Gibson
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気がつくと26日。
「あれっ、夏至が過ぎちゃった。」
夏至の日に特別な思いが・・・というわけではないが、ご存じのようにこれまでの半年間は、”日は長くなる”一方だったものが、夏至の日を境に、また少しずつ少しずつ短くなるわけだ。
これから暑い夏が来るし、待望の夏休み!という人達も多いだろうが、その盛り上がる暑い夏が過ぎた途端、夕方が真っ暗、という現実に晒される。
いや、やはり、日が長くなる日々はちょっとだけウキウキし、短くなる日々は寂しいな、というそれだけの事なのだが。
日照時間の短い国の人達が太陽の季節をとても大事にするという話を時々聞くが、四季のある日本の、東京という自然も関係ないような大都会に住む私も、やはりオテントウさまに気持ちを左右される原始を隠し持っているという事なのだろう。
だから、いつも夏至の日は「今日は夏至なんだぞ、いいな。」と自分に言い聞かせるのが常だった。
ある日、夕闇が早くやってくる事に気がついても、「そう、夏至を過ぎたんだからな。」と納得できるように。
それなのに、今年は忘れてしまっていた。
21日・・・友人と飲んでいたではないか。夏至がつまみになる余裕もなかったとすれば・・・二日酔いになるはずだ。
たかが夏至・・・だけど、大事な事を忘れてしまったようで妙に慌てた。
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『東京駅の建築家 辰野金吾伝』東秀紀著/講談社
駅の話だけど、これは電車オタクとは別。
タイトルの通り、東京駅を作った建築家辰野金吾の伝記。
幕末から明治にかけての時代背景。そして辰野金吾の生い立ち。建築家への道。そして当時の東京駅への評価。
そうか、1854年から1919年に生きた人であったのか。江戸時代に生まれた建築家、しかも東京駅を作るとは意外な気がする。
もちろん勝手な思い込みだし何の根拠もないが、少なくとも明治生まれなのかと・・・。
さらには、貧しい家の出であったということもだ。
特に時代が昔であればあるほど、日本の建築史に名を残すような建築家は、やはり、文化的、芸術的背景無くしては成り立つ事が難しいと考えていたから。
庶民が長屋住まいが当たり前の頃、ビルディングを建てることが出来るのは、特権階級に違いない、そう思っていた。
辰野は猛烈な努力によって建築の理論、技術はもちろんのこと、所謂”芸術としての建築”をも身につけた人だったのである。
身分の差も明らかで、情報も機会も平等に与えられなかった当時、これは本当に異例の事。辰野の努力はどれほど人並み外れたものだったか。
歴史に残る建築家としてはあまりにもスマートさに欠ける。泥臭い努力家、単純な人柄。
丸の内周辺が、これほど近代的なビル群なってしまった現在、赤煉瓦の東京駅の存在はますます顕著である。ところが、これが建設された当時、この建物を評価する建築家はいなかったという。「西洋の建築を模倣する時代はもう終わった」として。
まさしく辰野金吾が生きた時代、辰野の師は、かのジョサイア・コンドルであり、日本の建築は西洋の建築を模倣することが先決であった。そして、辰野が東京駅を建設した時、皮肉にもその時代は終わろうとしていたようであった。
漠然とイメージしていた辰野金吾像というものが、覆される興味深い内容であった。
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ずいぶんと早い時間に息子の目覚ましが鳴る。
「ん?何時?」
数回鳴った後、彼はやおら起き出しいそいそと動き出す。
しばらくするとボーダーのTシャツを着て現れ「ちょっと行ってくるから。7時半までには戻るよ。」
「行ってくるってどこへ?」
「副都心線。今日、開通だから。」
ねぼけた頭で理解した。今日6月14日は副都心線の開通日。今は早朝で、息子は開通した電車に乗り記念撮影に行く。そして、学校の登校時間前に戻ってくるというわけだ。
「行ってらっしゃい。気をつけて。携帯電話持って行ってよ。」
彼が出て行った後、時計を見るとなんと4時53分!この電車へのエネルギーはどこから出てくるのか・・・
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7時10分位に戻ってきた。
「混んでたよ、オタクで。駅は大江戸線の雰囲気に似ているようでもあるけど、1駅1駅が全部違うってわけじゃないな。写真はそんなに撮らなかった60枚!くらい。」
土曜日は始業時間が少し遅いのを良いことに、朝食を摂ると、再び登校1時間近く前に出て行った。”副都心線で遠回り”をして行くのだそうだ。
おかげで朝から振り回された。
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私も夫もお休みだけど、息子は学校へ行くので土曜日も早起き。
もう少し寝ていたいのに・・・と言いつつも、おかげで週に1度の大掃除(もちろん掃除機だけはこまめにかけるけど)も早めに終了する。
今日は晴れ。このところ典型的な梅雨空だからすこぶる気持ちが良い。
自転車を駆って飯田橋の三浦屋まで買い物。ついでに息子の『昭和の鉄道模型をつくる 44巻』を受け取ってくる。
どちらかというとこちらが本題。
受験の時「頑張ってるから毎週これだけは買ってあげよう」と口を滑らせてしまったのが大間違い。取り寄せを飯田橋の本屋さんにお願いしているからだ。50巻まであと一息。1490円が50巻!考えてみるととんだ合格祝いだった。
それにしても、緑の良い季節。
飯田橋周辺のこの緑、あるのと無いのとでは大違い。
戻って、夫のお昼ごはん(風邪で寝ていた)。
息子が「オクラって上手いよな~」とつぶやきながら食べているのを見て、「俺も食べたかった」オクラと温泉卵と鰹節入りの素麵を作ってあげる。うれしげに食べる。
今度は図書館に。
図書館の2階の窓が開け放たれていて、涼しい風が入っている。形違いの椅子があちこちに配置されており、その一つに座ってしばらく借りる本を吟味する。
ふと見ると、皆思い思いに本を手に取って読書。
ふ~ん、”素晴らしき哉、土曜日の午後”といったところか。
掃除も買い物も済んだ。自分もまた満喫。
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『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』レイ・コールマン著 安藤由紀子・小林理子訳/ベネッセ
別の本を借りようと思って図書館へ行った。
借りていた本を返し、気になっていた本にパラパラと目を通し、目的のコーナーに向かって曲がろうとした角の本棚の、ちょうど眼の位置にあったのがこの本。
「カーペンターズかぁ」などと手に取って、最初の数ページを読むと、このまま返すのが惜しくなってしまったのだ。
音楽には全く明るくない私でも、ティーンエイジの頃はそれなりに、当時の”全米ヒット○○”などという音楽を聴いたものだった。カーペンターズもしかり。
わからないながらも、”カーペンターズが好き”というのは何となく気恥しいような気がしていたが、やはり、ヒット前の彼らの音楽が一部でそのように評価されていたことを知る。
健全過ぎる、野暮ったい、セクシーじゃない・・・
読み進んで、何だか無性にカーペンターズが聴きたくなり、唯一家にあった『ベスト22』なるものを引っ張り出す。
”大好き”かどうかは別にしても、カレン・カーペンターの歌声は素晴らしい。伸びやかさが心地よい。
32歳で摂食障害によって亡くなった事は良く知られており、こういった症状が、必ずしも”痩せて綺麗になりたい”という理由だけでなく生い立ち、家庭環境など複雑な要素が絡んでいる事は、今となっては多くの人の知るところとなっている。
まだ読み進んでいる途中だが、才能、お金、名声と揃っても尚、人間は心のバランスを取ることが出来ないんだな、と聞こえてくる歌声を耳にしながらあれこれと考えてしまうのであった。
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