させた日本の変わり様は、中国にはなかなか理解できないこと、ともあります。

中韓(韓国も儒教の国です)となかなか上手くいかない外交ですが、「道理で」と思う話もたくさんありました。

良く言えば柔軟、悪く言えば柱となる思想が無く影響されやすい、理屈でなく感性で動く、というのが日本人なのかもしれません。

客観的に考えてみる必要がありそうです。

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2006年10月14日 (土)

『タイゾー化する子供たち』

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『タイゾー化する子供たち』原田武夫著/光文社

なんてタイトル!と思って、何日かその前を通り過ぎた。

ふと手に取ってみると、ぐわっ!戦後からの教育政策の意味するところをきっちりと書いた濃い本だった。(このタイトル、誤解するよ。)

ここからほぼ書きあがりかけたのに、操作ミスで消してしまった。ショック・・・もう、同じ事を書く元気がない。

要は、いかにアメリカの富の搾取の流れに日本がはめ込まれているか。

とても、アメリカと協力関係にあるとは言えないほどの、一方的な掠め取られ方である。

教育はそもそも戦後、アメリカとの制度作りのやりとりの中で、ますます骨抜きにされてきた。

優秀な人材はアメリカに取り込まれ、日本人が日本人を売る、構図が出来上がっている。

日本人はそのことに誰も気が付いていない。東大がエリート教育の場なんてウソだ、東大生が描いているのはタイゾー(杉村太蔵議員のこと)ように、プロセスなしの一発で有名になりお金をもうけることだ。

日本にはエリート教育なんてないのが現状だ。

美しい国、品格など内輪で議論していても仕方がない、早急にアメリカに対抗できるような真のエリート教育をしていかないと、日本は地に落ちる。

そんな内容が恐るべきスピードで迫ってくるような本だ。

これにどんな感想を抱くのかは読む人次第としか言いようがない。

この間、何冊か教育を巡る本を読んでみたが本当にいろいろある。

改めて、自分の子供が何を学んで、どのような大人になって欲しいのか、を考えてみなければ、と思った。

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2006年10月12日 (木)

『学校が学習塾にのみこまれる日』

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『学校が学習塾にのみこまれる日』前屋毅/朝日新聞社

タイトルからすると、「塾が悪者」に解釈されそうですが、そういった内容ではありません。

息子がたまたま5年生で、学校(公立)も、学童保育も、小規模塾も、大手塾も関わってみてはじめていろいろな事がわかりました。

率直な感想は、この現象に「学校はどう思っているのだろう。」ということです。

以下はあくまでも主観ですが・・・

学校の勉強は、所謂「ゆとり教育」の方針から教科書はペラペラで、宿題もほとんどありません。

テストで90点、100点という点数を取るのもそう難しい事ではないらしいのです。

当然そうなれば、通知票だって「それなり」です。ところが、これを中学受験に置き換えてみると「だから、オッケー」ではないのです。

塾の受験勉強と学校の勉強は「別物」です。

塾によっては、担任やクラスメートがいて、まさしくもう一つの学校です。

そして、子供達が、親がどちらを重視しているかと言えば、「塾」なのでしょう。

自分がどうか、と聞かれれば複雑ですが、子供の生活としては学校、勉強としては塾、になりつつあります。

ニーズにマッチしていて、子供が、「大変でも面白い」という事実を「そんなはずないでしょ。」とは言えません。

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塾の信望者でも、学校否定者でもありませんが、学校に元気がないように感じるのです。

この本には、教育が迷走すればするほど、塾が伸びてきたと書かれています。

1970年代の受験戦争と言われはじめた時代からはじまって、都立高校の名門校が均一にならされて大幅に実績が下がって、私立に人気が集まりだしたとき、そして、今、ゆとり教育のときも、さらにはじまりつつある中高一貫校への受験にも、臨機応変に対応してきたのは塾であった、ということです。

ころころ変わる文部省(文部科学省)の方針に途方にくれた親、子が塾を頼ってきたということ。

大手塾の創業者達のインタビューが沢山載っています。いずれも、ニーズを拾ってきた結果、今があるというようなことを話しています。そして、今もニーズに応える努力は怠っていないと。

そして、その塾を営利目的で相容れられない、と敬遠する文部省(文部科学省)。

水と油の時期はまだまだ続くようですが、ここに来て、大手塾が土曜の補習授業を受け持つという例も出てきたとか。そして、驚くことに、その授業には8割の生徒が出席するとか。

提供するところがどこだろうが、人は自分のニーズに応えてくれるところに集まります。

子供達はもっと率直です。つまらないものは「つまらない」と言います。

経営者がオリジナルな考えにこだわって、最高の授業を提供する努力をしている。講師も努力が必要。地域性を考え、ターゲットを絞る、あるいは、落ちこぼれを作らずあくまでも1人1人にこだわる等、そんな考えがそれそれの塾にはあるようです。

学校と逆?

中央で学校のあり方を全て管理して、その方針に従う、ということでは、教師1人1人がノビノビと授業をすることもままならないのか・・・

このままでは、ますます塾の浸食が進むのかもしれません。

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2006年10月11日 (水)

『ルポ改憲潮流』

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『ルポ改憲潮流』斉藤貴男著/岩波新書

久しぶりに新書らしい文字数?です。少なくとも、このような本が出版されているという事実に少しホッとしたりして。

丹念な取材を繰り返して書かれた真摯な本だと思います。

一言で言ってしまえば、やっぱりな、と落胆せざるを得ませんでした。

慶応大学の小林節教授の、

「もともと自分は改憲論者だったけれど、イラク派兵のやりとりのあまりのいい加減さに嫌気がさして、それから平和の、命の大切さに改めて気がついて今は改憲反対です。」

というのが印象的でした。

国会議員の憲法そのものについての知識のなさ、勝手な解釈・・・。

そのしわ寄せは誰に来るのか。憲法九条の件にしても、彼らの「自分が戦場に行くことはない。」という確信に満ちた上からの物言いは傲慢としか言いようが無く、例外はありますが、政府はやはり権力なのか、と思わざるを得ません。

「日本人は憲法で生き方まで示して欲しいんだ。」というような発言に至っては怒りを通りこしてやるせない気持ちになりました。

日本はどう進んで行くんでしょうか?

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2006年10月 9日 (月)

『小さなキッチンの大きな宇宙』

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『小さなキッチンの大きな宇宙』西邨まゆみ著/カナリア書房

マドンナのプライベートシェフをつとめる人です。もちろん、マクロビオテックの料理人です。昨日マクロビのスクールで買いました。

スクールの講師の方々を見ていても思うのですが、何故かとてもパワフルです。この方もしかり。マドンナもですね。

fracocoさんに「古武士のような食事」と言われましたが、本当に。食べ続けると力が出てくるかもしれません。(えー、もっと!と言われるかな?)

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昨日最後のクラスで作ったおはぎです。黄な粉、ゴマ、あんこ。もちろん塩味。

これは食べきれず持ち帰りました。

「お持ち帰りしてきたよー!」

「なになに?あっおいしそう!」と、息子が手をのばすので「但し、甘くないよ。」

「えっ?」と、一瞬手を退きましたが「食べてみれば?」

一口ゴマを食べて「ウマーイ!また作って。」と黄な粉もパクリ。

夫もあんこを食べて「ウマイ!」

甘い=美味い、が既に崩れつつあります。

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2006年10月 6日 (金)

『東大生が書いた「国語」のことを感動的に好きになる本』

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『東大生が書いた「国語」のことを感動的に好きになる本』東京大学文学部 行動文化学科 長谷川裕著/ダイヤモンド社

またまた東大生の出現?!ですが。

これは2005年の出版甲子園で第一回グランプリに輝いた作品です。

表紙が可愛いでしょ?それに「国語」ってところが興味を引きました。

思い起こせば、国語は苦手だった意識もありませんが、「好き」や「得意」だったともあんまり思いませんでした。

ほどほどに出来たために、敢えて勉強しなかった。だから、本来の面白味はわかっていない。それが自己分析です。

それからもうひとつ、この本にもありましたが、「たくさん読書をする」ということと「国語が出来る」ことは違う。これも実感としてそう思います。もちろん、全く関係ないわけではありませんが。実際、もしそうならば、私はもっと国語に得意意識を持ってもおかしくない・・・。

やっぱり国語は「読み取ろう」とする意識と「その為の技法」がある程度必要なのです。これは納得。

読み始めて、「むむ、これは国語の参考書?」とちょっと退きました。「主人公の気持ちはどう変化していったでしょう。ア~エの中から正しい答えをかきなさい。」なんて。しかも、やってみると間違ったりするし。あれれ。

しかし、読み進んでいくうちに、「ここに○○と書かれています。だからここでの気持ちは”渇望”です。」「なーるほど。」と、はまっていってしまいました。

これを読んで、即国語が出来るようになる、というものではありませんが、「小説編」「古文編」「詩歌編」一つ一つこの本を傍らに置きながら問題を解いていくと、いままでと違った目で国語の問題が見えてきそうです。

受験を間近に控えた中学生、高校生より、1年生2年生が参考にすると良いと思います。

そこそこ無難なものでも「きちんと伝わる」作文の書き方等、例のフィンランドの教育と繋がるところもありました。

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2006年10月 2日 (月)

『憲法は、政府に対する命令である』

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『憲法は、政府に対する命令である』ダグラス・ラミス著/平凡社

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『憲法九条を世界遺産に』太田光・中沢新一著/集英社新書

憲法改正が話題にされています。

この件に関していろいろな発言をするのが難しい時代となりましたが、本当にそうなんだろうか。実は、みんなが良く知って、良く議論することこそ本当じゃないか、と思っています。もちろん、「自分の立ち位置はどこか」を断言できるほどまだ知らない。少し勉強したくて読みました。

もっとも、本の選択の時点で私の考えがわかると言えばそうなんですが・・・

新書の方は版を重ねているようです。それだけ、興味を持つ人が多いというのは良いことだな、と思ったりして。

ラミス氏の本には、今の憲法は西洋の押しつけだ、とか、アメリカからの押しつけだとかがよく言われていますが、その出来た経緯は何か、どのように国民に受け入れられたのか、さらに、日本国憲法にある政府の立場、国民のあるべき姿とは何かが書かれています。

主権在民とはどういうことか。ちょっと目からウロコです。

九条の交戦権の否認にしても、「いろいろな解釈があるけれども、本当に丸腰だから危ないのか」、実際それを守っている国は16ヵ国あるということ。武力を持っても必ずしも「勝つ」わけではないこと。そんな事実にも触れられています。

著者の意見は、こういう憲法はそうそうあるものではない。それを安易に変えて良いのか。そして、政府はそれを勝手にして良いという機関ではではない、国民は政府が勝手な事をしないように見張らなくてはいけない、と立場であり、どうも違う今の日本の動きを憂えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、たまたま読んだ『憲法九条を世界遺産に』に、表現は違えど(爆笑問題の太田光ですから!)、「このような憲法はある奇跡的なタイミングで出来た大変貴重なものだ(世界遺産にしよう)」という同じ話が書かれており、またびっくり。

ああ、さらに読んでみようか(反論も含めて)と思っている次第です。

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2006年9月29日 (金)

『東大脳の作り方』

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『東大脳の作り方』安川佳美著/平凡社新書

わっストレートなタイトル。でも、現役東大生(理Ⅲです!)の書いている本です。

何という、ポジティブシンキングと自立心。一言で言うとそれに尽きます。

幼少期にどのように育てられ、中学受験をして一流の女子中学に合格したか。

その中学にあつまるのはどんな子供で、どのような学校なのか。

今の私にはやっぱり興味深い。

自分はどうだったか、を振り返りながら読むと、学習への前向きな姿勢は「すごい!」と言わざるを得ません。中学受験時以外は塾に行かず、今となってはかなり古典的な学習を積み重ねてきた、という事です。

18歳にして「積み重ねてきた努力はかならず報われる」と・・・

何か別の本でも読みましたが、自分で試行錯誤しながら身につけた勉強法で良い成績を保てる子には塾は要らないのかもしれません。

「次に自分は何をするべきか」を決められる自立心は、日々本当に難しいと実感しています。

それから・・・

この場合は桜蔭中学・高校でしたが、「学校の勉強さえきちんとしていれば大学に入れる実力がつく学校」というのを読んで、「そうか、一流との差はそこまであるんだ。」と改めて思い知りました。

なかなか凡才に真似は出来ませんが、学ぶ姿勢は全その通り、と言わざるを得ませんでした。

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2006年9月28日 (木)

『新平等社会 「希望格差」を超えて』

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『新平等社会 「希望格差」を超えて』山田昌弘著/文藝春秋

2年ほど前に出版された『希望格差社会』の続編、とでも言いましょうか。

私のブログを読んでくださる方々も、このテーマに余程関心がなければ辟易されていることと思うので、もうあまり長く語るつもりはありませんが(自分でも、「いいかげんにすれば」と思っているのですが、どうも解消する方向への動きが見えないのでつい・・・)。

『希望格差社会』の中では、高卒、大卒、等学歴は違っても約束されていた希望のある未来が期待できなくなっている、とありましたが、この2年間でさらに多くの普通の人達が「明日は我が身」と思える転落を見るようになった。その恐怖心が、より格差を意識させる、とありました。

この間にも、、「実態」を暴くことは「希望を失わせる」と依頼された原稿を修正させられた、とか、削除された、とかの出来事があったことも書かれています。

普通の男性の収入が減り、リスクの増えた今、長い間前提とされていた夫が働き、その妻が支える、という家族のあり方には、もう無理があるのではないかとあります。

病気や介護、失職といった「たまたまやってくる」不運が自己責任というのではどうにもならない、「不運がやってこなかった」人達からサポートを得る制度を考えても良いのでは?

やはり累進課税は必要なのではないか、多くの収入を得た人達が持ち逃げをせず社会に還元する、それを当たり前の感覚とすることこそ教育ではないか?

