『オリンピックの身代金』
『オリンピックの身代金』奥田英朗著/角川書店
一気に読んでしまった2段組み500ページ。
もちろん、内容が面白いからに他ならない・・・いや、面白いと言って良いのだろうか。
作者は意図的に今だからこそ、このテーマを取り上げたに違いないが、みすみすそこに嵌り込んでしまった。
舞台は1964年の日本、あるいは東京だ。
「もはや戦後ではない」と言われた1956年からさらに年月は経ち、東京は”オリンピックの成功こそその復興証”とばかりに首都高を架け、新幹線を走らせる。
主人公は秋田の極貧の村出身の東大院生。
中卒の出稼ぎ労働者を人柱にして、復興を享受する首都東京。周辺は誰にも夢が与えられ、豊かになっていく一方に見える。
しかし、地方の学のない、貧しい人達の暮らしは戦後も何も変わっていない。勉強ができるだけで自分には夢が与えられたが、他の誰一人として村には”夢”を持てる人間はなく、あるのは最初から”諦め”だけだ。
”おかしいじゃないか””東京オリンピックを妨害する”
最初から明らかにされている「島崎」という東大院生の犯人。
誰が犯人か、を謎といて行く通常のサスペンスのパターンとは違うが、時代背景の中にある歴然とした格差が今とリンクする。
この本を1985年に読んだら、おそらく「昔はまだ地方は貧しかったんだ」という一言で片づけてしまったであろうに・・・2009年、全くもって重々しくのしかかるし、”国民が一丸となってオリンピックを成功させる”という盛り上がりが、20年前の戦争の高揚となんら変わっていないという文章・・・・・・・・・・・・・・・・小説とはいえ、妙に引っかかるのである。
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コメント
モヤモヤが残る作品でした。
自分がその時代に生きていたらきっと、
犯人を憎んだと思う。
もし動機を知っても「そこまでしなくても」って、
思ったと思う。
自分が体験しなければ、他人の苦しみや理不尽さは分からないもので、
陽気に浮かれている自分が情けなくなりそうです。
革命か悪質テロかは、その立場によって見方が違うんですね。
投稿: fumika | 2009年1月 7日 (水) 13時00分
>小説とはいえ、妙に引っかかるのである。
そうなんですよ、気になるんですよ。
この男の歩みが、生き様がね。
小説だからありがちな部分と、現実にそういう信念というのか、揺るぎない自負を持ち合わせた人間の行動として読み終えました。
もう一度読むと見方が変わりそうな気がしました。今の私は島崎に対峙されたら、一言も発せられないかもしれません。
遅ればせながら、おめでとうございます。今年もどうか?よろしく。
投稿: sada | 2009年1月 8日 (木) 00時04分
fumikaさん
コメントありがとうございます。ちょっとブログを見ずにおりまして、お返事が遅くなりましてすみません。
“モヤモヤが残る”なるほど、上手い言い方ですね。ほんとそうです。何か投げかけられたまま、という感じです。まあ、そこが意図されているのでしょうが。
革命かテロかは・・・というのは、現代の到る所に当てはまりそうです。
実に難しい問題ですが、安易に1つの声になびかないようにしようと思います。
投稿: bucky | 2009年1月12日 (月) 22時49分
sadaさん
おー、読まれましたか。ちょっと”残る”作品ですよね。
小説とはいえ、戦前の変わらぬ東北の寒村の状況にちょっと衝撃を受けましたね。だって、我々の生まれた頃でしょう?
この40数年の間に、世の中は大きく変わったんだと認識させられましたが、日本人の気質は変わっていないのか・・・そんなことも思い知らされました。
島崎の行動は正義でもあり・・・いや、正義であるべきなのですよ。難しいですが。
投稿: bucky | 2009年1月12日 (月) 23時03分