2009年2月 1日 (日)

中学受験 1年後

去年の今日、2月1日(正確には今、息子が通っている中学に受かったのは2月2日でしたが)の事は、私たちにとっても、息子にとっても、日々の生活の中で何番目かに印象深いうれしい出来事のはずでした。

”はず”というのは、実は、無理やり2月1日を思い出そうとしている自分に気づき・・・

つまり、彼を巡っては、常に新しい難題、課題が現れ、今は、もはや1年前の受験の思い出に浸る余裕がなかなか無い、ということなのです。

自分でなかなか起きない。決まった時間に机に向かわない。やるべきことをなかなかやらない・・・等々、挙げたらきりがありません。

ホントに1年前は、親の後ろに隠れているような泣き虫っ子だったのに、今や自分でどこにでも行ってしまうし、言う事は聞かないし、反抗的だし・・・誰もが通る、所謂”中学生”なのでしょうけど、それはもう、中学受験に合格した日の感動も薄れるほど(怒!)。

連日叱ってばかり、ホント疲れる。

自分を含め、多くの子供がこうして大人になってくるのかと思うと、多くの親は偉大だ改めて認識し、反面、育児放棄をしてしまう事もまた理解出来そうな気持です(あーあ)。

子供を叱っているうちが、”子育てで一番充実した時”なのかもしれませんし、ちょっと離れたところから、今の自分を客観的に見てみれば、確かに大きな問題がないのかもしれませんが。

いずれにしても・・・あまりくさってばかりもいられないし・・・1年前に頂いたコメントを読み直したらちょっと元気になりました。やっぱり、ジンときます。

息子にもう一度読ませてみようかな。

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2009年1月24日 (土)

『アーツ&クラフツ展』 東京都美術館

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本日が初日。また、”アーツ&クラフツ”の代名詞とも言うべきウィリアム・モリスか・・・

という気がしなくもありませんでしたが、”美しい生活”(語弊があるかも??)が好きな私は、やはり行かないわけにはいきません。

ウィリアム・モリスが中心となって広がったこの運動が、ドイツ、オーストリアに広まり、さらにロシア、そして日本へ・・・”ウィリアム・モリスから民芸へ”という副題もついた展覧会です。

その後、若松河田にある民芸店『備後屋』へ行くぞ!そして、日本の民芸を見尽くそう!と朝から意気込んでいました。

運悪く??「今日、暇?」とメールしてきた友人も巻き込み上野へ。

フェルメールの時をイメージして、少し混み具合を恐れていましたが、むしろ空いている位、肩透かしを食らわされた気分です。

どれもこれもが自分の好み、というわけではありませんが、あらゆる面で原点に立ち返る必要の出てきた昨今、生活の中に美を見出すような考え、さらには、それを小さな自分の世界に閉じ込めてしまうだけではない、運動として発展させていったあり方に、推進していった人達の力量も見た気がしました。

ミュージーアムショップで、モリス仕様の小物もたくさん販売されていますが、興味深いのは柳宗悦、濱田庄司、河合寛次郎らの著した書籍が手に入ることです。

これらが、常に揃っている書店も少ないと思われます。興味のある方は、是非、この機会に、というところ。

上野でラーメンを食べ、そのまま大江戸線に乗って若松河田へ。10分ちょっとでしょうか、近い近い。

備後屋で日本の民芸を上から下まで堪能し、そう言えば欠けていた”茶碗”を購入。

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”民芸”な一日、大満足でした。さらに濃厚に民芸を堪能されたい方には「日本民藝館」をお薦めします。

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2009年1月23日 (金)

銀座でランチ 幹事所感 その後

東京TOKIA内にある、とあるイタリアンレストランに予定通り行きました。

私たちを案内してくれたのは、日本語の流暢なイタリア人とおぼしき方。

「本日のランチ、パスタはこちらの4種類から、メインはお肉はもち豚のロースト、お魚は、鯛のポワレです。」なんてすらすらと言われてしまいました。

メインディッシュはあくまでもおしゃべりなので、雰囲気重視、味その次、ではありましたが、結果から言えば、

「2500円だったら、”結構いいわね”と判断するけど”4000円ならイマイチね”」というのが3人の一致した意見。

幹事の私としては、非難されると面白くない・・・いやいや、自分から言い出してしまい、「まあ、仕方ないわよ、平日ならもう少しリーズナブルなんでしょ。」とむしろ慰められた次第。