それが実現したら、社会は変わるだろう、ということもいくつかあります。でも、多くの反対の声が上がるであろう事も容易に想像できます。

やっぱり長くなってしまいましたが・・・興味のある方は読んでみてください。

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2006年9月26日 (火)

『母のレシピノートから』

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『母のレシピノートから』伊藤まさこ著/講談社

私よりずっと若い人の本だけど。装丁が可愛くて思わず買ってしまった。

ロールキャベツ、フルーツポンチ、卵焼き・・・

本当に料理上手、生活上手な御母様に育てられたとのこと。

他の料理研究家と呼ばれる人達など、食に関わる人達のエッセイなどを読むと、その育った家庭のほとんどが、食べることが好きな家族だった、母が料理が得意だった、とある。

やっぱりそうなのかな。育ってきた食環境と料理好きは関係あるかな。

私自身も料理好きではある。母は(父は全く違う、母方の家系が)食べることが好きで、やはり料理上手だと思う。

私にとっての母の味は、・・・そう、冬の寒い日に学校から帰ると大鍋に煮た薄味の”おでん”、これにはなぜか必ず”鶏肉”が入っていた。

それから、タマネギのスライスがたくさん入った”鯖の南蛮漬け”、これで青魚が好きになったのかもしれない。

それから、うんと小さいときに、炊飯器!を利用して作ってくれた”蒸しパン”。これは炊飯器の釜の大きさが1個なわけだから豪快だ。

今なら、実家に帰ったときに必ず食べる”浅漬け””乳茸(ちたけ)うどん””ふきとタケノコの煮物”等々。いずれも真似の出来ない味だ。

息子にとっての「家の味」って何だろう。

夫が不在の時に、良く作る”ピラフ”かな?

肉じゃがや卵焼きも作らない訳じゃないけど・・・今度聞いてみようか(あっ、でも、そういうもんじゃないか・・・)。

10年、20年後に何の味を思い出すのか興味深いところだ。

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2006年9月21日 (木)

『「新中流」の誕生』

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『「新中流」の誕生』ポスト階層分化社会を探る 和田秀樹著/中公新書ラクレ

受験アドバイザー、精神科医、評論家、起業家、といくつもの顔を持つ和田先生の書。

実際、書店の新書コーナーには、視界に入る範囲だけでも、彼の著書が3冊・・・。齋藤孝か和田秀樹か、そういえば年令も同じ?精力的ですね、すごい!

きっかけは、何度か書いてきているフィンランドの教育、そのことについて触れられているのを本書で目にしたからです(私が”素晴らしい!”というより、和田先生のお墨付きがあった方が説得力あるし?)。

冗談はさておき、本書では、教育レベルが高く、勤勉で、素晴らしい製品を作ると言われていた日本、それは言い換えれば「どういった社会であったのか」を考え、その評価を失いつつある現在、「どういった社会にかわってしまったのか」を明らかにしながら、所謂「中流」の層を厚くしていく政策こそ立ち直れる道ではないかと説いています。

フィンランドの教育とこの論理の関連で言えば、まさしく、フィンランド、デンマークに代表されるヨーロッパの勝ち組(=国としてブランド力がある)こそ、教育やモノ作りで「中流」の層を厚くし、国際競争力の上位評価を得ている、というわけです。

特に製造業の面から見れば、極端に能力の低い層が少なく、かつての日本のように解雇の恐怖におびえる事無く、給料も安定していて、少し高くても良いモノを求めようとする層が多ければ、自国で良いモノが売れ、そういう国の作った製品は海外からの評価も高く、ブランドとして価値ある企業として維持していける。

反面、超金持ちと貧者の二極化がなされている国では、自国で良いモノが作れなくなる。金持ちは海外のブランドモノを求め、貧者は「少しでも安いモノ」を求めるから、結局国内の業者が、より人件費の安い海外で製造をすることになり、製品の精度は良くならず、価格競争にのみ巻き込まれることになるというのです。

リストラや給料を下げることでますます国内の消費は縮んでしまい、日本が誇った技術もこのままでは危うい、と警鐘を鳴らしています。

その現象が実際に起きているのがアメリカだと。

もちろん、巷で言われている教育格差も、ゆとり教育、ゆとり教育失敗との結論、そもそも本当に学歴社会だったのか、それをどうしようとしたのか・・・国際教育到達精度評価学会による国際数学・理科教育動向調査の2003年調査では、中学二年生の家庭での学習時間は、調査した46ヵ国で最低の1時間。しかも、家で1秒も勉強しない生徒が全体の40%もいるという結果が出たそうです。

もうこれは何なんだろう、と言うほかありません。

ものすごく勉強する一部の子供達と、全く勉強しない子供達。一部の超金持ちと安売りに群がる貧しい層。

これは東京に地方に言い換えても同じような格差があると言います。

これがこのまま進んでいけば、どのような国になるのでしょうか。私もそれが気になります。

競争することだけが本当に力をつけるのか。和田氏は「少し上の目標をクリアしようとすることが一番達成しやすい。目標までが遠すぎて手の届かないと思われることはもはや”あきらめ”にしかならない」と書いていますが、「起業家を目指して億万長者になる」などというのも多くの凡人にとってはそれと同じ事です。

「昔の日本に戻ろう」という事ではありませんが、その良さを見直し、何を失ってはいけないかを良く考え、早く政策を転換した方が良いと・・・築き上げるのは大変でも、崩れ去るのは一瞬・・・脅しではないように思います。

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2006年9月 8日 (金)

「ミセスアーカイブス」

●今日の一冊

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『ミセス 10月号』文化出版局

1961年の創刊だそうです。当時のイメージキャラクターは高峰秀子さん。

同僚に「高峰秀子って知ってる?」「ええ、名前だけは・・・」そうね、確かにあなたは70年代の生れだし。

以前の記事にもこの雑誌のことは書きましたが、ニットデザインの仕事をしていた叔母が全冊揃えていて、遊びに行ってはそれを読むのが楽しみでした。あれは中学から高校にかけてのこと、70年代後半。

今回の特集には、高峰秀子、稲葉賀恵、三岸節子、白洲正子、梅原龍三郎・・・当時のゆかりの人達の事が書かれています。

振り返ると所謂文化人のオンパレード。

読者から寄せられたお便りにも、「当時は結婚したら『ミセス』を読むのが当たり前だと、自分を含め、周囲も感じていました。」とあったりして、しかもそんなことを書いている人達が皆23歳とか24歳とかで結婚してたりして、少し驚きました。

今、その年齢の人が『ミセス』買わないよね。

45年経って、私たちの生活や価値観はかなり変わりましたが、この雑誌の目指すところはあまり大きく揺れ動いていない気がします。

今はコレ、次はコレ、知らないうちに「この雑誌って昔こんなコンセプトだったのに。」というものが多い中、珍しいかもしれません。(『暮らしの手帖』もそうかな)

いずれにしても、「自分の生まれた時代はこんな暮らしだったのか・・・」と感慨深く読みました。

同世代の人に?お薦め。

●今日の一口

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毎度登場のバナナケーキ。

上記『ミセス』に載っていた、パウンドケーキの作り方(これは昔のレシピではありません)にかなり従って作ったら、見かけは似ているけど、生地や味は全く違う出来。

「バターを白っぽくなるまで」と良く書かれているけど、「ハンドミキサーで5分」と具体的にある。「さっくり混ぜる」でなくて「つやが出るまで60~80回ほど混ぜる」だって。

これだけで、すごく違う。一応プロに習ったこともあるのに・・・目から鱗・・・

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2006年9月 7日 (木)

『名棟梁が教える、完全無垢の家づくり』

●今日の一冊

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『名棟梁が教える、完全無垢の家づくり』前場幸治著/廣済堂

「なんだい、昨日はマーサ・スチューアートで、今日は大工の棟梁かい?って思うだろ。関係ないように思えるだろうけどさ、その話に出てくるインテリアって室内装飾の事なんだよ。横文字ばっかり使って、その方が高級そうに聞こえると勘違いしているところなんざ、むしろ響きが安っぽくて聞いちゃいられないよ。」

と、この本に書いてあるわけではありませんが、一貫してこの口調で書かれています。すごく小気味良い。

実は大工の棟梁という肩書きをを前面に出しつつ、この前場棟梁(氏って似合わないような気がして)は、実は多くの著書を持つ学者でもあるのです。

しかし、大工という職人である事にプライドと誇りを持ち、現状の家づくりの多くの問題点を指摘しつつ、何故、そんなものが多数作られるのかを厳しく追及していきます。

どんな土地が良いのか、誰に依頼すべきか、家とは本来どういうものか、大変わかりやすく、家を建てたいとか、購入したいと考えている方には必読の書です。

さらに木材がどのようなルートで入手され、それが海外に及ぼしている影響等まで話が及び、本書の質はかなりのものです。

「家」というものにこだわりのあった祖父が、ある知人の新築の家を見て「あんな、新建材でつくった家なんか・・・」と言っているのを聞き、ずいぶんひどい事を言うな、と子供心に思っていましたが、今となっては、祖父はかなり「家」というものをわかっていたのだ、と思いました。

●今日の一口

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何だと思いますか?生姜をすりおろした物に塩を少し入れ、サラダオイルをかぶるくらい注いで、冷蔵庫に1日保存したもの。

雑誌で見たのですが、いつか作ろうと思っていて、やっと。

生姜はすりおろすとスグ変色してしまいますが、これは思った通りかなりいけます!寝かせる事で風味も落ち着きますし。

焼きナスにかけて、醤油と酢やかんきつ類を絞ってドレッシングとか、肉に絡めて焼いたり、焼いた肉にのせたり。

生姜1かけの保存って結構難しい。冷凍して使う分をそのまますりおろしたりしていましたが、これは良い方法だと思います。お薦め。

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2006年9月 5日 (火)

『マーサの成功ルール』

●今日の一冊

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『マーサの成功ルール』マーサ・スチュアート著/TRANSWORLD JAPAN INC.

タイトルがストレートすぎますか?

知る人ぞ知るマーサ・スチュアートという感じでしょうか。

ついこの間までインサイダー取引で服役中だったはず・・・でも、この人の業績には興味がある、1日考えましたが、やはり買いました。既にビジネスを再開していました。

料理、インテリア、ガーデニング、所謂主婦の夢、をビジネスにして大成功させた人です。元モデルという肩書きも夢があります。

モデルは無理ですが、実は私は、こう見えて(どう?男らしい?)料理とインテリア、建築にまつわる事が大好き。

それを事業に出来るなんて!とやっぱり羨ましくもあるわけです。

でも、読んでびっくり。当然といえばそうなのかも知れませんが、あまりの堅実で常識的なビジネスのあり方に、です。

何が出来そうなのか考える事、マーケットがどこ、どの層なのか考える事、競合はどこか、どこを借りるか、その賃料は、電気代等のコストは、最初は出来るだけ投資をしないで様子を見ること。

何故、自分がそれをするのかきちんと言える事、何を差し置いてもクォリティの追及を怠らない事、人が財産であるのを忘れないこと、経営者は必ず常に新しい方向性を示せるよう努力を怠らない事、それをブレインストーミングでスタッフに周知し、より良いものにしていく事・・・・

キリがありませんが、夢の舞台の裏側は驚くほどの現実性に満ちていました。

そう言えば、このところ読んだ本の何冊にも、物事を上手くやっていくために情熱と柔軟性が大切とありましたがここにもそれがありました。

元モデル、元主婦だからって・・・すごい、エネルギーに満ちた内容です。

●今日の一口

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フランス、ロリーナ社のレモネード。そのまま冷やして飲みます。微炭酸。

ビンが可愛くて1ダースも買っちゃいました。セールだったし・・・

あとはワインを入れるんです。そのために漏斗も買ったくらいですから。

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2006年9月 3日 (日)

『ウェブ2.0は夢か現実か?』

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『ウェブ2.0は夢か現実か?』佐々木俊尚著/宝島社新書

この本を読むことになったのは、夫のせい?なのだ。かの『ウェブ進化論』梅田望夫著/ちくま新書 (詳細はVIVAさんのブログで。VIVAさんごめん!お借りしました。)をずいぶん前に購入し読もうと思っていた矢先、「あっ、俺読みたい。」とか言って持っていってしまった。

しかも、半ばで置き去りにしている(ううう・・・)。

木曜日、いつもの書店に寄り、別の本を買おうと思い手に取って、『ウェブ2.0』という文字が目に入ってきた。

「あれっ?『ウェブ2.0』って何かソフトのバージョンじゃないの?」・・・

あっ、急に“まずい!”と気が付いた。ウェブ2.0ってソフトのバージョンじゃない。

ナンダナンダ。

持っていた本を元に戻し、にわかに買い込んだものがコレ。ウェブ2.0が何かわかればいいや、というレベルだから何冊かあったけどドレデモイイ・・・。

ついでにもう一冊。

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『シリコンバレー精神』梅田望夫著/ちくま文庫

『ウェブ進化論』の梅田氏が、96年から2001年にかけてのシリコンバレーでの日々を、手紙形式で克明に綴ったもの。この10年間にネット社会がどう変化してきたのか良くわかる。

そして、そのまま『ウェブ進化論』へとなだれ込み読書。

結論から言えば、『シリコンバレー精神』を先に読んだ事で、ウェブ2.0へと繋がる流れがより理解できたような気がした。

ウェブ2.0とはソフトのバージョンではなかった。遡って今のインターネットのあり方をウェブ1.0とか1.5と表現し、次に来る新しいサービス、環境、誰もが自由にあるサービスの発展や、ウェブ全体の発展に参加できる構造、そんなものをウェブ2.0と言うらしい。

『ウェブ2.0は夢か現実か?』の方には、2.0へのサービスの流れ、人々の反応、そういったものがジャーナリストらしい視点で描かれている。

しかし、梅田氏の著書は2冊とも実に面白かった。

シリコンバレーがどんなところで、どんな考えを持った、どんな人達が集まりどのように仕事をしているのか・・・彼らの熱気が伝わってくるようで一気に読んだ。

正直言って、アメリカにかなわないのはこんなところだ、とも思った。

シリコンバレーで興味を持たれるのは、「あなたは誰で、何ができるのか」という事だけ、という話に、日本でシリコンバレーに集まるような人材の確保は無理ではないか、と確信してしまった。

偶然か、著者2人はほぼ同年齢。しかも私ともだ。

以前、IT関係の仕事をしていた時に、後輩と話した事を思い出した。

「ねえ、今はまだパソコンを使いこなせる世代の方が少なくて、この業界は少し知的な匂いがするように思われてるし、ソフトやシステムは億のお金になるけど、今の子供達にとってのパソコンなんて、我々にとっての電卓と同じような単なる道具だよ。

10年経ったらどう変わるのかね。お金はどこから作り出すようになるんだろう。」

我々の年代はそれを問わずにはいられないのかもしれない。

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2006年8月30日 (水)

『フィンランドメソッド入門』

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『フィンランドメソッド入門』北川達夫・フィンランドメソッド普及会著/経済界

今まで何冊かフィンランドの教育に関する本を紹介させていただきましたが・・・

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「アラビア」の食器(今は「イッタラ」ですが)やら、まだ記事にしたことはありませんが、artekの家具や、アルバ・アアルトの建築や、フィンランドはライフワークみたいなものになってる?

とは言っても、フィンエアに数回乗ったことがあって、ヘルシンキの空港に2度程降り立ったことがあるに過ぎません。

是非、近いうちに・・・と、今行きたい国No1です。何故好きか、なんてことは、知り尽くしてもいないので、雰囲気で「好き」と思いこんでいるのかもしれません。

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話は戻って、この本は大人向けにのみ書かれたものではなく、(子供にその気があれば)子供と一緒に読めるものです。

世界の子供達の学力テストで、連続1位の成績を上げているフィンランド。特にその国語力に注目が集まっています。

「国民的に読書の習慣がとてもある」と別の本にはありましたが、本を読むだけで本当に国語力が高まるのか?それ以外の秘密はないの?

実は、優れたシステムとして出来上がっている、国語力をつける教育法があった。それがここに書かれています。

書くこと一つをとってみても、

「文章を書く以上、相手に言いたいことを伝えなければ意味がない。」うーん、もっとも。

上手くなくても、最低限それが伝えられるように8歳くらいから徹底的に訓練するのです。

「小学校時代運動会や遠足や、その他とてもたくさんの作文を書かされた。でも、それに対しては道徳的なコメントが先生からつくだけで・・・果たして、作文が上手く書けるようになったのだろうか。」という著者のコメントが、いかにシステムがないか、を浮き彫りにしていて・・・。

簡単に読めます。(本屋さんに叱られるけど、立ち読みでも)

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2006年8月24日 (木)

『ダーウィンの足跡を訪ねて』

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『ダーウィンの足跡を訪ねて』長谷川眞理子/集英社新書

2ヶ月前ごろだったか、ダーウィンがガラパゴス諸島から持ち帰ったガラパゴスゾウガメの「ハリエット」が175歳で亡くなったというニュースが流れた。

さて、そのダーウィンという人はどんな人だったのか、という話が書かれている。

著者が訪れたガラパゴス諸島の動物たちの写真が和む。

ニュートン、アインシュタイン、ダーウィンあまりにも有名であまりにも知らない(私だけ?)人達と言うべきか。

はてさて、「進化論・『種の起源』」以外のダーウィンをどこまで知っているだろうか、と問われれば、せいぜい「ビーグル号」という名称以外ない?

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ダーウィンの生家は非常にお金持ちで、彼は一生お金に困ることはなかった。母方の実家は、あの陶器で有名なウエッジウッド家、途方もない裕福な家だったようである。

とは言っても、彼は、医者だった父親の跡を継ぐことも無理、ケンブリッジ等の大学には行ったものの、今の入学試験では到底入れなかったであろう学力、仕方がないから牧師になるか、というとても「学業優秀な」青年ではなく、ただ博物学の好きな少し変わった青年だった。

それが、たまたま「軍艦ビーグル号」での旅に5年も出ることになり、それが「かの有名なダーウィン」誕生へのきっかけとなる。

死ぬまで原因不明の病に悩まされた事、自分の子供を何人も亡くし、悲しみに暮れていたこと。

いかにも天才的で、俗世を超越した人物と感じていたが、とても、普通の繊細な面をたくさん持ち合わせていたらしい。

それにしても、ダーウィンは19世紀の人物、我々にとっては遠い昔の気がする。しかし、ガラパゴスゾウガメは時代を超えて21世紀まで生きた(ダーウィンが持ち帰った話が本当だとしたらだけど)。

明治から昭和にかけて生き抜いた人物、と良く形容されるが、このゾウガメと話が出来たら、彼女は一体何を話をしてくれただろうか。

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2006年8月23日 (水)

『アメリカ型不安社会でいいのか』

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『アメリカ型不安社会でいいのか』橘木俊詔/朝日選書

今となっては新しい言葉ではなくなってしまった「格差社会」。

生活保護世帯100万世帯への増加とか、年収300万円どころか、100万円ちょっとの若者が増えている実態、教育格差云々。

タイトルのごとく不安要素はたくさん示されるわけだが、「じゃ、どうすれば良いのか」

元々、日本は家族、大企業がいろいろな意味で個人の経済支援をしてきた、けれども、家族の崩壊、企業の弱体化によってそれが期待できるものではなくなってきた。

アメリカ的に自己責任型社会が本当に日本になじむのか、目指すは、ヨーロッパ型の環境保全、共生を考えた、消費優先型ではない、平等社会ではないか、と。

年金も保険料徴収制度を無くし、税収で全員に最低暮らしていける額を支給する方がよい、そのために累進消費税にするべきともある。

うーん、机上の話としては私もそう思う・・・

年金問題をはじめ、女性が働く問題、若者の雇用、教育格差・・・多くを取り扱ってはいて、上記のようにそれぞれに答えが出されてる。

でも、なんか、簡単に「じゃ、こうすればいい。」というのが腑に落ちない。

大変なのはそこにたどり着くまでの過程ではないのか、そこをどうすれば良いのかが聞きたいところなのだ。

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それにしても、こんな本ばかり読んでるナー

年金問題や教育問題を実感として感じる年代に入ったということ?

いかなる時代も変化に対応できる柔軟性が大事、と何かにあったけど大丈夫かな~。

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2006年8月16日 (水)

『長生きは家づくりから』

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『長生きは家づくりから』林玉子著/TOTO出版

仙台の実家で読んだ本。

著者は幼少期から足が不自由で、かつ、既に高齢の域にある。ハンディキャップを背負った人達にふさわしい環境を考えるのに自分ほどふさわしい者はいない、と非常に積極的に、バリアフリー住宅・環境づくりを推進している専門家である。

10年ほど前、少しの時期、住宅について学んだ時、その師から「共生、バリアフリー、ローコスト、ローエネルギーコスト」が僕のテーマ、とさんざん聞かされた。

その時は、きちんと消化できなかったが、今になって「まさにその通り」と実感している。

10年の間に、親、親類が年をとり足が不自由になるのを見るにつけ、「ああ、こういうことか。」と思うのだ。

この本に書かれているのは、「バリアフリー住宅は、全ての世代に優しい」「年を取ってしまってからでは遅い」、さらに「環境を整えるだけで、かなりの事が自力でできるようになる」「自力で出来るという事が生きる喜びにつながる」ということ、特に、若い時期にローンを組んで家を建てて以降は、なかなかバリアフリー住宅への手直し、改築が難しい現状を憂いている。

なおかつ、バリアフリー住宅というものが、まだまだ「特別な」ものであり続ける問題。

明らかな高齢化社会を迎えながら、年金問題だけでなく、住宅環境の問題も後手に回っている。

バリアフリー住宅=美しくない、という事が言われそうだが、それも発想の転換、決してそんな事はない、と書かれている。

若い時代に「作りきってしまう」のではなく、「ここをこう変えれば良い」という部分を備えておく、という事、おおいに納得させられる。

生活する、と言うことは死ぬまで続く。知っているのとそうでないのと、かなり違う気がする。

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2006年8月12日 (土)

『能力を高める 受験勉強の技術』

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『能力を高める 受験勉強の技術』和田秀樹著/講談社現代新書

昨夜、仕事が終わってから、新幹線で仙台の夫の実家に移動。

新幹線の中で読んだ。

和田氏が受験勉強に関していろいろ書いているのは知っていたが、本を読んだのははじめて。

タイトルがストレートだし、少し前なら読むのを躊躇したかもしれないが、この半年でこの手のことはずいぶんと鍛えられて、それほど驚く内容ではなかった。

要は、受験勉強は、「将来使えない無用なことを覚える」だけのものではない、覚えたりプランしたりする能力そのものを伸ばす、という意味で、必ずしも悪いものではない、ということが書かれている。

さらに、東大なら東大の、京大なら京大の傾向と対策に絞って勉強しろ、とある。

すべてに賛同、という感じではないが、

「今や、日本の子供たちは決定的に勉強していない。」という、それは他の本を見ても多く書かれていて、私もそれには納得がいく。

簡単に外国語を習得する、多くの知識を身につける、ということは、いかに便利な世になったとはいえ、やはり一朝一夕に出来るものではないのだ。

子供たちに、必ずしも夢のある将来が待ち受けている、と話してやれないことがつらいところだが、少なくとも知性が無駄になることはないと思っている。

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2006年8月10日 (木)

きっかけ

どうにも捨てられない本(雑誌?)がある。

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『テーブルトーク』別冊暮らしの設計/中央公論社

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『ご馳走の手帖』暮らしの手帖別冊

共に、1992年版。捨てられない理由は、この本が自分の生活スタイルを変えるちょっとしたきっかけになったからだ。

おおよそ15年前の話だが、自分はまだ若くて、子供もいなくて、仕事には慣れていて、バブルも既に下り坂だったが、それもあまり自覚がないようなノーテンキな状態。

しかも、共稼ぎで、少しだけ余裕があって、ブランド物を買ったりして、何となく締まりのない日々でもあった。

「こんな時間の使い方してていいのかなー」と思っていた矢先に偶然手にした。

はっきり言ってしまえば、今ならこの類の本はたくさん手に入る。

そう、「スタイルのある生活をする」それを体現している、フランスの著名な人たちの、ライフスタイルの一部を垣間見る事の出来る本(テーブルトーク)と、良質な食材をシンプルに調理して食べる食のスタイルを素敵に見せてくれた特集が載った本(ご馳走の手帖)だった。

大学時代には一人暮らしをしていたし、アフタヌーンティーのような雑貨を扱う店も増え、さらにはバブルで、様々なヨーロッパのブランド陶器が手に入るようになっていたので、料理好きでもあるしで、いろいろとお気に入りの食器を見つけては手を出した。

香港の友人の所に宿泊しては、クリストフルのカトラリーを買い、麻のクロスを買い、給料を手にするたびに、ロイヤルコペンハーゲンを買い足し・・・

しかし、それが揃ったとき、何か急に自分の欲していたイメージとずれているような気がした。

「本当にこんなものに盛り付けた料理を好むのだろうか?」「こんな薄いカップを持つ生活を望んでいるんだろうか?」

そんな時に出会ったのがこれらであった。

食生活やテーブルセッティングだけでなく、随所から「こんな時、じぶんならこうする。」というその人らしいスタイルが読み取れた。しかも、スタイルを貫く=エゴではない、ということも。

「ああ、こういう事だったのか。」何度も本をめくってようやっと理解した。

お金があって買えるから買う、ではない。これを持つ事が本当に必要か、自分らしいか、それから、それが少しずつ出来るようになっていった。

しかし・・・

また15年も経って、自分の中でも価値観が少しずつ変わってきた。

今、考えるべき、理解すべきことは何なのか・・・15年のうちに時間の過ぎる速度は大いに増した。それに追いつくべく速度で思案中だ。

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2006年8月 8日 (火)

『小泉首相が死んでも本当の事を言わない理由』

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『小泉首相が死んでも本当の事を言わない理由(上・下)』浅井隆著/第二海援隊

今朝の新聞で、どんなに働いても約15万円程度しか収入がない若い層が、イタリアに増えているという記事があった。

学歴もある若者が、結婚も出来ずに数人で住まいをシェアし、あるいは、親から離れられずにいるという。

この現象が、家族(親)を頼れる日本と非常に似ており、とりあえずは食べていけるので、問題が先送りになっている、と締めくくってあった。

「うーん・・・」と、引っかかったまま書店に行くと、上の本を見つけた。気になって手に取ったが結局買わずじまい。職場でその話を同僚にすると「読みたい、読みたい!」という事で、結局抜け出して買いに行く。

手にしてしまったら、読まずにはいられなく、あっという間に2冊読破。

もし、これが本当の話なら、上記の新聞記事などどうでもよいことだ。ノアの箱舟を用意して早速船出しなくてはいけない。

これは、小泉批判の書というわけではない。

何度が取り沙汰されている、日本の国の借金がいかに多額で、それは、今後日本に何をもたらすのか、という話だ。

それによると、借金の額は2005年度末で、1093兆円、日本のGDPの2倍に当たるという。

こんな借金を抱えている国は間もなく崩壊し、とんでもないハイパーインフレが来て、国民の多くは貧民に成り下がる!

現金や国債は紙切れ同然、1000万円の貯金は20万円程度の価値になる!