実を取りたい、というか、もう虚飾(食べ物に限り?)には騙されないのがHanako世代百戦錬磨の中年女の強み?というと、いかにも雑誌のタイトルみたいだけど、まあ「ごまかしはダメよ」ね、やっぱり。

私達はレストランに何を求めているのでしょう。

良く友人とも話しますけど「きちんと美味しいことよね。」「そしてきちんと量もあること。」「清潔であること。」「サービスに満足出来ること。」「適正価格であること。」

ありゃ、これは難しい。

ちょっと”銀座4000円ランチ”から大きく話が逸れましたけど、雰囲気はまずまず、サービスはイマイチ、味はフツウ、量は少な目(でも、デザートだけが多いところがターゲットが明確?)と報告しておきます。

そうそう、水だけは「ガスなしですか?ガス入りですか?」と聞かれたので「!」と思いましたが、案の定、料金を取られていました。ここが思いきりイタリアンです。

私たちケチすぎでしょうか、やっぱり。

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2009年1月12日 (月)

銀座でランチ 幹事所感

息子の学校のママ達2人と新年会をしようということになった。

学校の用事はないし、住んでいるところも3者バラバラ。

「じゃ、まん中辺りをとって銀座はどう?」

提案した私が「じゃ、探すから。ランチはどう?」

幹事を引き受けた。

改めて探してみるとびっくり。

何にってそのランチの価格に。

そりゃ、1000円で食べられるところがないわけではない。

でも、女3人、週末のランチ、予約して、ゆっくり出来て、もちろん、美味しい。となると軒並み5000円以上。

我が家からほど近い神楽坂だったら、ランチに5000円も要る店はせいぜい片手で数えられる程度だろう。

銀座は良く行くが、予約して食事、などということがここしばらくなかったし、食べてもエスニックとかカフェだったから気がつかなかった。

「世の中お弁当箱が売れているという時代なのに・・・」

たまにだからいいか、と4000円の店を予約したが、思いっきりコストパフォーマンスが良いことを期待しそうな自分が怖い。

やはり、100年に1度の、言われながらも銀座は銀座なのか。

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2009年1月 4日 (日)

ガトーラスク「グーテ・デ・ロワ」

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デパートの地下のお菓子売り場に並んだことはないし、苦手なものは「ホワイトチョコレート」な私が並んで買ってしまった「ホワイトチョコレートのかかったラスク」

要は”美味しいと思ったから”に尽きるのだが。

11月の末日のこと、職場のある女性が出産のため退職した。

その時、同じ部署一人一人の女性に配ってくれたのが「ボディショップのローション」と「グーテ・デ・ロワ(ホワイトチョコレート)」1つ。

持ち帰って、何気なく袋を開け、「げっ、ホワイトチョコレート!」。”でも、あの子(私からすればね、20代だから)、甘い物には一家言ありそうだったし・・・”とちょっと口にしてみた。

「!!!!!」「美味い!」

ホワイトチョコレートのお菓子を1つ食べきったのは初めてだった。

しばらくして、銀座の松屋デパートの地下食料品売り場。お気に入りのパンを買い、地上に上がろうとすると、何やら長蛇の列が地上まで数メートル続いている。

何?あっ、あのお菓子!

知っている人は知っているのであるなぁ。

昨夕、息子の宿題のため、買い忘れた墨汁を伊東屋に買いに寄り(お正月で近くの文具店が皆お休み)、再び松屋に寄る。

おっ、今日は5人待ちか、だったら。とあいなったわけである。

シルバーの袋がホワイトチョコレート、ゴールドが普通のチョコレート。

やはり、2つを前にすると普通のチョコレートに手が出てしまう(笑)。

それにしても、皆、迷いなく何袋も手に取って・・・きっとリピートに違いない。

それにしても・・・世の中美味しいもの情報に敏感な人たちの多いこと。改めて驚いたりもしたのであった。

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2009年1月 3日 (土)

『オリンピックの身代金』

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『オリンピックの身代金』奥田英朗著/角川書店

一気に読んでしまった2段組み500ページ。

もちろん、内容が面白いからに他ならない・・・いや、面白いと言って良いのだろうか。

作者は意図的に今だからこそ、このテーマを取り上げたに違いないが、みすみすそこに嵌り込んでしまった。

舞台は1964年の日本、あるいは東京だ。

「もはや戦後ではない」と言われた1956年からさらに年月は経ち、東京は”オリンピックの成功こそその復興証”とばかりに首都高を架け、新幹線を走らせる。

主人公は秋田の極貧の村出身の東大院生。

中卒の出稼ぎ労働者を人柱にして、復興を享受する首都東京。周辺は誰にも夢が与えられ、豊かになっていく一方に見える。

しかし、地方の学のない、貧しい人達の暮らしは戦後も何も変わっていない。勉強ができるだけで自分には夢が与えられたが、他の誰一人として村には”夢”を持てる人間はなく、あるのは最初から”諦め”だけだ。