終戦後、約60年前に、新円の切り替え時に起きたと同じ混乱の現象がまた起きる。

しかも、贅沢に慣れた国民にとってはとんでもない事だ。国が守ってくれるなんて有り得ない、自分のことは自分で守るしかない、とある。

日本人は学ぶべき歴史に何も学んでいない、この現象が再び上昇気流に乗るのは2030年以降を待たなくてはならない。

これは、脅しか、とも取れなくはないが、実はかなり真実なのでは?とみた。

国の借金1000兆円が何を意味するのか曖昧にし続ける国が、いつまでも安泰とは信じがたいからである。

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2006年8月 7日 (月)

『イサム・ノグチ』

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『イサム・ノグチ(上・下)』ドウス昌代著/講談社文庫

イサム・ノグチの「AKARI」も「コーヒーテーブル」も有名だ。

でも、日系アメリカ人であること、山口淑子(李香蘭)と結婚していたこと、彫刻家でもあったこと・・・等々断片的に知ってはいても、どういういきさつで彫刻家がAKARIシリーズを作ることになったのか、その詳細は知らなかった。

あまりにも有名で「知っているような気がしていた」、そんな感じだ。

この本には1904年に生まれてからの全てが詳しく書かれている。

そうか、日本人の詩人とアメリカ人の女性の間に望まれずして生まれた、そんな複雑な生い立ちであったのだ。

日本人でもなく、アメリカ人でもない・・・100年前は、それが人生の全てを左右するほどの大きな問題だったのか。

今までに何枚か目にした彼の写真の険しい表情が、やっと理解できた気がした。

「日本人は外人を自分達と同じ人間として受け入れない体質がある」、彼の言葉が深く刺さるが、読み物としては読み応えがある。

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2006年7月25日 (火)

『芸術起業論』村上隆

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『芸術起業論』村上隆著/幻冬舎

彼の作品が6800万円で売れた、と聞いたのはいつだったか、しかもそれが女の子のフィギュアだというのだから・・・。

村上隆の名前を聞いたのはそれがはじめてだったが、アレヨアレヨという間に超有名になってしまった。

その後、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションによるバッグも販売され、「これは、海外で一体どこまでの評価をされているんだろう!」と密かに驚いたものだ。

その作品が好きかどうかと言われれば、正直言って自分の理解を超えるのだが・・・

その村上隆が日本の芸術ビジネスに辛らつな批判をしている。

「芸術にも世界基準の戦略が必要である」ということだ。

美術学校の生徒が先生になり、閉じた世界が循環する日本の美術界。アートで稼ぐ方法はどこも教えてくれない。

美術品は欧米の金持ちが買うものであり、そこには明確なルールが敷かれている。それを無視してしまえば、日本のアートなど相手にされない。

価値を高めるために、優秀なキュレーターはもちろん、翻訳にも徹底的に神経質になる。それが言葉できちんと伝わったとき、はじめて評価される。

これだけだと非常に傲慢に聞こえるが、

ゼロからやり直すハングリー精神がなくては、やはり苦境が何かを作る、という事を言っているし、実際彼は若いアーティストを厳しく育て、実績を積んできているようだ。

さらに、今のやり方がいずれ駄目になるかもしれない、そしたらまたゼロからやり直すしかないとも。

結局はものすごく真剣に試行錯誤しながら道を切り開く方法を模索しているのだ。

10代の何年間かを美大に行こうとデッサンを描き続け、あげく、将来何になれるのかが不安になって辞めてしまった自分には大いに耳が痛い話だ。

あの時点で先に「何になれるか」などという保証はあるはずのないものだったのに。あの時真剣に悩み苦しんでいたら、また人生は違ったのかもしれない。

人生に「仮に」はないんだけれど。

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2006年7月23日 (日)

『国家の罠』

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『国家の罠』佐藤優著/新潮社

裏を見たら15刷とあり、今更私が何かを言うまでもない衝撃の作だ。

描写が細かいが、それを読み飛ばす事の出来ない面白さだ。何度もこれはフィクションかノンフィクションかと問わずにはいられなかった。

近いところでもライブドア、村上ファンドをめぐる逮捕劇が繰り広げられたが、どうしてこのタイミングで?これによって誰がどうなるのか?良くも悪くも近頃はそういった事を考えることが習慣になってしまった。

そして、国策捜査がマスメディアと大いに影響しあっている、これもまたしかり。エンターテイメント性を帯びた号外報道の裏に、意図的に隠されてしまう報道されるべき報道があるはず。耐震偽造の問題はどうなっているのだろうか、欽ちゃん球団の問題と、イスラエル軍のレバノン攻撃の問題と、北朝鮮外交の問題と全てが同じレベルではないはずだ。

結局、「出る杭は打たれる」のか、日本はいつまでも変われないのではないかという思いにかられながらも、この本が版を重ねる事に希望を見出したりするのである。

個人的にはお薦めの1冊。

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2006年7月17日 (月)

『自壊する帝国』『日米開戦の真実』佐藤優

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『自壊する帝国』新潮社/『日米開戦の真実』小学館

毎日出版文化賞特別賞を受賞した『国家の罠』は入手しましたがまだ読んでいません。

著者の佐藤優氏のことは大変話題になっていたのに、読むのが少し遅れてしまいました。

『自壊する帝国』

佐藤氏が外務省に入省した経緯と、ロシア連邦日本国大使館に勤務し、ソ連邦の末期、その国の動きはどのようなものであったのか、若きエリート達は何を考え行動していたのか。

そういった事を佐藤氏自らの動きに絡めてスリリングに描き出しています。

異能の外交官・・・まさしく「これはスパイ小説か?」「常にこんなスリリングな外交が展開できるのであれば、日本の国際的な立場は違っているはず。」正直、そんな感想です。

もちろん、こういった外交官がいれば、従来の外務省の足並みは乱れるであろうことは大いに想像できます。

案の定、2002年2月には外交資料館に左遷になり、その後鈴木宗男議員と私的外交を展開し、国益を大いに毀損した、という理由で有罪判決を受けるわけですが、佐藤氏の勢いは全く衰えていません。

『日米開戦の真実』

戦後60年という事で、昨夏から靖国問題に関する本、戦前戦後、戦争を巡る日本の動きはどうだったのか、という類の本がたくさん出版されました。

「何故開戦に至ったか」という事も多くに著され、何冊か読みましたが、軍部の先走りであるとか、国民の戦争への高揚空気であるとか書かれているものが自分の読んだものの主流だったように思います。

そういう意味では何気なく、同じ著者のものだし、著者の理解を深めるためにもう一冊。と気軽に手に取りましたが、読み始めるやいなや「えっ、待って一体何が展開されるの?何が言いたいわけ?」という気分になりました。

そう、この本には大川周明(恥ずかしながら知らなかった、A級戦犯として、民間人としては唯一東京裁判に呼ばれたが、精神異常と判断され除外された)の『米英東亜侵略史』を読み解きながら、そして、かつての大帝国イギリスの中国、インドへの侵略外交と照らしつつ(この大帝国の勢力と方法を第一次世界大戦後受け継いだのがアメリカであるという論理)、開戦に至る経緯を見ていきます。

アメリカの日本への外交が、イギリスの中国、インドへのそれと同じように、いかに日本に不利でアメリカに都合の良いものであったか、『米英東亜侵略史』は当時ベストセラーになっており、日本の国民の知的レベルは決して低かったわけではないとあります。

軍閥にだまされて戦争に突入したというのはアメリカの情報操作であり、日本は戦争に突入するべき理由があった。大川のアメリカの対日政策の分析はかなりの水準にあり、現在でも通用する。

外交の行き詰まっている現在、歴史は繰り返す、という観点から考えると、この『米英東亜侵略史』の分析から学ぶことが大いにある、という内容です。

仮に、これを全て受け入れてしまったら、日本の戦後補償の問題、東京裁判・・・所謂戦前戦後史は混乱をきたす(少なくとも私の中では)、いや、混乱したままです。

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2006年7月13日 (木)

『危うし!小学校英語』

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『危うし!小学校英語』鳥飼玖美子著/文春新書

同時通訳と言えば鳥飼玖美子、の印象を持たれている同世代以上の方はこの著者を良くご存じ、と思うが・・・。

いつもおじゃましているブログにもコメントさせて頂いた通り、私自身も小学校からの英語教育に反対。だめ押しも嫌らしいんだけど・・・

反対な理由は「日本語(母語)をきちんと繰れないまま、英語を早くから教育しても、結局両方が中途半端になる。言語教育で一番大事な事は、母語できちんとした深い思考が出来ることである。」と思っているから。

それに、自分自身が必ずしも「英語が出来る」わけではないが、基本的な単語と文法以外、それをどう使うのか、というところは、実は大人になってから目的を持って学んだ時の方が理解したと実感しているから早ければ早いほど良い、というのは間違いじゃないか・・・と。

この本に書かれている「何故、小学校英語教育が危険なのか」と言えば、

教える教員の数、質の手薄さ

ALTの問題

(このことは別の本にも書かれていたが・・・)

しかも、小学校で英語を習っても、中学校から真面目に習いだした生徒に結局1年で抜かれるという現実

さらに、小学校の英語が「英語嫌い」と作り出してしまっていること

等々の問題をはらんでいるからとのこと。

それにしても、この流れは一体どこが作り出しているのか。文部科学省?否、産業界と「親」からの圧力であるという。

多くの親が「あんなに英語の勉強に苦労したのにしゃべれない。子供には苦労させたくないから。」という理由で、小学校の英語教育に対する反対はすごく少ないらしい。

なぜ英語を学ぶのか

なぜ文法を重視するのか

冠詞がなぜ必要なのか

英語を流暢にして「何を」するのか

「苦労したのに出来ない」と言われるが、実際日本人は時間的に勉強をしていない(中韓との比較で)

・・・・・

簡単に読める1冊。「小学校英語どうなのかな」と思っている方に。

個人的には、取り上げられている戦前、戦後の英語の達人の勉強の仕方に非常に興味深いものがあった。

ココログがやっとスムーズ!

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2006年7月 4日 (火)

『世界を見る目が変わる50の事実』

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『世界を見る目が変わる50の事実』ジェシカ・ウィリアムズ著/酒井泰介訳 草思社

このところ、新聞・雑誌にも結構紹介されているのでご存知の方も多いと思う。 タイトルからすると、思わず雑学を仕入れるつもりで気楽に読んでしまうが、50の事実は極めてシビアだ。

感想を一言で言えば、「世界には、いかに理不尽な人生を送る人が多いのか」ということだ。

日本の格差が話題にされているし、もちろん、小泉、竹中両氏の「日本にはそれほど深刻な貧困はない」というコメントは、論外だが、確かにこの本でいう貧困は日本と比較にならない。

「世界の五人に一人は一日一ドル未満で暮らしている」

「世界では七人に一人が日々飢えている」

「世界で三人に一人は戦時下に暮らしている」

「世界の人口の七〇%以上は電話を使ったことがない」

こういった見出し、上げればきりが無い。

結局、先進国のジャンクフードで肥満が急増する、あるいは、喫煙が危険だとも知らずに、タバコ輸出のターゲットにされる、いずれも発展途上の国々だ。 その儲けが先進国の摂食障害、ポルノ産業の肥大という、これまた文化の退廃を生み出す。

結局は、この問題に何ができるのか、となるが、「知るだけでもいい、それが何かきっかけを生み出す事になるかもしれなから」と優しい。

気軽に読める、深い1冊である。

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2006年6月29日 (木)

『ミース再考 その今日的意味』

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『ミース再考 その今日的意味』ケネス・フランプトンほか著/鹿島出版会
前回フランツ・シュルツ著の『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』を読んだ直後とあって、さすがに難解さは薄れたが・・・
いずれにしても、この時代にミースが建築界に与えた衝撃たるや、想像をはるかに越えたものであったに違いない。
これを実感として理解するには、実物を見て何かを感じ、またこういった考察に戻り、それを繰り返すしかないような気がしてきた。

私は、難しい事は抜きに、建物の創り出す空間の多様性に興味がある。光、建材、プロポーション。そしてそれをどう住まうかも考えれば考えるほど面白い。

家、住まい、インテリアなどと言っているうちは身近でかつ自分の手に負えるような気がするが、「建築」になった途端、崇高なものに姿を変え、もはや「好きか嫌いか」では済まされない考察を加えなければならないらしい。

そういう意味では、建築を中村好文氏のように書いてくれると入り易いんだけど。立て続けに翻訳ものを読んでそう感じた。

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2006年6月26日 (月)

『脳がめざめる「大人の入試」』

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『脳がめざめる「大人の入試」』齋藤孝著/集英社
実家に帰ったら、父が「それ、持っていっていいよ。」「?」と思って見ると、「有名私立中学受験問題に挑戦!」と副題のついたこれ。
はは~ん、孫の受験を意識しとるわけか。
「それが、1割位はどうも曖昧なんだよな。なかなか難しい。」と父。
どれどれ・・・
確かに「えっ、こんなの出るの?」というのがある。
そう言えば、息子が「慣用句って塾でやってるよ、“目と鼻の先”とかね、全然わかんないけど。」なんて頼りない事を言っていたけど。よほど読書家の小学生でないと全部すらすらとはいかないかもな~。
以前、職場で「ずいぶん雑然としてるな~。」と言ったら、「雑然ですか?そんなん普通に使わないんとちゃいます?」と、言われた事もあるし、「ヤブサカデナイ」も然り。
今時の小学生が、日常語で「枚挙にいとまがない」とか「寝耳に水」とか、言わないよな~。

教養が身につくとでも解釈しておくか。

それにしても、噂の齋藤先生の著書(というか、問題集か)はじめてですが、さすが、やり易い。

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2006年6月21日 (水)

『ミーナの行進』

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『ミーナの行進』小川洋子著/中央公論新社

いつも拝見しているVIVAさんのブログで『博士の愛した数式』が紹介されているのを拝見して、ちょっと気になっていたこの本をやっぱり読んでみることにしました。

両親が五木寛之氏に対して、「好きかどうかより同世代だからね。関心があるし、良くわかるわけ。」と言っていましたが、私も小川氏の小説に対して何となく同世代的関心があるわけです。

舞台は、1972年ミュンヘンオリンピックの年、ドイツ人とのハーフである「伯父さん」と結婚した母方の「伯母さん」の芦屋の家。

そこに1年間預けられた主人公朋子の語りで、1年年下の従妹のミーナとその家族との、不思議に満ちた、でも、どこか温かい規律に守られた生活を描き出しています。

小川氏の小説は○○である、と言えるほど読み込んでいませんが、この本に限ってもやはり登場人物の有り様が何とも魅力的です。特に超美男子である社長の伯父さん、寡黙な伯母さん、ドイツ人のおばあさん、お手伝いさん、“自社製品フレッシー”、関西弁、コビトカバ、喘息持ちの美少女ミーナ、バレーボール・・・ほら、もうヘンな取り合わせ!

そして、決してドラマチックじゃない最後がいい。

これ以上は、言えませんが。

・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は、テポドン2号の事を何か想像していて、「もし、これが市民生活を脅かすようなら・・・」と考えたら、「平穏にブログなんか書いてて良いのか」という気になった。

世界中が、市井の人の幸せを壊さないように・・・そういう想像力を失わないで欲しいものである(もちろん、自分もだけど)。

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2006年6月15日 (木)

『ブリュージュ フランドルの輝ける宝石』

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『ブリュージュ フランドルの輝ける宝石』河原 温著/中公新書

13~15世紀のヨーロッパの歴史と言えば、どうしても華やかさにおいてイタリアのルネッサンスのイメージが勝る。

加えて、中世ヨーロッパというのは非常にわかりにくいような気がしていた。

ブリュージュ、ブリュッセル、フランドル、フランダースの犬・・・

そう、ブリュッセルとブリュージュはもちろん違う都市で、ブリュージュはフランドル地方にあり、フランダースの犬は、この地方が舞台になったお話。

なんて、余計ややこしく・・・

ブリュージュは、地理的には北海に近いベルギーの北西部にある都市。隣合う国オランダと同じように土地が低く、北海につながる運河が街を走り、その美しい街並みが「北のベネチア」といわれるほどであったという。

特に13~14世紀にかけては、毛織物産業を中心にヨーロッパ中の物資がここに集まり、人口も当時としては特筆するほど多く、また文化も栄え、音楽、絵画、ゴシック建築などの多くの芸術作品が残されている。

しかし、それがその後の進展を、何故遂げずに、街は今尚、世界文化遺産となって残されているのか。

それは、繁栄の後、産業革命を迎えることなく、運河が泥で埋まり、街は交易ルートを絶たれた為であり、その中世の姿はそのまま温存された、というわけである。

この本は、このブリュージュの姿としての美しさだけでなく、ここでの人々の生活をも描き出している。

ブリュージュの街の繁栄が多くの外国人商人を惹きつけ、彼らが商談の為に外国語の習得に励んだ事、金融業が発達し、既に大いなる貧富の差が生じたこと、さらには、貧民層の救済事業が大規模に出現したこと、「とき」の感覚はどうであり、祭り事は何であったのか。

実はヨーロッパ中世の歴史がわかりにくいのは、やはり近代に比べてヒーロー?の少ないことが原因ではないか、と、極論だが思っていた。

マリーアントワネットでもナポレオンでも、例えば、子供向けの伝記を読むことでも、最低の流れはわかるように。

でもこれで、ようやくイタリアルネッサンス以外の中世ヨーロッパも少しわかってきた。せっかくだから、これを機にもう少し関連本を読むと良いんだが・・・

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2006年6月14日 (水)

『ゴーン家の家訓』

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『ゴーン家の家訓』リタ・ゴーン/小林禮子訳 集英社

“カルロスゴーンの経営”は有名だったし、話題になった当初、まさしく経営とは何か、を知りたいという気持ちから読んだ。が・・・この本は、近い年代の子供を持つ母親として、隣の家の芝生がどうして青いのか知りたい、というような極めて単純な興味を持って読んだ。

読み終わって「こりゃ、さしずめ家族経営か」。そうしたら帯に“ゴーン家は、『家族経営』という新発想を築いた。”と書いてあった。(間抜け!)

ブラジル、アメリカ、フランス、日本と、もちろん、経営の指揮をとる立場で移動するゴーンに、妻と4人の子供達はどういう風に足並みを合わせ、どう育っているのか。

率直な感想を言ってしまえば、「違和感があるくらいポジティブ」。

彼女の考える25か条が書かれているわけだが、その中でも“人生のステージにおいて最優先事項を考える”この言葉に引っかかった。

今、子供達が愛情を欲していれば、それに十分に答えられるようにする。送迎でいくら自分の時間が削られても、その子に合った学校が、他の3人と違う、と判断すれば転校させる。叱る事が必要なら、甘い事を決して言わない。

確かにこれはシンプルに正しい。でも、耳が痛いのだ。これが簡単に出来ればもっと優秀な母親になれる。

しかし、リタ・ゴーンは、夫や子供のことを最優先に考えながらも、自分もまた行動を起こせてしまう。

「いるのだ、こんなスーパーウーマンが」と言いたくなるのだが、彼女は、自分がこれほどに危機意識や、優先事項にこだわるのは、生まれ育ったレバノンでの内戦の恐怖が大きく影響している、と自己分析する。

いつ死ぬかわからない中での恐怖や緊張感、人生に対する思いが自分を早く大人にした、とある。

子供が自立するためにどう教育していかなければいけないか、という確固たる軸を、長期的なスパンで見ながら微調整をしていく。

内容に平伏しながらも、おおいに考えさせられた1冊ではあった。

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2006年6月 8日 (木)

『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』

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『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』フランツ・シュルツ著/澤村明訳 鹿島出版会

まさしくタイトルの通り、モダニズムの巨匠ミース・ファン・デル・ローエ。

生い立ちからその死までを、建築家としての仕事を軸にたどる。あの時代にどういう風にモダニズムの建築が受け入れられるのかもわかる。

4月に出たばかり。4500円もする本なのだ。先日ふらりと近所の図書館に行き、借りてきた。

硬い文章で、かつ横書きでびっしりと書かれた量に、最初は、引越しもあって疲れてなかなか入り込めなかったが、一度集中したら、俄然面白くなり、後半は一気に読んだ。

世の中のあり方、政治を問う本をなどばかり読むのも嫌気がさす。時には、静かにこんなジャンルの本も悪くない。

1986年生まれ。第一次世界大戦。バウハウス時代。さらにナチスの支配するドイツを経て、アメリカに渡りミース・ファン・デル・ローエはまさしくゆるぎないものになる。

ミース・ファン・デル・ローエと言えば、アメリカに建てられたモダニズムのアパート、シーグラムビル。そして、私の大好きなバルセロナチェア(もちろん、持ってはいないが)、そんなイメージばかりだったが、決して最初からこうした作品を作っていたわけではなかった、ということを今回はじめて知った。(よく考えてみれば、彼は19世紀生まれなのだ。)

戦争、ナチスによりバウハウス存続が不可能になった経緯はあるが、存命中に十分な評価が与えられた、という点では恵まれた芸術家だったのか。

あまり家庭的とはいえない、女性関係も織り交ぜながら、コルビジェ、グロピウス、ライト、同時代を生きた巨匠達との絡みも実に豪華だ。

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2006年6月 5日 (月)

『日本の外交は国民に何を隠しているのか』

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『日本の外交は国民に何を隠しているのか』河辺一郎・集英社新書

ストレートなタイトル。

話は、国連への日本の関わり方から入る。

少し前に、日本の常任理事国入りへの各国の反応が取り沙汰された。その時、「日本はアメリカに次ぐ分担金を負担している。それをきちんと支払い貢献しているのに、常任理事国に加われないのはおかしい。」という話が繰り返しなされ、私以外にも多くの人たちが、それを事実として認識していたのではないか、と思う。

ところが、のっけから「これは事実ではない。日本はアメリカと共に常に分担金の支払いを大きく遅延している。これは、日本の国連への関わり方を研究するものにとっては常識」というのである。

しかも、アメリカが分担金の支払いを遅延している事は、国民の周知の事実であるが、日本ではそのような事実は話題にも上らない。

常任理事国に入っていないから発言権がない、という事も全くウソで。それでは、何故、常任理事国入りを目指すのか、と話は続く。

イラク戦争支持と、北朝鮮の脅威に対するアメリカの支援要請という理屈の裏話。

主要新聞等メディアの迷走。

あまり強い事も言わず、多額の支援金を払い続けている日本という、お人好しで、いささか間抜けな日本の外交のイメージの本当のところは何なのか。

御都合主義の外交の失敗の連続、しかし、国民にその政策を評価する事が出来るのか。日本の中での議論は他では通用しない。そもそも積極的な政治参加の基盤がこの国にはないのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

極論だと、言われるかもしれない。だが、一方で、こういった日本があるからこそ、こういった追跡がなされる。

国が国民を守ってくれる。そんな国家に程近い位置に日本はあるのだろうか。

少なくとも、政治への関心、という緊張感は維持しようと思う。

ところで、国連の財政規模はいかほどかご存知?

なんと1年で1800億弱。これは、東京都23区5位、6位の江戸川区や板橋区程度なのである。(少ない!驚いた。自分の無知さにも。)

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2006年5月28日 (日)

『日本人のための「韓国人と中国人」』

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『日本人のための「韓国人と中国人」』中国に暮らす朝鮮族作家の告白 金在国(著)・三五館 1998年6月

毎日おじゃましているブログで、対中国外交に関する本の紹介がありました。何かコメントさせていただこうか、と思いましたが、「待てよ、私は中国について何を知っている?」、手が止まりました。

つい気になって、探し出したのがこの本。タイトルからすると話題になっている外交問題を解決してくれそうなんですが・・・

まあ、実は内容はそういうことではありませんでした。在中国の朝鮮族三世の作家が、長い間誇りに思い愛してきたはずだった祖国に留学しての失望、やるせない思いを綴った本です。

但し、この祖先が中国に渡らざるを得なかった経緯は、一つに日本の朝鮮半島植民地支配があるわけですから、他人事と思って読むわけにはいきませんでした。

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1959年生まれの彼にして、いかに漢民族の友人が多くとも、自分の祖国は韓国だと思い、中国の地において、朝鮮族は優秀だと評価されれば当然のこととして誇りに感じてた。

それが、94年から96年の韓国留学で打ち砕かれる。何と人の心の狭く、気ぜわしいことか。自分達の居場所はない。これが中国よりはるかに豊かな韓国なのか。

あれほど夢に見た祖国なのに、事あるたびに「こんなとき中国だったら」という思いにかられる自分に驚きながらも、祖国を憎めない。

単一民族で、「こうするべきだ」論を強要する祖国、所詮違うものさ、と違いを受け入れる中国。多くの民族が集まっているが故に、隣にいる人の言葉がわからない、文化が違うは当たり前。

韓国人に対し、「中国はこんなもの。」と言うことの95%は間違い、と警告する。中国への判断は「私の見た○○はこうだった。」と言うのが正しい。一言で決め付けること自体が間違いだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

置き換えてみれば、同様のことが日本にも当てはまります。半ば強制的に祖国を離れた人たちの望郷の思い、帰郷が実現し、実生活をするなかでの戸惑い。「これが夢に見た故郷か」

長い年月が人の心に、おおきなすれ違いを作り出してしまうのです。

こんなことが、自分と近い世代に、つい最近に起こっているのか、と驚きました。

戦争という行為が、国を越えて、こうした市井の人の人生を哀しいものにしているとしたら・・・ということだろうと思います。

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2006年5月25日 (木)

『絵で見る世界地図』

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『絵で見る世界地図』同朋舎 2000年度版 

ワーズワード(絵でひく英和大図鑑)と同じ同朋舎出版の大型図鑑です。

実は、職場の引越しが来月の初旬にあって、今バタバタと片付けてます。ボスのところにこの本を見つけました。たぶんどこからかもらい物?

バッグにも入らないほどの大きさですが、早速頂いて参りました。

人口、産業、自然環境・・・5年生の息子が塾から帰るなり見入っていました。「ねえ、アジアの人口ってどれくらいだと思う?」「うーん、いるよな、世界の人口の半分くらい?」「そう、34億。」

そんな内容ですが、私も大好き。わかってはいるけれど、「そうそう、ここではこんなのが採れるんだわ。」なんて、つい夢中になってしまう。

ここに政治・経済が絡んでくると、世界地図にも何やらの暗雲が立ち込めるのでしょうが、まだほのぼのと見られます。

でも、反面、これ以上のものを教科書で教えていくというのが、大切でもあり難しくもありだな、と思うのです。

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2006年5月23日 (火)

『小泉よ 日本を潰す気か!』&『パリの万華鏡』続き

息子が「最近、痒い、ちょっと。」と言ってきたので、昨夜は中断しました。GWの後、気温が上がって汗のせいもあるのかもしれません。このところ少し不調です。

で、続きですが、『パリの万華鏡』は、「ああ、日本人でない、当事者が書くと、こういう視点になるのか。」と思わせられる内容です。

パリを観光地、憧れの地としてでなく、各地域の歴史や特性、という基本情報をきちんと踏まえた上で読むと、この著者のいう変化を、興味を持って受け止められるのだと思います。

正直言って、私にはかなり基本情報が不足しており、面白さを感じられるレベルには至りませんでしたが。

さて、『小泉よ 日本を潰す気か!』ですが、おそらくこのタイトルを面白がる方と、拒否反応を示す方と、きっと両方あるのでしょうね。

私は、現状の日本のあり方にはかなり懐疑の眼を向けております。

身近な所では、保育の問題、学校のあり方、中学受験、さらには、個人情報保護の問題も、憲法改正、自衛隊のイラク派遣、郵政民営化、NHK受信料、アメリカ産牛肉の輸入再開のこと。

どれをとっても自分自身には納得がいかないことばかり。

最近では、新聞でさえ、頭から疑いつつ読んでます。

もう本当に無関心は絶対いけない、誰でも老人になり、弱者になる想像力を失ってはいけない。そう思ってます。

政治に問題があるとすれば、それを選んでいるのは自分たちである、という事を忘れてはいけないのでしょう。

昔は多くに「腹を立てても仕方がない」と言い聞かせましたが、最近は「怒り」を悪いことではない、と受け止めています。

面白く、かつ多くに共感しつつ読みました。

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2006年5月22日 (月)

『小泉よ 日本を潰す気か!』&『パリの万華鏡』

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『小泉よ 日本を潰す気か!』佐高 信 KKベストセラーズ