”おかしいじゃないか””東京オリンピックを妨害する”

最初から明らかにされている「島崎」という東大院生の犯人。

誰が犯人か、を謎といて行く通常のサスペンスのパターンとは違うが、時代背景の中にある歴然とした格差が今とリンクする。

この本を1985年に読んだら、おそらく「昔はまだ地方は貧しかったんだ」という一言で片づけてしまったであろうに・・・2009年、全くもって重々しくのしかかるし、”国民が一丸となってオリンピックを成功させる”という盛り上がりが、20年前の戦争の高揚となんら変わっていないという文章・・・・・・・・・・・・・・・・小説とはいえ、妙に引っかかるのである。

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2008年12月20日 (土)

『ドナウの叫び』ワグナー・ナンドール物語

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『ドナウの叫び』ワグナー・ナンドール物語 下村徹著/幻冬舎

水曜日のことだっただろうか、朝刊の1面の下にある新刊案内が目に飛び込んできた。

”ワグナー・ナンドール!””ハンガリー人の彫刻家!”

まさか・・・いや、あのワグナーさん以外にいるはずがない。

こともあろうに、私はこの彫刻家にデッサンを習っていたことがあったのだ。

父に車で連れられた先には「和久奈南都留」という表札がかかっていた。不思議な入口のアトリエで、一般の住宅とは違っており、ワグナーさんは2階と思われるところから降りてきたものだった。

千代さんという、自分の母親に近い年齢の、しかし、派手ではないが稟とした美しさと知性漂う雰囲気を持つ奥さんがいて、2人は英語で会話し、それを奥さんが我々に伝えてくれるのであった。

確か中学3年だった私のために、当時、美術を志したらどうか、とアドバイスをくれた父親が、当然美術大学受験のない田舎の益子で、どこからか探し出してきてくれた”先生”だった。

生徒は3人、19歳という、でもどう見ても16歳位にしか見えない女の子(人?)と、1つだか2つ上の窯を持つ家の息子という高校生の男の子、そして私だった。

「中3の冬休みにここに来るとは余裕だな。」とその高校生に言われた事を覚えている。

19歳の女の人が「今日のモチーフは何ですか?」と言うのを聞いて「モチーフ?それって何?」と密かに思ったこともあった。

元旦をはさんで所謂冬期講習と同じ期間、朝から6時間程度ひたすらデッサンをしていた(たぶん、でも昼ごはんはどうしたのだろう。家に戻ったのか??)。

”モチーフ”は美術学校のような石膏ではなかった。

画板を立てるイーゼルと、それにつながっているまたいで座る椅子に座りもくもくと描き続けた。この本から想像するに、その画板+椅子はワグナーさんが作ったものだったのかもしれない。

その後、受験のため美術学校に3年通ったが、ついぞそんな代物は見たことがなかった。

1日が終わると奥さんの通訳によってワグナーさんの講評が行われた。

この講習が終わるころだったか、「あなたは建築に向いている。そうワグナーは言っているわ。」と奥さんの千代さんに告げられたが、「建築ぅ~?でも数学苦手だし・・・。」

その時は、気にも留めなかった。しかし、”建築”が20年後、俄然自分の中で興味を増し、この時のワグナーさんの言葉をはっきりと思い出したが、もはや、方向転換するエネルギーは持ち得なかった。

講習の最後に”宿題”が出され、たしか皿とリンゴを描いたデッサンを持って、1週間後、ワグナー家を訪れた。

その日は生徒一人の私に昼食がふるまわれた。陶芸をやっているという住み込み?の女性がおり、ワグナー夫妻と4人で囲んだ食卓には、片栗粉をまぶして揚げた「から揚げ」が美しく載っていた。ごはんとみそ汁とから揚げ、品数は少ないが、調度が美しく、内心「何か違う洗練」を感じていた。

しかし、それ以上に驚いたのは「食事の前の祈り」があったことで、そんな習慣のない自分は戸惑うばかり、わずか数分がやけに長く感じられたことを覚えている。

高校生になると、宇都宮まで週末毎に「受験用の美術学院」に通う事になり、その後ワグナーさんに会う事はなかった。

ワグナーさん自身は、奥さんより少し年上の世代に感じられたし、外国人という事で、15歳程度の私には何とも言いようがなかった。ただ、温かみのある人柄であることは容易に理解出来たし、怖いとか嫌だという感覚はなかった。