『パリの万華鏡』ミッシェル・パンソン モニク・パンソン=シャルロ 原書房

よく並行して何冊か読んでいます。 『パリの万華鏡』は、先日の朝日新聞の朝刊「文化」欄に紹介があって、出勤前に書店に寄ったら、この本を見つけたので思わず購入。

何かと最近話題の多いフランス。昨年のパリ郊外の暴動、若年者雇用の問題だけ見ても、いつまでも「憧れのパリ」視するのはどうも違うだろう、とやはり思われます。

今、フランスにも一つの民族や階層だけが集まる閉鎖社会が、上流社会にまで形成されている現実があり、そして、それがフランス社会の平等性や移民の同化政策に深刻な危機となっていると言います。

この本には、その地域の実態が書かれています。

この本の中では特別な警鐘を鳴らしているわけではありません。パリを良く知る人達にとっては、新鮮なガイドブックになるかもしれません。

(あっ、息子に話があったので、続きは明日にでも)

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2006年5月18日 (木)

『世界中のお菓子あります』ソニープラザと輸入菓子の40年

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『世界中のお菓子あります』ソニープラザと輸入菓子の40年 田島慎一/新潮新書

つい、懐かしい気分で買いました。

丸の内線を利用しているので、銀座に行くとつい寄ってしまいます。

見るだけのことも多いのですが、「何か面白いものがありそうな・・・」気がして。

読んでみると、まさしくソニープラザの策略に引っかかっていたわけですね。面白いことこそやってみよう!売ってみよう!という方針に。

著者は吉祥寺ソニープラザ店からスタートした、と書いていますが、そのソニープラザ吉祥寺店こそ、私が大学時代慣れ親しんだ店なのです。

それでも貧乏学生の身には、ソニープラザの商品でさえ手が出ない事も多かったのですが、お菓子はもちろん、しゃれたキッチングッズを手に取っては「うーん、どうしようか、買おうか、もったいないか。」などど一人つぶやいていたのでした。でも、実は同世代でも、東京に育った子たちは、ソニープラザなどきっと珍しくもなかった。そんな、ところも一人で行く理由でしたが。

ソニープラザには手頃な価格の、新しい化粧品がいつも満載でしたが、私は当時から食べ物、キッチンものばかり。

ここに書かれているように、マカデミアナッツチョコレートを買う世代ではさすがにありませんでしたが、リンツのチョコレート、ハーシーのチョコレートは懐かしい。

ウォーカーのショートブレッドなどは、「いつか買おう」と楽しみにしていたのですが、実際に買ってみると自分には苦手な濃厚さでがっかりだったりしました。

今もつい気になってしまう、輸入菓子のパッケージ、そんなベースはソニープラザによって培われたのかもしれません。

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2006年5月11日 (木)

『競争やめたら学力世界一』フィンランド教育の成功

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『競争やめたら学力世界一』フィンランド教育の成功 福田誠治 朝日選書

以前にもフィンランドの子どもたちの学力の高さについて書かれた本の紹介をしたことがありますが、やはり、複数の視点から知っておきたいと思い、また読みました。

一時話題になった国際学力調査PISAでダントツ一位の理由は何か、日本や他の国との違いは何か、そこから入ります。

何かでもちょっと読んだことがありましたが、このテストの結果から、日本の子供達は現象を文章にする表現が苦手、なおかつ、そういった問題は、最初から回答を放棄する傾向があるというのです。

反面、フィンランドは、そういった回答がきちんとできる。これは何が違うのか・・・

やはり、良く言われているように、試験に合格するためのテクニック的勉強と、自分が今学ぶ事を将来、どう活かしていくのかを考えながら、“競争に勝つため”ではなく、あくまでも“自分のための勉強”として、取り組むか、の違いらしい。

フィンランドは習熟度別や、性や家庭環境による差別をしない教育をして成功しているとも言います。

習熟度別は、出来ない子には良い影響は何もなく、出来る子にもメリットが全く無い事が証明されたから。出来る子は「放っておいてもできる」と判断するのです。

要は、国を上げての学力の底上げの結果が、世界一位を生み出し、わずか、日本の25分の1の人口で国際競争力も圧倒的に一位。

それでも、520万程度の人口で必要とされる知識や技術に応じられる人的資源がない、と判断されていた時代もあったそうです。

誰も落ちこぼれさせない、個別のニーズに応じた教育をする、教師の質の確保にこだわる、どこの学校でなければというのがなく、どこでも同じような質の高い教育が受けられる、教育はあくまでも、自治体、教師の裁量に委ね、中央はそれを援助する・・・教育は福祉である。国のどんな教育関係者に会っても、「テストの点数を上げるために」というようなことは言わなかったそうです。

フィンランドの教育のあり方に夢を見るわけではありませんが、人任せで済むものではない、と言い聞かせ、せめて“自分の勉強として取り組む”姿勢くらいは身につけさせたいと思うのです。

実に面白いと(いつもそんなんばっかり)思いました。

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2006年5月 9日 (火)

『昭和史』半藤一利

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『昭和史』半藤一利

今、続編の1989年までのものが新しく出ています。

これは、少し前に出たもので、昭和の、あの太平洋戦争に突入し、終戦を迎えるまでの流れが半藤一利の、比較的穏やかな語り口調で綴られています。

また両親の話になりますが、彼らは戦争体験者です。共に1932年生まれなので、終戦の時12、13歳。

教科書が黒く塗りつぶされたり、友達が亡くなったり、防空壕に逃げ隠れたり、疎開したり、食べ物に窮したり、そういった事を実際に知っています。

私には、彼らが、未だに「あの戦争は何だったのか」(というタイトルの本もありますが)をしきりと探っていると思えてなりません。

それでなくては、70歳の半ば近くになって、昭和史のようなものを貪り読む理由がわかりません。

読みたかった事もありましたが、そんな訳で実家にあったこの本を、ちょいと拝借して読みました。

父曰く、「まあ、比較的良い本ではあるがな。」

本の帯の書評にあるように、私もこのジャンルでは、なかなか平易に、かつ比較的公平な視点を保ちつつ書かれたものであると思いました。

ただ、両親には、何かこれでも物足りない、納得できない思いがあるのか・・・そんな気がしているのです。

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2006年5月 8日 (月)

『庭仕事の楽しみ』ヘルマン・ヘッセ

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『庭仕事の楽しみ』ヘルマン・ヘッセ V・ミヒャエルス編 岡田朝雄訳(草思社)

ヘルマン・ヘッセと言えば、「車輪の下」「デミアン」、何か教科書で抜粋を読んだな・・・と思われる方も多いかもしれません。

何を隠そう、私自身も他の作品を良く知らないのです。国語の教科書で知っているような、それと繊細な青年の苦悩の物語、というか、そんなものはとうに過ぎ去ってしまったもので、今更・・・あんまり手が伸びませんでした。

実は、この本は数年前から実家にあり、それは知っていました。

読んだきっかけは、母が「パパに薦められて読んだの、そしたらとても面白かったのよ。」と、しきりに言ったからです。

「庭仕事の愉しみ」と言うには、相変わらずヘッセ独特の(訳のせい?)苦悩に満ちたような、物事がむしろ更に難しくなりそうな庭木、花々への賛美?に満ちています。

父の「いやー、実に面白かった。以前読んだときにはこの面白さがわからなかった。」という、言葉から察するに、自分は、両親の感じた面白さを薄っすらと、理解したに過ぎない、まだ、同じ面白さを共有する事は、今は無理か、と感じています。

人間の老いと、季節の移り変わり、そのはかなさ、そういったものが手に取るようにわかってこそ・・・いや、そんな単純なものではなく、非常に難しい本だと思いました。

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2006年4月27日 (木)

『強育ドリル2 表で解く!』宮本哲也

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『強育論』を読んで、宮本算数教室に入れたい、というだけなら簡単ですが、それではあまりにも情けない。

『強育ドリル2』を買ってみました。(「2」から買った意味はありません。たまたまこちらがあったから。4年生以上って書いてあったし。)

問題1をやってはまってしまいました。自分が。

んん・・・連立方程式?ん?まてよ、4年生でそんなものが要求されるわけはないし・・・

そうすると、こっちが1だと、こっちが19で、そうすると要求されている答えには足らないし・・・

ずっと頭の中で「この場合はいくつで、この場合は・・・」

「やった、わかった!」(4年生の問題ぞ!)

と、なると気になるのが「ときに、連立方程式ってどうやって解くんだっけ?」ずっと寝るまで算数のことを考えつづけ、ベッドに入ってからも・・・「あっそうだった、そうだった、(連立方程式って思い出した)すっきり!」

心地よく眠りにつきました。

今朝になって回答を見ると、表を使ってる。そうか、表で解くって書いてあるし、でも、こんな原始的なやり方して良いわけだ。

何か楽しくなってきます。

今から、塾の宿題をする息子の隣で、問題2をやるのです。昨日で要領がわかったからな。

またまた、大幅に話は逸れますが、半蔵門『一元屋』のきんつばをはじめて食べました。職場の本当にすぐ近くなのに・・・今日、やっと買ってみました。

小豆の存在感があって、きちんと塩が効いて、皮が薄くて軽い、きんつばそのものも薄めです。美味しいと思いました。

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2006年4月23日 (日)

『テツはこう乗る』野田隆

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『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』野田隆 光文社新書

息子の鉄道オタクぶりのことは何度も書きました。

先週の月曜日の朝刊で、この新刊案内を見た朝、迷わず書店に立ち寄って購入しました。

「新書一冊読むことで、“鉄ちゃん”が少しでも理解できるならお安いもの。」

ところが、家に持ち帰るや否や、息子に横取りされ、目を通したのはやっと今になって。

著者は、実は日本旅行作家協会理事でもあり、都立高校の教師でもあり、他に何冊もの鉄道に関する本を書いているという元祖テツ!(でも、こんな色々な顔を持った先生は魅力的ですが)

テツはこんなところに感動する、乗りテツ、撮りテツ、収集テツ、模型テツ・・・

息子は読みながら、「そうだよ、そうだよ、同じ!」と、興奮しっぱなし。「僕は何テツかな?」「一つだけ違う事がある。この人はテツはJR好きって書いてあるけど、僕は京急が好きだな。(知ってるよ!)」

テツは興奮して読んでいましたが、テツ分(鉄道好きが少しでも入っている場合、こう呼ぶそうな)が不足気味の私は、「へえ~」と思うばかりでさすがに満腹気分。

テツ分の多い方、是非一読して、共感してください。

ちなみに本日も、雨の中、我が家の撮りテツにつきあいました。(京急 梅屋敷~京急蒲田~糀谷)

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2006年4月21日 (金)

『強育論』宮本哲也

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著者は、低学年向け「合格パズル」、「考えさせる算数教室」で有名です。

入試を意識させるのは6年生の10月から、それまでは興味を持って問題に取り組めばいい。ただし、自分の塾で預かる8歳から自立を目指す。依頼心をなくす。(へええ!)

睡眠時間を削って勉強させる必要はないし、集中力がなくなるほど疲弊させるべきではない。(確かに!)

テクニックで点数を取る訓練をするのではなく、とにかく集中して考えることが学力の向上につながる。(ナルホド!)

なかなか刺激的な物言いながら、話は親(特に母親)は、子供の存在をどうとらえるべきか、まで話が及ぶ。

筋を一本通しながら、表向きは厳しく、でも裏では、子供達の成長を確認しては「良かったな」と呟く・・・そんな、懐かしい頑固親父的雰囲気も漂わせつつ、塾や受験の情報乱立の中では、目の覚める一冊です。

詳細はお薦めくださったVIVAさんの記事に!

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2006年4月18日 (火)

『書物の運命』池内恵

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9.11以降、何度か新聞で中東情勢を語っているのを読んで気になっていました。

何が、って?「1973年生まれ」というのが・・・(すみません、くだらない事で)

でも、自分が30歳位の時、どの程度であったかはわかっているつもりですから、「たかが30歳で中東の専門家?いったい何者?」となるのは、自分としては率直な思いでした。

テレビが無い子供時代、東大(偏見はありません、むしろ最近は、「ここ、やっぱりいいな(当たり前ですが)」と思っています)、父親がドイツ文学者(「父はドイツ文学者」としか書いてありませんが、かなりの確率で、いや絶対、お父様は池内紀氏であろうと思います。池内紀氏には膨大な著書がありますが、好きで何冊も読んでいたから、ピンときました。最近も「カフカの書き方」を読みました。)・・・わかるようなわからないような・・・

この本は池内恵(さとし)氏がこの数年に渡って書いた書評、そして、簡単な生い立ち、当然、「何故、中東なのか」、書評への考え方のようなものが書かれています。

内容の成熟度に舌を巻きました。

私は、頭が良ければ、人の感情の奥深いところまでを知的に感じることも出来るとまでは思っていません。その時々の人間の複雑な思い、というものは人生経験なくしては想像し得ないことも大いにあると思うからです。

年長者の優位はそこにあると思っていましたが・・・

あっさりと、若きエリートに、してやられた(比べるのが間違いですね)、という感じです。

でも、こういった、日頃使っていないような脳を使うようなテーマや内容の本は、楽しくも読みました。

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2006年4月17日 (月)

マクロビオテック

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「オーがニックベース -マクロビオテックと暮らす」奥津典子 ビジネス社

「久司道夫のマクロビオテック 入門編」久司道夫 東洋経済新報社

「オーがニックベース -マクロビオテックと暮らす」から先に読みました。玄米ご飯が思ったよりずっと美味しいので、その玄米ご飯を推奨しているマクロビオテックとはどういうものか少し勉強してみようと思って。

久司道夫氏は1926年生まれ、アメリカではクシマクロビオテックの権威でかなり有名な方のよう。実は、奥津典子氏は久司氏に師事した関係でした。でも、1974年の生まれなので、ご自分の家族をモデルに若い感覚で書いています。

2冊読んだら少しだけわかってきました。

食物には陰と陽の性質があり、どちらにも傾かないバランスの取れた食事が良い。そのバランスの取れた食物の最たるものが玄米ということ。

たんぱく質は、動物性から取る必要は無く、例えば、豆のような植物性から、あとは全てをバランスよく含む玄米にもかなりある、ということ。

乳製品は薦めていません。牛乳にはカルシウムが多く含まれているけど、牛乳にはむしろ人に利用できない成分が多いので、よりカルシウムの豊富な海藻を薦めるとのこと。

玄米と同じように野菜はできるだけ丸ごと食べる。そのためになるべく無農薬の野菜を購入する必要があるけど・・・

さらに、出来るだけ、自分の住んでいる近くで収穫した食べ物を食べる。だから、トロピカルフルーツのようなものは薦めない。

さらに、驚いた事に(私だけか?)、このマクロビオテックというのはアメリカではかなり知られていて、著名な政治家、ビジネスマン、スターは既に実践しているとか。

疲れやすいとか、顔色が優れないとか、イライラするとかの諸症状を、内から改善して、その人が本来持っている健康と美しさを取り戻す、とでもいうか、そんな効能がありそうです。

肉や乳製品、砂糖等が否定されているので、少し難しそうですが、玄米を食べると確かに合わせたいおかずは違ってくる。真似事でも少しずつ実践してみようかな、と考えているのです。

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2006年4月16日 (日)

「希望格差社会」

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「希望格差社会」山田昌弘 筑摩書房

夫が読んで「『下流社会』より前のやつだけど。」と薦められました。

2004年に出版されたものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1990年あたりまでは、学歴や収入が違っていても、真面目に一生懸命仕事をしていれば、それぞれの位置で、必ず、昇給・昇進していく、という将来が見えた。

一億総中流と言われていた層が、無理やり勝ち組と負け組に二極化してきている。

高学歴な男女が結婚し、ますます高収入を得る層を作り出し、そこで育った子供が得る知識や文化は、もはや貧困な家庭で育った場合と、巻き返しが不可能なほどの差が生じている。

大学や大学院に行けば、それなりの将来が約束されていた時代は去り、その半分以上がラインからこぼれ落ちていく。そして、それをあきらめ切れないのはむしろ親である。

かつて60年代は離婚率も最低であった。それは、夫の昇給・昇進という夢と切り離して考える事は出来ない。当時は、世帯主が病気で亡くなってもその家族が暮らしていける手厚い制度があった。

サラリーマンに専業主婦の妻、2、3人の子供。その形で日本はしばらく安定していたが、その安定がついに崩れたと言うほかない。

・・・・・・・・・・・・・・

『下流社会』と重なる部分もかなりありますが、なぜ、これまで安定してきたのか、それがそうでなくなったのか、が統計と共に詳しく書かれており読み応えがあります。

「努力しても報われない・・・」嫌な言葉ですが。

この現象に対して、世論は仕方がない、勝ち負けがあって当然、という派と、いや、昔の安定した制度に戻すべきだ、という派と大きく分けられるが、もはや、全くの後戻りは不可能だろう、とは著者の言葉です。

それでは、どうしたら良いのか。誰もが聞きたいところです。もちろん、書かれてはいますが、誰か1人が解決してくれるでもなく、何らかの声、行動をどう表明できるのか、考えてしまいます。

ちょっと(ずいぶん!)話は逸れますが、「ココナツミルク・白玉・あずき」(何て呼んだらいいか)を作りました。ココナツミルクは買ってきましたが、あとは、あずきも豆から煮て、白玉も作って、これからの季節に美味しい!

玄米に合うデザートないかな、と作ってみました。既にどこかにありそうなコンビネーションですが、また作ろう、という味に出来ました。

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2006年4月14日 (金)

ご存知『ダ・ヴィンチ・コード』

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やっと読みました「ダ・ヴィンチコード」。

たまたま上司が文庫化されたのを3冊まとめて購入してきて、それを見つけた同僚が「私たちも借りましょうよ!」と次々と借り出してきました。

うーん、何と言うか、久しぶりに、わくわくと読み進むこの感じなつかしいというか、やはり楽しい。

わあ、ここまで言うと熱心な信者の人たちから何か言われたりしないのかな?と思ったりもしましたが、スケールの大きいテーマのところがむしろ入り易かったりして・・・

3人ともあっという間に読んでしまいました。そう言えば、3人が同じもの読むなんて、上司が買ってくる「週刊現代」とか「週間ポスト」位だったな。

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2006年4月 2日 (日)

『東大式 絶対情報学』

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『東大式 絶対情報学』 伊東 乾/講談社

私はすごく良かった。でも、夫は「なるほど、とは思ったけど、目からウロコほどではなかったかな。」とのこと。

“東大式”という部分は、買ってから気が付きました。パラパラとめくって面白そうだったから。

書かれている技法については、私自身は「そうか、もう一度、こういうことを自分に言い聞かせてみよう」と思った。ちょっと良い刺激。

本の帯には「競争社会を勝ち残るためのIT知の技法」ってあるけど、むしろ強く感じるのは、この著者の、学生のもっと深い能力を引き出していこうとする人間への愛情。

それに感動したのかもしれない。

中学受験を巡って、有名校を色眼鏡をかけて見てしまいそうだったけど、こんな空気が吸えるならやっぱり東大には大いに意味があるな、と思わせられた1冊でした。

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2006年3月28日 (火)

『新・中年授業』/『旭山動物園革命』

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『新・中年授業』目黒考ニ/『旭山動物園革命』小菅正夫(旭山動物園園長)

スキーの合間に雪山で読みました。

『新・中年授業』の方は、久しぶりにジャンルの違うものが読みたくて。

目黒考ニといえば、「本の雑誌」、椎名誠の言うところの“赤目の血走り”、沢野ひとし、野田知佑・・・と、連想されます。

20代の終わりから30歳ころ、椎名誠を巡る人たちの本をたくさん読んだ時期がありました。

この本を手に取って、「ああ、あの人達ももう還暦を過ぎたんだな~、どうしているのだろうな~」と、しばし感慨深い思いに耽ってしまいました。(大げさか)

この『新・中年授業』は、目黒考ニが読んだ本のことについての感想を書いているわけですが、普通と違うのは書評ではないこと。

良いも悪いもなく、「こういうふうに“さえないあんたが好き”と言われても困るんだよねー」とか「このカップルは美しくない、欠落感が無いなんて!」と、勝手なシーンに勝手な感想を述べているのです。そこに、中年の哀愁が漂っていて、またいとおしい。

肩に力が入りそうなものばかり読んでいたので、この人間臭さににやり。

『旭山動物園革命』は、遅ればせながら、あの有名な旭山動物園復活の記。

動物の本来得意とする部分を活かす。それを会社に置き換えても当てはまる、とはまさしくその通り。

この成功談(と、言っては語弊があるかも知れませんが)が、良く考えて見ると、決して奇をてらった方法ではなかったことに共感できます。

考えて、諦めず、行動に移す・・・読んで感動しているだけではいけません、いけません。

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2006年3月22日 (水)

『新たなる「挑戦」』渡邉美樹

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最近、こんなジャンルの本ばかり読んでますが・・・

いや、ここ5年ほど特にそうなのです。原因は、少しはわかっています。子育てに一段落して、もう一度、仕事で最燃焼したい、という気持ちが強くあるからです。

確かに20代の時もそれはそれで仕事をしました。でも、やはり30代の時は、いかに残業が出来ないことのカバーをするか、遅刻、早退、欠勤を避けられるかに心を砕き、やはり人の120%やっている、なんてことも、とても言える状態ではありませんでした。

子供が小学校に入って、ふと気が付くと30代後半、残業や休日出勤が出来る事がうれしくて、喜んで、出て行きました。

「新しいことが勉強できて、覚えられる」それが、どんなに新鮮だったか。少しも苦になりませんでした。

わからなかったことのために、たった1ページだけでも答えが載っていれば、それを買う事を惜しいとは思いませんでした。

でも、やっぱり10年間近いハンデは大きい。ここ5年ほどで自分が変わった事を考えると30歳だったころ、子供が生まれる前の自分が悔やまれてなりません。どうして、あの、わずか2、3年をもっと有効に使えなかったのか。

確かに、仕事と子供を天秤にかけたら、もちろん、子供です。でも、時間が制約されてはじめて、いかにそれが貴重だったのか思い知りました。

そこそこにはやってきたのかも知れないけど、甘い。それが、尚、今も続く自己評価なのです。

人の体験談ばかり読んでも、行動をしないと変わらない事くらいはさすがにわかっていますが・・・ホント、反省しきりです。どうにかしなくちゃ・・・

中学受験や、エコロジーや、自分でも気になることがたくさんありますが、この渡邉さんはすでに自分でその行く先を定め、さっさと行動に移しています。

あまりに強烈な考え方に、少し身を引きつつも、大変興味深く読みました。

深い悲しみや悔しさというものが、原動力になったのだとは思いますが、人間に愛情がなくてはとてもここまで出来ない。

愛情の裏にある哀しみまで、感じてしまっては読みすぎでしょうか。

皆、いろいろな問題について、議論しているのは好きです。でも、こういう人にはかなわない・・・

こんなもの読んでばっかりいてはいけませんよ。と言われたような気がしました。

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2006年3月20日 (月)

『スープで、いきます』

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これは、本当に個人的な興味から読んだ本です。

Soup Stock Tokyoというスープ屋さん、特に東京の方は良くご存知だと思います。

この店に代表されるスープ屋さんが出来たとき、「へえ、スープか、でもどうなのかな?」と思いました。

その昔(20年以上前かな?)渋谷に「すうぷ屋」(だったかな?)という店がありました。でも、Soup Stock Tokyoとは違って、レストラン形式の店で、コーンスープのような味の物がやはり主流だったような。一時は流行まりたが、その後しばらく忘れていました。

この店が気になっていた理由は、もちろん、美味しいからでもありますが、許せるチェーン店はこの他にも、スタバやタリーズ、フレッシュネス等、ないわけではありません。

つまり、スープという選択と、これがコーンスープ、ミネストローネにこだわらず、ここまで、あっと言わせる組み合わせのものを、定着させるこだわり。「奇をてらった一過性のもの」にしてしまわないセンス。「どんな人がどんな考えでやっているのか」、それを密かに知りたいと感じていました。

迷わずに買って読みました。

正直言うと、自分よりは若い世代の人がやっているのでは?と思っていました(この感性は少し若いバブルを知らない世代のように感じていました。)が、意外にも発案者は自分と同じ世代。

三菱商事が関係していたことも知りました(彼は、三菱商事の社員だった)。

三菱商事にもこんなことを考える人がいるんだ。でも、彼がプロの芸術家としての一面を持っていることをがわかって、「やっぱり、そうか」とも思いました。

確かに、すでに優良な店として定着しているけれど、何となくアナログな温かさを感じる。スタバやタリーズにはスマートなスタイルを感じるし、この店ももちろん、おしゃれ。でも、それ以上にこの凝ったスープを、しかも新メニューを加えながら、展開していく心意気、こだわりは普通のサラリーマンにはなかなか難しい?職人っぽい何かを感じたのは彼の芸術家としての資質から?

文面から、商社マンという表現の似合わない人なのかな?でも、もちろん優秀なビジネスマン、それでいて、「ぼくは、この感性にこだわりたい」というのが勝りがちで・・・そんな空気が読み取れました。

これを読むと「てやんでぇ」と、言いたくなる人も」いるかな?と思わなくもないですが、この人柄と、逆にゼロからのベンチャーに比べると、少し恵まれた環境が、この味を作り出しているのかも。

この年齢になると、100円、200円高くても、体に負担のない、でも、ウソではない実のある食べ物を食べたいと思います。

Soup Stock Tokyoのような心意気の店が続いてくれる事を願うばかりです。贅沢を言えば、この店のパンが、もう少し、滋味豊かな?(難しい?)味だといいな。

これを読んだら、何となく、スープが食べたくなりました。

夕飯に作りました。

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2006年2月27日 (月)

『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』

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スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」 小澤徳太郎著(朝日選書)

毎度受験の話では、書くほうも飽きてきたので。

「持続可能な」とは、Sustainable. このところ良く聞かれるLOHASのSの意味と同じです。

ここで定義する、スウェーデンのいう持続可能な社会とは、何が持続可能なのか、ということですが、これは「動物としての人間が、生態学的に持続可能な社会」ということです。

何か、突拍子もないことのように聞こえますが、私がこの本を夢中で読んだのは、実は我意を得たり、ということであり、それは、同時に恐れていた事はやはり現実なんだ、という事を思い知らされたことでもあるのです。

つまり、スウェーデンは20世紀に前提とされていたような、無限のエネルギーや資源を使っての経済成長はもはや有り得ない。このままでは、2050年まで生態系が持たないことを確信している、ということです。

そのために、国家の第一の政策に環境対策をあげる。2000何年にどのような環境目標を達成するかを明確にして、それに向けて進んでいます。

地球に優しいとか言いながらも、「一人一人が出来ることからしましょう」「クールビズ、ウォームビズ」などどいう政策は、妙に肩透かしをくらった気がしていましたが、まさしく、スウェーデンのあり方こそ、(国が問題意識を持って先頭に立ち、それに皆問題意識を持っているということでいいね、というような合意を取り付ける。スウェーデンの未来が今、正しいと検証されているわけでも、保障されているわけでもありませんが。)、私が求めていたもの・・・と、言っては大げさですか。

「経済は上向きです」というようなセリフが妙に寒々しい、テーマパーク、高層ビル、やみくもなIT・・・大きなしっぺ返しが来ない事を祈りたい。

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2006年2月16日 (木)

『国家の品格』

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昨夜、夫が、

「新田次郎と藤原ていの息子の、と言ってもおっさんだけどさ(藤原さんごめんなさい)、国家のナントカって面白いらしいぞ。」

という。

「“国家の品格”でしょ?何回か手にとって、パラパラと立ち読みしたよ。既に結構売れてるじゃん。」

「何か、右からも左からもそれなりに評判いいらしいな。」

って、思い切り軽いノリのやりとりをしましたが、良いきっかけと思って購入。早速、出勤前のコーヒーの時間と、昼休みで読みきりました。

本は結構躊躇無しに買いますが、タイトルが微妙で(うーん、思い切り右寄りか・・・)迷っていました。

感想は・・・ナカナカだと思いました。

何冊か、政治や国の行き詰まりに警鐘を鳴らす本を読みました。ある種の知識人においては、今の日本の状態が危なっかしくて仕方が無いとうつるのであろうことは、十分に読み取れますが、いずれも、解決策は明確に出てこない。

そこにスポッとはまった感じとでもいうのでしょうか。

帯に書かれているフレーズを読むといささかギョッとしますが、これは所謂ナショナリズムではありません。

世論が世論が、というけれど、国民は永遠に成熟しない。今や世論はマスコミだ。という考えには思わず納得しました。

特定政権の支持率が大幅に上がる、誰もが株の話をする、小学生が株をする、特定の人達を集中攻撃する、あるいは賛辞する。それに飽きると、次の話題に移る。

これは、まともな現象か?と、日々感じておりましたので。

「人類は永遠に学習しないんだな、戦争を繰り返すんだからな。」という夫の常々のセリフもまさしくその通りということになりますか・・・

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2006年2月 2日 (木)

エコロジー最前線

P251iS02571 「Pen」最新号の特集記事です。

特別なエコロジストではありませんが、あっという間に増える我が家のゴミは「どーにかなんないのか」と本当に思っています。

割り箸を使わないで、「My箸」を持とうなんて話は、今どうなってしまったんでしょうか?