この本を読んで、ワグナー・ナンドールという彫刻家がいかに優れた人であったのか初めて知ることが出来た。

益子に「ワグナー・ナンドールアートギャラリー」があるのに、愚かにも今まで行って見ようと考えもしなかった。

そうか、約30年前のあの当時、ワグナー夫妻は益子の地に住んでまだ10年にもなっていなかったのか・・・

そう言えば、父が奥さんの千代さんの出自について何やら話していたのを思い出した。

義理がたい父は、その後私に代わって時折ワグナー家を訪れては、「あの時、お世話になった娘」の報告をしていたようであった。もちろん、結果、美術の道は諦めたことも。

そして、おおよそ10年前、ワグナーさんが亡くなった事を、これもまた父から聞かされたのであった。

他人にはどうでも良いような話を長々と書いてしまった。

でも、”どこかに書いておきたい”、「私にとって」特別にそう思わせる1冊であった。

そうだ、年末に父に聞いてみよう。

「何故、あの時、どういう経緯でワグナーさんを知り、どんな話をつけて娘に絵を教えてもらう事になったのか。」を。

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2008年12月17日 (水)

『若者のための政治マニュアル』

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『若者のための政治マニュアル』山口二郎著/講談社現代新書

さて、このところの新聞は少し前とずいぶん論調が変わってきている。

この山口二郎も頻繁に書いているし、大佛次郎論壇賞を受賞した(これは少し前では本当に考えられない!)湯浅誠など、連日顔写真を見ている。

小泉純一郎の構造改革ばかりか自民党が堂々と批判されている。経団連もしかり。

2005年に誰がこのような事を想像しただろうか。

もちろん、個人的にはこれらの批判は当然と思っているが、同時にマスメディアの安易なる変調ぶりに、大いなる「怖さ」を感じてもいる。

次は、どっちへ転ぶのか・・・英雄は誰か。

こうして右往左往し続けるのが嫌なら、我々は何をしなければいけないのか。

「若者のための・・・」とはあるけれど、原点に立ち返るために中年にも、いや、中年にこそ良い本である。

過去四半世紀を振り返って、もういちど、社会にかかわり直すためのヒントが詰まっている。

誰もが論文を世に出したり、政治家になって直接社会を動かすことができるわけではないが、日本は、特に政治の舞台へ一般人が近づく過程をわざと曖昧にわかりにくくしている。

最初の一歩をどう踏み出せば良いか、この本ではそんなことがイメージ出来る。

もちろん、それほど難解ではない。

(そして、ここ数年(具体的には2000年以降最近まで)、自分の考えでは到底”あり得ない””おかしい”と考えていたようないくつかの判決、事件が”おかしい”と評されていることも、溜飲が下がる思いだ。)

湯浅誠を”流行”にしてはいけない。あまりにも度々マスコミの取り上げられる彼を見て、ついこの本を手に取ってしまったのである。

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2008年11月24日 (月)

トップスの「ショコラノワール」

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一つ年をとった記念にチョコレートケーキ。

どうしても濃厚なチョコレートケーキが食べたかったので・・・

これは初めてだけどなかなか美味しい。また買ってもいいな。

母から電話。

「40代、50代はあんまりうれしくないものだけど、私たちみたいに後期高齢者になると”1年生きたわ”とうれしいもんなのよ。」

「”40代真面目気分”もあと何年?」夫と息子がちゃかす。

こういう時、「ああ、○○も誕生日を迎えたわけだ。」と同級生のことを無理やり思い出したりして、ちょっと自分を慰めたりする。

同世代の絆が深いわけはこの辺りにあるかと思うのも誕生日の時期だ。

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2008年11月21日 (金)

本日はサンドイッチ

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何でも本日は美術館だそうな、息子たち。

「弁当箱は帰りが面倒だから・・・」のサンドイッチ。

彼はポピュラーな卵サンドが好きじゃない。

今日は、起きるやいなやオーブンにきつめに塩をした鶏モモ肉を放り込んで、簡易版ローストチキン。

レタスと薄焼卵とハムとチキンで、”クラブハウスサンド風”。

それから、市販のポテトコロッケをサンドしたものと2種。

”腹にたまる””美味い””手軽”を満たすのはなかなか大変。

3人分のお弁当、とおもいきや、ごっそりと半分を持ち去られ、私に残されたのは2切れだけだった。

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