ドイツでは、ペットボトルを繰り返し使うので、ボトルが擦れて白くなっている、という話を聞いていながらも、やっぱり新しいボトルを、都度買ってしまう自分に猛省・・・

私のように、悶々と悩んでいるだけでは、埒があかないんですねー。

本日、この特集を見て、一部の賢い人達は、ちゃんと実践に移していることを知りました。日本にもそういう視点を持った学部を持つ大学があるんですよ!

タイヤを何かに再生したり、トラックの幌でバッグを作ったり、1日たったパン屋の残りを別のパン屋に集めて、「焼き立てではない」と半額で売って人気店になったり。

「私一人がやっても・・・」と後ろ向きに考えないで、自分だけでも一歩進めることが説得力か、やっぱり。

自分が実践していることなんて、本のカバーは要らない、とか、袋は要らない、とかそんな程度。あっ、そうそう、使い捨て紙ナプキンは使わない。麻のナプキンを洗ってアイロンがけして使ってるか・・・

昔のお豆腐やさんみたいに、鍋やボールを持って買いに行く文化、復活したら、自分は対応できるかな?

価値観の変換、というか、袋や入れ物を持って、それに入れてもらう買い方、というのが「カッコ悪い」とか「面倒くさい」とかにならないように・・・スタバやタリーズのカップはそれを変える動きをしてるか。紀ノ国屋のショッピングバッグも。

他力本願な考え方だけど、ポリシーをきちんと持った企業が、もっとカッコ良く先導してくれたら、定着するのでしょうか?甘い?

バレンタインデーを目前にして、言うのも何だけど、ラッピングに凝りに凝ったチョコレートの山、「外箱代は全部でおいくら?」なんて考えてしまうのは、私だけ?

いずれにしても、憂えていないで、自分が1歩進むしかないみたい。

取り急ぎは、ティッシュを遠くに置かなくちゃ。

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2006年1月24日 (火)

「一生懸命って素敵なこと」

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久しぶりに、本にカバーをかけないで持ち歩くのに恥ずかしさを(林さん、ごめんなさい)・・・

だって、あんまりストレートな内容と表紙で、気恥ずかしい、というか。

ご存知、現ダイエーの会長兼CEOを務める、林 文子さんの著書。

クルマのセールスの新人時代に、1日100件営業してトップセールスになったという話は有名です。

こんなこと誰もが出来るわけではない?今時有り得ない?

営業の極意とも言うべき、その人を好きになって、楽しく話が出来れば、成績はあとからついてくる。という話が繰り返し出てくる。

会社で働く人が大事にされて、そこで働く人が楽しんで、誇りを持って仕事が出来れば、売上は必ず上がっていく。

部下を誉めて誉めて、育てるべき。

ホウ・レン・ソウは部下に求めるのではなく、上司がするべき。

なんか、シンプルすぎるくらいなんだけれど・・・でも、私は、もっともだと思いました。

まるで、反対の事が横行する世の中だけど、人間の心を打つものはそんなに簡単に変わりはしないということでしょうか。

もちろん、彼女の足元にも及びませんが、共感できるいくつもの事を、今までの仕事の中で実感してきました。

また、ちょっとウズウズしてきました。そんな現場に身を置きたい!

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2006年1月22日 (日)

なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

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昨夜、途中まで書いていたら、ベッドの息子が何やらつぶやくので、部屋に行ったら自分も眠くなり、何を書いていたのかわかならなくなってしまいました。で、再度書き直し。

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フィンランドは、子どもの教育の問題に、多少興味を持つ以前から関心があり行ってみたい、知りたい国の一つです。

当初は、建築や照明デザイン、テキスタイルやガラス、食器等々のまさしくインテリア面だけからの興味でした。もちろん、そのデザインがどのような背景から生まれてくるのか、という事には深い関心がありましたが。

そこへ、最近の「子供の学力世界一」の評判。

森と湖の国と言われるほどで、人口も少ない北の国から生まれ出るモダンデザイン、リナックスやノキアに代表される先端のIT技術、優れた学力。

いったい、どんな国なんでしょうか。

印象的だったのは、「この国の人たちが、容易に崇高な理想を実現してしまったのではなく、もちろん、政治家が理想の国を簡単に作り上げてしまったわけでもなく、それなりの葛藤をしながらも、一人一人の国民が、こつこつとあるべき理想に向かって、積み上げてきた成果だ。」ということ。

「一人の人間が、本当に学びたいと実感したときに、その機会は、生涯にわたり無料で保障されるている。こうした生涯学習社会の背景には、だれもが(例外なく)人間らしく生存し、成長し、発達する権利を保障されなければ、ほんとうの「安心と自由」はない、という人間発達援助の思想がある。」(抜粋)

だから、ヘルシンキ大学の学生がリナックスを開発したとき、無償でダウンロードできるようにする、というような発想になったのだろう、とも。

自分たちが、無償で受けた教育の成果を無償で還元しよう、というような。

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こんなフィンランドも92年ごろには、失業率20%という時期があったらしいのですが、その時、国家公務員を増やすことで、雇用の確保を推進し、教育費に大幅な国家費用を割いたことで、今のフィンランドがある。

どこぞの、全ては民へ、公務員でなくてはどうしていけないのか、はたまた、教育のあり方がころころと変わっている国の方針とは、何故か全く逆です。

具体的に子どもがどんな勉強をしているのか、と、一番興味を持たれそうな内容はあまり無いのですが、非常に国民全体に読書をする。塾や受験戦争からは、かなり遠いらしいのです。

同じ試験をさせた時に、日本の子どもは、記述式に「無回答」が多い。という事が、書かれていました。

息子のことが頭をよぎりました。「うーん、そうかも・・・」

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2006年1月19日 (木)

COURRIER Japon(クーリエジャポン)その2

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創刊号で少し書きました。今、5号が出ています。

正直言って、イマイチ。(かな)

世界がアメリカだけじゃないのはもちろん。でもそれを散漫に伝えられてもあんまり面白くない。

毎号少しずつ世界の色々な国の情報を読むなら、各号でもう少し焦点を絞り込んだものを深く読みたい。(もっとも、編集方針に添わないかもしれないけど)

もう一つ考えると、日本人って、身近な自分に当てはめて考えられるような情報にのみ興味が強いかな。というか、世界に対する想像力があんまりないというか・・・そんな気がします。

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2005年12月24日 (土)

『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』橋本 治

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あの橋本治の新書です。この連休に読みました。

私だけかもしれませんが、橋本治というと、その論調にいささか、天才と超越を感じるのが常ですが・・・

今回は、何故、勝ち組と負け組という言葉が生まれたのか、勝ち組、負け組という区分けが、何か大事なものを曖昧にしている・・・等々、タイムリーな話です。

うすうす感じていたことですが、ウンウン、と思って読みました。

今朝の新聞にもありましたが、懸念していたように、「下流社会」という言葉も著者の思惑を超えた使い方がされているとのこと。やっぱり・・・

小泉首相のワンフレーズポリティクスが評判だったり、何かヘンですよ。近頃。

橋本治の本の最後は、「後はよろしく」(皆で考えて)で、終わっています。そこがらしいのですが、実はさらりと至極真っ当なことが言われています。

まあ、結構面白かった。

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2005年12月14日 (水)

「不勉強が身にしみる」

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朝、新聞を読んでいたら、この本の紹介広告があり、気になって昼休みに購入しました。

まだ、全部読み切ってはいませんが、

「ゆとり教育で子どもの学力低下を嘆くだけでいいのか、本当に勉強が必要なのは大人なのでは?」という事が読み取れます。

まさしく、日頃からそのように考えていたので、妙に納得しつつ・・・

受験・学歴に関しても、偏重だと言われる反面、妙な平等主義だったり、一方では、成績の順にクラス編成をしたり。

ゆとり教育だと言っていたと思うと、それでは学力低下を招く、とあっという間に逆戻りしたり。

この不安定さは何なのか、国の政策がこんな事でいいのか。あまりにも対処療法的ではないのか。

それは、子どもの教育云々を言う前に、多くの大人こそ、信念を持てるような勉強をせず、思考していないから、いちいち揺れ動くのではないのか・・・

自分も偉そうな事は言えませんが、あまりにも表面的、短期的なものの見方はますます世の中を不安定にさせる気がしています。

蛇足ですが、「新書」というものも、昔はもっと数が少なくて、良い意味での堅さがあった気がするのですが、近頃読みやすくなった反面、「流行本、読み捨て本」の色を帯びてきたような・・・

ともあれ、もう少し読み進んでみます。

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2005年11月18日 (金)

『COURRIER』クーリエ・ジャポン

P251iS01028 『クーリエ・ジャポン』創刊号です。

“ジャポン”というからには、もちろん、フランスです。でも、エル・ジャポンでもフィガロ・ジャポンでもなく、提携誌はクーリエ・アンテルナショナルという雑誌で創刊15周年を迎えるそうです。

「世界にはメディアの数だけ視点がある!」と、冒頭にあります。

例えば、1つのニュースを右から見るか、左から見るか、擁護論か否か、アメリカはどう見ているか、というのが良くありがちな例ですが、この本では、「いや、世界はアメリカだけじゃない、そればかりか中国、韓国以外にも多くの国がある。その国は日本をこう見ている。」

その様々な視点を伝える、というコンセプトのようです。

手始めにKOIZUMIを世界はどう見ているのか。必ずしも深いとは言えませんが、興味深く読みました。

ちょっと面白そうだな、と思っています。次号以降はどうなるのでしょうか。あれもこれも、散漫にならないように、道を貫いて欲しいものです。

ブログも同じですね。既に散漫になりつつあります。

P.S. 「女がすべてを決める島」という記事がありました。なかなかです。こうなると男性も少しは楽になれるでしょうに・・・。

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2005年11月16日 (水)

『生協の白石さん』

P251iS00779 読みました、「生協の白石さん」。昼休みに30分程で。

噂どおりに、何やら「ははは・・・」と素直な気持ちで読みました。

白石さんの人柄もさることながら、やはり陰でこの白石さんの人柄を浮き立たせているのは、東京農工大の学生さん達だな~とも思いました。

学生さんたちのありように、「大人」を感じたのは私だけではないはずです。

白石さんと学生さんたちの、双方の良識があるからこそ、このコミュニケーションは素敵な形で成り立っているのでしょうね。

最後のコメントにもありましたが、一つ一つのどんな要望にも手を抜かないでコメントを書き続ける、特別な学生だけでなく、「誰にでも」語りかける姿が心を打つんですね。

ああ、何か基本的な事を忘れていたような気がしてきました。

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2005年11月 8日 (火)

「ミセス」文化出版局

P251iS00260文化出版局の『ミセス』、30年以上読んでいます。

自分は田舎育ちですし、母親はこのような雑誌を、わざわざ買って読むようなタイプではありません。

若かりし頃、東京でニットのデザインの仕事をしていた叔母のところにありました。

遊びに行くとミセスを読むのが楽しみでした。子供ごごろに、どこの誰がこんな格好をしているのか、と思われるようなモダンなファッション。ヨーロッパの匂いのする料理にインテリア。ほんの一握りの特別な人達の語る、特別な暮らし、文化。ゴージャスさでは負けない「家庭画報」という雑誌もありますが、ミセスにはどこか“しゃれた香り”が漂っていたように思います。

それから、30年も経って、今、この雑誌の、おそらくターゲットとするであろう年齢になって、改めて見てみると、この本には普通ありがちな、生活の匂いがない。節約料理もなければ、政治色もない、嫁姑の確執も、つらく悲壮な話もない。生々しさがないばかりか、ある意味、不思議な透明感が漂っていることに気が付きました。

カマトト・・・?と言ってしまっては、夢がなくなるけど。そう、大人の夢が“ふんわりと”詰め込まれているようです。

今となっては、かつての夢の生活も、現実の世界かもしれませんが、それを感じながらも相変わらず、別の夢を求めて手にとってしまうのです。P251iS00261

今月号は偶然にも「`60sスタイルと黒」というサブ特集です。

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2005年11月 7日 (月)

「下流社会」

P251iS00011 30万部だそうです。

少し前に、新聞の書籍案内で見て読みましたが、今日の夕刊に上記売上部数が追加されていました。

最初に感じたのは、良い意味でも悪い意味でも「上手いタイトルだな」という事です。

勝ち組、負け組という言葉のように、「君は下流社会の人間か!」なんて、週刊誌の見出しにまだまだ出てきそうです。(既に出ていますね・・・)

その言葉だけに踊らされて、「全くその通り、こんな若者が増えている。」と、決め付けたり、「自分は該当しない」と、笑って済ませる事はもう避けたいと思います。

最後の結論が物足りない感じですが、著者も結論を出せ切れていない、学者の検証を望むし、自分もそれを続けたいと書いています。

自分の結論ももう少しあとです。

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